第三十五話 首なし魔女ドマ⑨
ドマとの決着の後、ランベールはシャルルと共に通路を駆け、闘技場の舞台へとまず戻った。
闘士として連れて来られた者達や、ドマに強引に観客として連れて来られていた者達を集め、彼らを率いて崩れる地下闘技場から脱出を図った。
地下闘技場全体が崩壊しつつあったためか、檻に入れていたらしい大量のアンデッドが通路に溢れかえっていたが、ランベールは強引に大剣で斬り伏せて突き進んだ。
無事に地上に逃れてからは入口に立ち、外へ出ようとするアンデッドを数時間に及んで一人でせき止めていた。
アンデッドが尽きるより先に、ついに地下闘技場全体が土の中に沈むこととなった。
その頃には、共に脱出した暗黒街の重鎮達はとうにランベールから逃げ去っていた。
共に逃れた闘士として連れて来られた人達に加え、何事かと集まった暗黒街の野次馬達で周囲は溢れていた。
「もう、本当にダメかと思った……十回くらい死んだかと思った……」
崩れた地下闘技場を後にしたランベールとシャルルは、既に人混みを離れ、大通りの端で休息を取っていた。
シャルルはぐったりとした様子で捨てられたらしい木箱の上に座り、水入れに口をつけていた。
「アンタ……本当に何者なの?」
シャルルの問いに、ランベールは黙ったままであった。
シャルルはそんなランベールの不愛想な様子に少し頬を膨らせた後、相好を崩して安堵したように微笑んだ。
「……これで、ここもちょっとは、平和になるのかなぁ。フフ、パパにいっぱい心配かけちゃっただろうから、そろそろ帰らなきゃね。今度ばっかりは、長らく外に出られなくなっちゃいそうかも」
シャルルがわざとらしく、うんざりしたように言う。
「ね、ランベールさ、ウチに来てよ! 旅の途中だって言ってたけど……ちょっとくらいいいでしょ? このアタシを助けたんだから、パパからいーっぱいお礼貰えるわよ! じゃんじゃん毟り取ってあげて頂戴! それでさ、アタシにちょっと稽古つけてよ! 外に出られなくなるから、きっとしばらく暇になるもん。師匠、すっごいむっとした顔しそうだけど」
シャルルが笑う。
シャルルの剣の師は、パーシリス伯爵に仕える老剣士トロイニアである。
ランベールには敵意を見せており、一度剣を交える寸前まで行ったことがある。
シャルルが一度でもランベールに剣を教われば、いい顔をしないことは容易に想像がついた。
「……俺は向かう先がある。もう、あの街へは向かわん。お前一人で帰るがいい」
「え……で、でも、改めてお礼もしたいし……パパだってきっと、またランベールに会いたがると思うし……」
「急ぎの用事がある」
ランベールは冷淡な声色でそう返した。
「そ、そうなんだ……。ねえ、どうしても、ダメなの?」
シャルルがじっと上目遣いでランベールを見上げる。
だが、ランベールは沈黙するばかりであった。
「……じゃあ、ここでお別れになるのね。本当に……ありがとうね、ランベール。いつでもいいから、何十年後でもいいから、きっとまた、パパの屋敷を訪れに来てね。……その頃には、もしかしたらアタシの屋敷になっているかもしれないけれど」
シャルルが悪戯っぽく笑う。
ランベールはその言葉にも何も返さなかった。
シャルルはランベールの様子に不安げに眉を顰めたが、すぐにまた笑顔に戻った。
「それじゃあ、また、ね、ランベール。アタシ……きっとまたいつかランベールに会えるのを、楽しみにしてるから!」
シャルルは木箱から立ち上がり、軽くズボンの土埃を払った。
「……シャルルよ」
ランベールはそこでようやく言葉を発した。
「伯爵家の……祖父側の親族、前代の領主の兄弟がどうなっているのか、知っているか?」
「え……う、う~ん……お爺様は……アタシがその、養子に入ったときにはもう亡くなっていらしたの。それに……ランベールは怒りそうだけど……パパ、あんまり領主としての職務や、家の話をするのが好きじゃないから……」
シャルルは誤魔化すように笑い、それから額に手を当てる。
「でも……パパがもし亡くなったときは、特例で祖母側の血筋の家に話が行くかもしれないって聞いたことがあるわ。多分……お爺様、男兄弟がいなかったんじゃないのかな……?」
「祖父も、か」
ランベールが呟く。
「ねぇ、ランベール。それがどうしたの?」
「…………なんでもない、とっとと行け」
「う、うん。わかった。本当に……ありがとうね、ランベール」
シャルルはランベールへと頭を下げ、その場から去って行った。
貴族家において、男兄弟が一人しかいないというのは本来異常事態である。
パーシリス伯爵も一人ではあるが、昔から一人だったのではなく、事故死が相次いだ結果だという話であった。
ドマが領地を支配するために暗殺して、扱いやすい人物を領主に添えたのだとランベールは考えていた。
しかし、二代続けてとなると、ランベールの中に引っかかるものがあった。
無論、ドマはあの奇怪な身体で半不老となっていた。
前領主の代からこの地を支配していてもおかしくはないので、単に同じ策を取っただけなのかもしれない。
だが、ランベールは別の可能性を考えていた。
そしてこれは、その答え合わせのようなものであった。
今回の事件において、引っ掛かることは数点あった。
結局ドマの地下闘技場兼研究施設から、パーシリス伯爵領を中心に買い占められていたはずの大量の魔銀は出てこなかったのだ。
シャルルの動向についても不穏な点が複数あった。
ゴロツキを軽く往なせる程度の剣術は持っているようだったが、彼女程度の剣士は別に珍しくはない。
そんな彼女が、暗黒街ドレッダや『首なし魔女』の情報をあれだけ有していたのも奇妙であったのだ。
実際、この地の情報屋も、シャルルのその点を不気味がっていた。
シャルルは目的をかつての親友の救出だと語っていたが、今も気丈に振る舞えていた様子から、彼女の死は既に覚悟していたようだった。
いくら無鉄砲なシャルルとはいえ、死者のために暗黒街ドレッダに何度も調査に向かっていたとは考え難い。
本来、それについてランベールは、地下闘技場を脱してからシャルル本人に追及するつもりだった。
また、シャルルを助けたことを足掛かりにパーシリス伯爵に近づき、この領地についてももう少し踏み込んだ調査を行うつもりであった。
だが、最早、それを行う必要もなくなっていた。
シャルルとドマ、ドマの研究施設の様子から、既にランベールの中で、それらの疑問の答えは出ていた。
「……すまない、シャルル」
ランベールは大通りの端で一人、そう呟いた。




