第三十六話 傀儡師①
ランベールは暗黒街ドレッダを出て、頭部のない愛馬ナイトメアに跨って地を駆けていた。
目指すはパーシリス伯爵邸であった。
パーシリス伯爵領は、危険な魔獣の溢れる山岳が中心地となっている。
通常、移動は山岳を避けるために大回りする必要があるが、ランベールは山岳部を直進して最短で移動することができる。
そのため、先に向かったシャルルよりも先にパーシリス伯爵邸へと辿り着くことができるはずであった。
ランベールはパーシリス伯爵領内において情報収集を行っていたが、ドマに繋がる情報しか得ることができていなかった。
そのため、この領地に目を向ける発端となった買い集められた大量の魔銀の行方も、当然ドマの研究施設にあるはずだと睨んでいた。
貴族の領内において、完全に気配を消しながら戦争の準備を進めるなど、どう考えても不可能であるからだ。
だが、ドマの研究施設にはなかった。
そしてこの事件の調査の中で浮かび上がった断片的な違和感が繋がり、一つの事実を示していた。
ドマは本命ではなかったのだ。
国の目が届かないこの地で、匿われていたに過ぎなかったのだ。
パーシリス伯爵領を支配している人間は別に存在する。
そしてそれは、伯爵邸にいるはずであった。
ランベールがパーシリス伯爵邸付近に到着したとき、辺りはすっかりと暗くなっていた。
愛馬のナイトメアと別れ、一人薄暗い街を駆けた。
「考え過ぎであってくれれば、よかったのだがな……。ドマの研究室にあった魔銀は、単に倒壊で埋もれてしまったのだと、そうであればどれだけ良かったことか」
ランベールは呟きながら足を止める。
家屋の影から、十人ほどの兵が現れた。
以前に見た顔であった。
パーシリス伯爵の私兵である。
彼らは皆、今すぐにでも武器を手にしかねない、剣呑な様子であった。
柄に既に手を掛けている者もいる。
「何の用か聞いておこう」
「……兜を、取ってもらえるか? 貴殿が『笛吹き悪魔』に与する者だ、という情報が流れている」
「それはできんな」
ランベールの言葉に、周囲の私兵達が剣を抜いた。
「その話を最初に口にした者は、誰だ? 言い始めた者がいるはずだ。そして……その人間こそが、『笛吹き悪魔』に関与している」
今そんな情報を流す人間は『笛吹き悪魔』側の人間に間違いなかった。
ランベールが兜を外せないことを知っている者は、そう多くない。
『笛吹き悪魔』の八賢者か、彼らと接触する機会のある人間だとしか思えない。
何者かが、ランベールをこの都市で処分することはできないと判断して、自身の影響力の及ぶこの領地から追い出そうとしているのだ。
恐らくは、これ以上消えた大量の魔銀の調査を進めさせないためである。
「パーシリス伯爵か? トロイニアか? それとも、伯爵に別の側近がいるのか?」
「じっ、自称ランベールめ! まさか、貴様が『笛吹き悪魔』の人間であったとは!」
兵達が斬りかかってきた。
どうやら彼らから聞けることはここまでのようであった。
兵達は、パーシリス伯爵領と『笛吹き悪魔』の関係性を知らない。
ランベールは籠手で剣を受け止めた。
そのまま大きく腕を振るい、向かってきた三人を纏めて弾き飛ばし、彼らを押し退けて駆けた。
無辜の民を斬ることは己の信条に背く。
彼らを殺すわけにはいかなかった。
彼らを振り切ったランベールは、そのまま街を駆け、パーシリス伯爵の館へと突入した。
襲い来るパーシリス伯爵の部下を突き飛ばして気絶させ、館に入り込んだ。
「どうしましたかな、ランベール殿。こんな夜更けに、私の館を訪れるとは」
大きな階段の前に来たとき、上から声が聞こえて来た。
初老の小太りの男が、手摺に手を掛けて立っていた。
パーシリス伯爵である。
人の好さそうな丸い目が、冷たくランベールを見下ろしていた。
伯爵の両側には、彼の私兵が立っていた。
魔銀が隠されているのは、まともに領主の目が届かない暗黒街ドレッダであると、ランベールはずっとそう考えていた。
いくらパーシリス伯爵が政務に疎いとはいえ、彼の目を盗んで行動するのには限度がある。
暗黒街ドレッダを利用しなければ、物資を動かすにも、人を動かすにも、領主である彼に筒抜けになってしまうからだ。
だが、いたのだ。
貴族の領内において、極力気配を隠しながら、好き勝手に戦争の準備を進めることのできる位置にいる人物が。
それはパーシリス伯爵本人である。
ランベールは調査をしている中で、暗黒街ドレッダは何者かによって意図的に生み出されたものであると、そう確信に至っていた。
そして、暗黒街ドレッダはこれまで巧妙に守られ続けて来ていた。
それは『首なし魔女』ことドマの手によってである、というのが地下闘技場に踏み込むまでのランベールの考えであった。
実際にドマと対峙してから、その線は有り得ないと、ランベールはそう結論付けていた。
ドマは傲慢で身勝手で、自身の研究と名声、娯楽にしか関心のない人物であった。
そんな人間が、手間暇を掛けて暗黒街ドレッダを築き上げたとはとても思えないのだ。
また、あのドマに、策を練ってパーシリス伯爵家を縛り続けるような手腕があるとも考えられなかった。
そして何より『笛吹き悪魔』がドマに信頼を置いていたとは思えなかった。
実際、ドマは死を目前にして、身勝手な理由で暴走を始めたくらいである。
重要な戦力をドマに預けるのであれば、彼女に対する監視役が存在して然るべきであった。
仮にパーシリス伯爵が黒幕であれば、全てのことに説明がつくのだ。
彼が『笛吹き悪魔』側の人間であったとしても、馬鹿正直に禁魔術師を抱え込んで好き勝手に動いていれば、必ず足がつく。
王国側に彼が怪しいことを行っていることは筒抜けになる。
だから敢えて無能を装い、その上で周到に暗黒街ドレッダを築き上げて『領内の全てを見通すことができなくてもおかしくない状況』を作り出した、とも考えられる。
これまでドマへと向いていたはずのあらゆる情報が、今は全てパーシリス伯爵へと繋がっていた。
「貴様が『笛吹き悪魔』と繋がっていたとはな、パーシリス。ただの臆病者かと考えていたが、とんだ食わせ者であった」
ランベールの言葉にも、パーシリス伯爵は表情を変えなかった。
ただ無表情に彼を見下ろしていた。
彼の周りに立つ兵も、この状況にも物怖じせず、ただ静かに立っているのみであった。
彼らはパーシリス伯爵の裏の顔を事前に知っていたようであった。




