第三十八話 傀儡師③
「お前の剣技を亡霊の将へと見せてやれ、トロイニアよ!」
トロイニアが剣でランベールへと斬りかかって来る。
ランベールは大剣の刃の角度を付けて受け止め、彼の身体ごと宙へと跳ね上げる。
ランベールは続けて、身動きの取れない宙にいるトロイニア目掛けて、大剣の追撃を振るった。
不可避に見えた一撃を、しかしトロイニアは器用に足を上げて天井を蹴ることで自身を床へと弾き落して刃より逃れる。
そして同時にランベールの背後へと回り込んでいた。
ランベールは振り返りながら後ろへ退き、死角より放たれたトロイニアの刺突を避ける。
ランベールは無防備に伸ばされたトロイニアの腕を大剣で叩き落そうとした。
しかし、トロイニアは身体を側転させて寸前のところで刃より逃れ、そのまま床を蹴って背後へと跳んでランベールより距離を取った。
「以前に打ち合ったときは、わざと一方的に圧されて見せたということか。やってくれる、俺が剣の打ち合いで手を抜かれたのは、初めてであったぞ」
トロイニアは横に飛んで段差を軽やかに跨ぎながら、ランベールを剣で牽制する。
「大した剣の腕だ。この平和な世で、よくぞ錆び付かせずにそれだけの技量を保てたものだ」
ランベールの言葉に、トロイニアは黙ったままだった。
上から戦いを眺めているパーシリスが口を開く。
「トロイニアは、我が先祖がローラウル王国にいた時代より仕え続けてきた剣士の一族。いずれ来たるこのような日のためだけに、二百年間、これまで一子相伝で剣を伝え続けてきたのだ。トロイニアよ、お前も私も、その呪われた英雄を冥府へ送り返すために生まれてきたのかもしれぬな」
ランベールはトロイニアへと斬りかかる。
トロイニアは大階段の段差を自在に飛び回る様に移動し、ランベールの周囲を移動しながら大剣を避けていく。
ランベールが大きく振った隙を突き、素早く間合いを詰めて再び刺突を放つ。
ランベールは下がって躱しながら、トロイニアの刃を弾き、彼の隙を作ろうとした。
トロイニアは刃で弧を描くように回してそれを回避し、段差を跨ぎながら背後へ軽々と跳ぶ。
一見、斬り合いはトロイニアが優勢のようだった。
だが、ランベールを剣で牽制するトロイニアの顔は、恐怖と焦燥より青白くなり、細かく汗が噴き出していた。
時間にしてほんの数秒にしか満たない戦いであったのに、既にトロイニアは満身創痍の様子であった。
トロイニアは剣技に秀でていたからこそ、ランベールとの格の違いを理解してしまったのだ。
今の立ち合いで、自分の刃は絶対にランベールには届かない、届かせる術がないと、明確に突きつけられてしまっていた。
トロイニアは剣士として優れた読みを持っていた。
打ち合いを重ねれば重ねるほど、どう動けば相手がどう対応するのか、それが鮮明に見えてくるのである。
しかし今は、その優れた読みが彼を動けなくしていた。
彼の眼には、自分がどこから斬り込んでも、即座にランベールに斬り殺されるのが見えていたのだ。
最初はトロイニアも、どうにかランベールの刃が追い付けない位置を探って斬り込めていた。
しかし、それらもまるで届きそうな手応えを感じられてはいなかった。
おまけに斬り合いを重ねれば重ねるほど、ランベールの動きが鋭くなっていく。
それは、ランベールがトロイニアの動きを見切り始めていることを意味していた。
トロイニアの最大の武器であった剣士としての読みでさえも、圧倒的にランベールの方が上であったのだ。
トロイニアは、ランベールが自身よりも剣の技量、速さ、膂力に優れていることは、最初からわかりきっていた。
その上で、自身の最大の強みであった読みでさえ劣っているのであれば、たとえ何度挑もうとも自身では絶対にランベールには敵わない。
「見事なものだ。それだけやれれば、八国統一戦争時代にも将として活躍できたであろう。相手が俺でなければな」
ランベールが大剣を僅かに引き、構えを変えた。
トロイニアの額に大粒の汗が垂れる。
彼は、ランベールが攻めへと切り替わったのを感じていた。
「……申し訳ございません、当主様よ」
トロイニアはそう呟くと姿勢を低くし、正面から一直線にランベールへと斬り込んだ。
最早、小細工は意味がないと判断しての選択であった。
トロイニアは身体全身を捻りながら飛び、最速の刺突技を放った。
技の後の体勢を一切考えない、格上を殺すための捨て身の剣であった。
超速度で放たれた剣先が、ランベールの胸元へと迫る。
ランベールはそれを超える速度で大剣を振るい、トロイニアを迎え討った。
トロイニアの手にしていた剣の刃が砕け、彼の身体が上下に分かたれた。
トロイニアの下半身が大階段の段差を、血を垂らしながら転げ落ちていく。
上半身は刃の砕けた剣の柄をランベールの鎧に押し当て、だらりと大階段の段差に落ちた。
パーシリスは大階段の上で目を瞑り、手を叩いて簡素な拍手を送った。
「見事な戦いであったぞ、トロイニア」
それから目を開き、隣に立つ私兵へと手を伸ばす。
「剣を貸してくれ。それから、お前達は別階段から外に逃れよ」
「しかし、パーシリス伯爵様を置いては……」
「お前達にはまだ、やるべきことがある。奴も雑兵を狩っているほど暇ではなかろう」
「申し訳ございません、パーシリス伯爵様……」
私兵の片割れが剣をパーシリス伯爵へと手渡す。
パーシリス伯爵が剣を受け取ると、二人の私兵は別の方へと逃げて行った。
パーシリス伯爵は剣を抜き、その刀身をまじまじと睨んだ後、大きく息を呑んだ。
「貴様、何を……!」
ランベールが大階段を上りきるよりも先に、パーシリス伯爵は自分の胸部へと刃を突き刺した。
パーシリス伯爵は血を吐いて自身の豪奢な服を汚し、刃が刺さったままよろめき、壁へと倒れるように凭れ掛かった。
自身の血で汚れた服へと目を落とし、満足げに目を細める。
それからゆっくりとランベールを見上げた。




