第四十話 傀儡師⑤
ランベールは床に落ちたパーシリス伯爵の頭部を一瞥し、大剣を背負った。
もう、これ以上この地に用はない。
魔銀は気がかりだが、この地に縛られて身動きが取れなくなるわけにはいかない。
『笛吹き悪魔』は戦力の一角であったはずの、ドマのアンデッド軍団を失った。
幹部である八賢者の数も減らし続けており、八賢者の名が正しければ『屍の醜老』マンジー、『笑い道化』ルルック、『真理の紡ぎ手』シャルローベ、『蟲壺』、『亜界の薔薇』アルバナの五人を失い、残りは三人となっている。
彼らに今更ゼロから仕切り直す余力があるとも思えない。
王国側の警戒態勢が整うよりも先に、王都への攻撃に出て来ることは間違いなかった。
こんな状況で、間に合うかもわからない魔銀探しの継続はできない。
それに、時間を掛ければランベールの汚名は国中に広がっていく。
二百年前と同様に、である。
王都で動きづらくなるわけにはいかなかった。
「……よくぞやってくれたものだ、傀儡師。この戦いは貴様の勝ちだ」
パーシリス伯爵は死を以て自身の領地からランベールを追い出し、魔銀を守ったのだ。
元々ランベールの目的が魔銀の行方の捜索であった以上、パーシリス伯爵との戦いは彼の敗北であった。
「だが、貴様らの主の思惑は必ず叩き潰してみせる」
言いながら、ランベールはパーシリス伯爵が最期に見せた、寂しげな顔を思い出していた。
彼は、傀儡師の末裔として生きることしかできなかったのだ。
ランベールはパーシリス伯爵の正体を知ってからは、人の好い外面はただの仮面であったと考えていた。
しかし、きっとそれだけではなかったのだろう。
そうでもなければ、傀儡師の最後の末裔になろうとはしなかったはずだ。
「……貴様のような人間は、もう生み出さない。俺は今度こそ八国統一戦争を終わらせる」
下層より、爆発音のようなものが上がった。
大階段の下より、炎が上がり始めていた。
パーシリス伯爵の部下が、彼の指示を受けて館に火を放ったようであった。
この程度の炎、ランベールにとっては問題ではない。
強引に突き進むまでであった。
恐らくパーシリス伯爵の狙いは、館を焼却することによって自分の痕跡を消し去り、自身が傀儡師であったという証拠を出さないためであろう。
同時に、ランベールに伯爵邸を焼き潰したという汚名を着せることもできる。
それは単にパーシリス伯爵を斬り殺したということよりも、人々の間に一層強く恐怖が伝搬しやすくなる。
ランベールは燃える大階段を歩き、一階層へと降り立った。
そのとき、死角から小さな影が斬りかかってきた。
ランベールはそれを容易く籠手で受け、弾き返した。
斬りかかってきた相手は背を燃える壁に打ち付けて座り込みそうになったが、すぐに立ち上がってランベールへと刃を向けた。
炭に塗れた小柄な剣士は、シャルルであった。
目を泣き腫らし、ランベールを睨みつけている。
無理もない。
パーシリス伯爵の話では、シャルルはパーシリス伯爵がドマに脅されていたと考えている、とのことであった。
命懸けで父親のために暗黒街ドレッダの支配者であったドマを捜していたのだ。
ようやくそれが報われたと思えば、父であるパーシリス伯爵と師であったトロイニアは死に、館は焼け落ちていたのだ。
「どうして……どうして、パパを殺したのっ! どうしてっ!」
シャルルが泣き叫ぶ。
「パーシリス伯爵は……」
パーシリス伯爵は、元伝説の策略家、傀儡師の末裔であったのだ。
暗黒街ドレッダを隠れ蓑にレギオス王国へ牙を剥き、領民を苦しめる死操術師のドマと協力し、そしてシャルルを生贄として使うために養子に取っていた。
そんなことは、とても伝えられなかった。
「……パーシリス伯爵は、もう用済みだ。『首無し魔女』のドマと同様にな」
シャルルは茫然とした顔でランベールを睨みつける。
握力を弱め、手にしていた剣を落としそうになった。
だが、すぐに強く握り直し、再びランベールへと斬りかかってきた。
ランベールは籠手で受け止め、今度は腕を大きく振って彼女を背後へと突き飛ばした。
シャルルの身体が宙を舞い、焼け崩れた残骸の中へと落ちる。
「シャルル様! いけません! 早く、ここを離れなければ……!」
駆けて来た私兵が、シャルルの身体を抱き起す。
ランベールは、男と目が合った。
彼は、パーシリス伯爵に剣を渡した男であった。
私兵の中には一般領民と、事情を知った上で『笛吹き悪魔』の一員としてパーシリス伯爵に与しているものがいる。
男は間違いなく後者であった。
ランベールは大剣の柄に手を当てたが、すぐに引いた。
彼らに背を向けて走り出した。
「待ちなさい、ランベール! ランベールッ! なんで……どうしてっ!」
シャルルの慟哭がどんどんと遠くなっていった。
後を追って来る私兵を、ランベールは打ち払って退ける。
人の住居の外れより、馬の嘶きが響く。
ランベールが向かえば、頭のない大柄の黒馬が主を待っていた。
ナイトメアである。
ランベールを追いかけて来た私兵達は、その威容に圧倒されて近づけずにいた。
ランベールはその間にナイトメアへと跨り、彼らを蹴散らしてパーシリス伯爵領を後にした。
どの道、既にパーシリス伯爵領でランベールの汚名を晴らすことなどできなかった。
パーシリス伯爵に関する情報は、火事と共に失われてしまった。
彼が『笛吹き悪魔』の人間であったという事実は、もう明るみに出ることはない。
シャルルにその重荷を背負わせる理由はない。
「……汚名を被るのも、慣れてしまったものだな」
ランベールはナイトメアの背で、寂しげにそう零した。
次に向かうのは王都であった。
恐らくは、そこで『笛吹き悪魔』との最後の決着をつけることになる。
そして……そこでまた、聖都ハインスティアで顔を合わせたグリフと、もう一度相見えることになる。
ランベールはそう確信していた。




