第二十二話 地下迷宮の主⑧
「まさか、地下四階層にまで奴らが踏み込んでいるとはな……」
『魔金の竜』のギルドマスタータイタンは、四階層の大部屋の中でそう呟いた。
唖然と立ち尽くす後ろに控えている部下達をその場に待機させたまま、クレイドルを連れて大部屋の中央へと向かい、そこに落ちていた潰れた臓物を彼へと拾い上げさせた。
ランベールの叩き潰したスライムの核である。
「タ、タイタン様……まさかこれが、正体不明の魔物なんじゃあ……」
「にわかに信じがたいことだが、その鎧の男が処分したと見て間違いなかろう。オーガがばっさりと斬られている死体を見て驚いたが……なるほど、想像以上の男だったらしい」
タイタンはそう口にすると、にたりと笑った。
「黒い化け物に関しては、情報を集めて万全の対策を練って来たつもりだったのだが、オマケがとんだダークホースだったようだ」
『魔金の竜』の冒険者達が困惑している中、タイタンだけは武者震いしていた。
これは久々に本気が出せそうだ、と。
タイタンは生まれついての戦闘狂であった。
大きな身体に、圧倒的なパワー。
数多いる一流冒険者の中でも、力勝負でタイタンに勝てる人間など滅多にいるものではない。
『魔金の竜』に入って『魔金の竜の鉤爪』を手に入れて以来、正に鬼に金棒であった。
ただ一つ彼が満足していないことは、その『魔金の竜の鉤爪』を振るって戦うに値する相手が、魔物程度しかいないことであった。
戦いの花形は、やはり魔物相手より人間相手である。
互いのそれまでの鍛錬、戦いの駆け引き、勝利の余韻。魔物相手と人間相手では、それらがまったく異なる。
「上に残してきた見張りが十人、こっちにいるのが四十人ちょっとか……。クレイドル、お前はオレ様についてこい。奴をバラバラにするところを見せてやる。後は、魔物除けに三人ほど来い。残りは三つに分かれて別方面の探索を進めておけ」
「ぼ、僕達、五人だけですか!? もうちょっと連れて行った方が……」
クレイドルがやや引き攣った媚笑いを浮かべながら、タイタンへと提案する。
「オレ様一人で十人分だろうが。ああ? 文句あるのか?」
タイタンから睨まれ、クレイドルはこくこくと頷く。
「そそ、そうです……はい……ありません……」
タイタンはハンッと鼻を鳴らす。
それから魔術師であるアンジュへと目を向け、くいっと顎を上げる。
「はい、は~い」
アンジュは頷き、手にしている杖を掲げる。
「足跡よ、浮かび上がりなさぁい!」
部屋内に浅く張り巡らされている水面に、すうっと光る足跡が浮かび上がる。
短時間内に通った者の足跡を光で示させる魔術である。
「やはりこっちで間違いなさそうだな。アンジュよ、偽装の痕跡は?」
「これっぽっちも」
アンジュは親指と人差し指の先端をくっ付けて、おどけた風にそう返した。
「クク……すぐにはくたばってくれるなよ、鎧男。オレ様を楽しませてくれ」
タイタンはクレイドルとアンジュを含めた四人の部下を連れて、通路の先へと進んだ。
残された『魔金の竜』のメンバー達は、それぞれ十数名に分かれて三つの隊を編成し、別の通路を選んで探索を始めた。
「おらおら、とっとと行け。お前ら新人は、盾になるのが役目だろうが! ひゃははは!」
部下を先頭に立たせ、自分は悠々と女と肩を組んで歩いている男がいた。
彼はエメリッヒという三十歳の剣士で、『魔金の竜』内で第三位の実力者である。
剣の腕は確かなのだが、女好き酒好きと悪癖が元でよくトラブルを起こす、『魔金の竜』の中でもかなりの問題人物であった。
「もっと走れよ。メンドくせぇなぁ」
「エメリッヒさん……でも、どんな罠があるのかわかりませんし……。感知の魔術で細かく確認しながら進んでいると、どうにも……」
「はい、俺に口答えしたぁー」
エメリッヒは言いながら、鞘から剣を抜いた。
鞘から抜いた剣は赤々と剣身が輝いている。
魔力を持つ鉱石、魔鉱石を利用して造られた剣であり、鞘に収まっている間に環境内の魔力を吸収し、熱として放出する力があった。
その剣の腹を、そのまま部下の顔へと縦に押し当てる。
「あっ、あああああああっ!」
ジュウと肉の焼ける音がした。
剥がした剣に焦げ付いた皮膚が貼りつき、引っ張って千切る。
部下は顔を押さえながらその場に突っ伏し、口から吐瀉物を吐き出した。
「悪い悪い、寸止めのつもりだったんだがな。オラ、こうなりたくなかったらとっとと先へ行くんだよ。俺に恥を掻かせるつもりか!」
「ひっ、ひい!」
部下達が走って先へと行くのを見て、エメリッヒは満足げに笑った。
「ぶわはははは! 迷宮で死んだらギルドの慰霊碑に名前が残せるぞ! 悪かねぇだろう? 最高の名誉だろうが! なんだ、嫌なのか? お前らはそんなに意識が低いから、俺のように強くなれねぇんだよ。なぁ、カルミラ……あ?」
横にいる女の名前を呼んで振り返ったとき、彼女の首がごとりと床に落ちるところであった。
水面にぱしゃりと落ちる。その顔に生前の美しさはなく、恐怖に歪んでいた。
そして彼女の頭部があった首の断面の上には、黒いスライムが乗って身体を垂らしていた。
それを見てエメリッヒは理解した。
黒いスライムは水面の下に潜み、こちらの背をずっと狙っていたのだ、と。
部下達を先に立たせたのは大失敗、逆効果であった。
「うおおおおおおっ! なんでこっちに! なんでこっちに来るんだよおおおっ!」
エメリッヒは雄たけびを上げながら、抜いたままの剣を黒いスライムへと突き刺そうとし、途中で思い留まって彼女の身体を蹴り倒しながら大きく退いた。
『魔金の竜』が集めた今までの情報では、地下四階層に出没する黒いスライムは動きが直線的であるため、距離を充分に取って黒スライムが攻撃を仕掛けてくる際に、攻撃対象でない他の者が横からカウンターを狙えば、対処することが可能かもしれない、という話だった。
エメリッヒはそれを思い出し、今はとにかく離れることを優先したのだ。
距離を置いてから剣を構え、死体の身体の上を這っている黒いスライムを睨む。
「ク、クソッ! お前らぁっ! いるじゃねぇかよお! 感知しろよ馬鹿が! 何のために来てるんだドシロートか!」
黒いスライムは潜伏間はほとんど感知することができない。
緻密に時間を掛けて感知を行えば違和感を覚えることはできたかもしれないが、それをさせなかったのはエメリッヒである。
「ぼさっとしてんじゃねぇ、早く戻ってこ……」
エメリッヒは、尻目で部下達の様子を確認した。
部下達は、既に悲鳴を上げながら先へ先へと逃げているところであった。
「お前らぶっ殺すぞ! 戻ってこい! クソッ! クソッ! 地下四階層の黒い番人は、さっき潰れてたアレじゃないのかよ! 二体もいやがったのかよ!」
エメリッヒは黒いスライムへと剣を向けながら、一歩、また一歩と退いた。
黒いスライムは死体の捕食を続けているようだったが、急にぴくりと身体を震わせると、エメリッヒへと飛び掛かってきた。
しかし、相手の位置はわかっている。
相手が早いことも想定済みであり、直線的な動きしかできないことも知っている。
充分に間合いも取った。
エメリッヒは後ろに跳びながら、剣を前へと突き出した。
剣は見事に黒いスライムを貫いた。
じゅうと、剣の熱が黒いスライムを焦がす。
エメリッヒはそのまま剣を下へと振り抜き、叩き落そうとした。
だが、身体に大きな切れ目が入ったにも拘わらず、黒いスライムはそのままエメリッヒへと向かう速度を落とさなかった。
「え……?」
黒いスライムが、エメリッヒの胸へと飛び掛かる。
「が、あがあああああっ!」
服が溶け、胸に劇物を掛けられたかのような痛みが走る。
あまりの苦しさにエメリッヒはのた打ち回って吠えていたが、自らの胸部へと目を落とすと恐ろしさのあまりに声が出なくなった。
黒いスライムの奥に、自らの皮膚が溶かされて胸骨が露出させられているのが薄っすらと見えたからである。
もう、自分が助からないことは明らかであった。
「あああ……」
エメリッヒはその場に仰向けに倒れた。
薄れゆく視界の中、目線の先に二体の黒いスライムが、水面から頭を覗かせながら、自分へと向かってくるのが見えた。
(こんなに、うようよしてたのかよ……)
そこでエメリッヒの意識は途切れた。
三体の黒いスライムは二人の冒険者の死体を適当に喰らい漁った後は、再び水面に潜って逃げた冒険者達の追跡を始めた。
彼らとは打って変わり、タイタン達の探索はあっさりとしていた。
「いっぱい例の魔物の亡骸っぽいものが落ちてますね」
「噂程強くないのかもしれんな。まぁ、そんなものは最早どうでもよかろう」
ランベールの通った道の後には、黒いスライムの死骸しか残っていなかった。
生き延びた黒いスライムも、すでにランベールの通路からは逃げ出していたのだ。
「『魔女の燭台』はこんな奴ら相手に全滅したんですか。なっさけないですねぇ、こんなとこ、僕達なら五人もいたら余裕で完封できますよ」
クレイドルは水面に浮いているスライムの内臓の切れ端を眺めながら、口許を押さえて笑っていた。
当然彼らはまだ『魔金の竜』の三番手の使い手であるエメリッヒが黒いスライムに惨殺されたことなど、知る由もなかった。




