第三十四話 首なし魔女ドマ⑧
「死になさぁい!」
ドマの巨腕が振り乱される。
ランベールは大剣の鞘で受け、勢いを利用して背後へ跳ぶ。
そのままシャルルを抱え、ドマの腕より逃れた。
周辺のアンデッドが一気に薙ぎ払われていた。
ランベールからしてみれば、今のドマの速度は大したものではない。
だが、精霊を纏って膨張した質量による純粋な力と、圧倒的な規模によるリーチの差は覆しようがない。
攻撃しようにも、元より耐久力に特化した身体を持つドマが、異界へ帰還できなくなった暴走した精霊の身体を鎧として纏っているのだ。
今のドマを正攻法で殺し切るのは不可能に近い。
ランベールは床にシャルルを置き、素早く大剣をドマへと向ける。
すぐにドマは追撃してくるかと考えたのだが、ドマは動かなかった。
ドマはその大きな腕で、薙ぎ払ったアンデッドの残骸を掴み、大きな口を開けてその中へと放り込んだ。
「美味しい、美味しい、美味しいわあああああ! こんなに美味しいものがあったなんてえええええ!」
ドマがアンデッドを喰らうたびに、その身体が歪に膨らんでいく。
張った身体の表面に、喰らったアンデッドの顔や身体の輪郭が浮かんでいた。
ただでさえ精霊の鎧を持つドマの身体を、更に分厚くアンデッドの肉が補強していく。
「うぷっ……」
シャルルはドマの異様さと恐怖に吐き気が込み上げ、口許を覆いながらその場に座り込んだ。
「あ、あんなの、人間がどうにかできる存在じゃない……」
「取り込まれた精霊が納得しているわけがない。いずれはあの身体も崩壊する。それに、あの様子……既に知性が薄れている。決して、隙がないわけではない」
ランベールの言葉通り、ドマはランベール達を無視して、周囲のアンデッドを喰らい始めていた。
継ぎ接ぎされた精霊の鎧にドマの精神が追い付かず、理性が溶けかかかっているのだ。
「だが……知性が欠けていることを考慮しても、準最高位精霊級といったところか」
ドマの背から、アンデッドの残骸を強引に繋ぎ合わせたかのような巨大な尾が伸びた。
巨大な鞭のようにランベールへと放たれる。
ランベールは左腕でシャルルを抱え、大剣の腹で肉の鞭を受けて横へと飛ぶ。
直撃を受ければ、ランベールとて無事では済まない。
受け流し続ける他になかった。
「貴方達は、どんな味がするのおおお!」
ドマの巨塊がランベール達へと迫って来る。
「ラ、ランベールだけでも逃げて……。アタシを庇いながらあの怪物から逃れるなんて、絶対に無理よ」
シャルルが弱々しく口にする。
足腰が震えている。
もう彼女は、恐怖でまともに歩くこともできそうになさそうであった。
「逃げれば、ドマは宣言通りに領地を荒らすつもりだろう。いつまであの身体を保つつもりなのかは知らんが……少なくとも、暗黒街は無事では済むまい」
「で、でも、じゃあ、どうするつもりなの……?」
「奴は、ここでどうにかする他ない。少々賭けになるがな」
「あんなの、手が付けられるわけないじゃない!」
シャルルが叫んだのと、ドマが宙へ跳んだのは同時だった。
ランベールはシャルルを抱え、逆側へと駆ける。
さっきまでランベールの立っていた位置へと、ドマの巨大な拳が突き刺さる。
着地したドマの、背に着いた眼球がランベールを捕らえる。
素早くドマは振り返りランベールを追いかける。
ランベールは壁際を駆けた。
ドマの拳が叩き込まれるのを寸前で避け、ときに受け流す。
「どうして? どうして追いつけないの? ドマはこんなに天才なのに!」
ドマの拳が壁を崩していく。
「『笛吹き悪魔』め……ロクでもない化け物を抱え込んだな。死操術師などロクな人間がいないが、中でもこいつは頭一つ抜けている」
ドマの役割は、王都に近いパーシリス伯爵領の暗黒街ドレッダに『笛吹き悪魔』の戦力となるアンデッド兵を蓄えることであったはずだ。
『血霧の騎士』とのやり取りからもそれは間違いない。
だが、追い詰められたドマは、憂さ晴らしにパーシリス伯爵領で暴走することを選んだ。
冒険者の都バライラや聖都ハインスティアと違い、パーシリス伯爵領に戦力としての価値があるとは思えない。
『笛吹き悪魔』としても、この暴走は自身らの戦力や計画を露呈させ、王国側を無意味に警戒させる結果にしかならないはずなのだ。
間違いなくドマの独断による行動である。
ドマは敵としても無論厄介だが、味方であるはずの『笛吹き悪魔』からしても迷惑この上ないはずであった。
ランベールとしては犠牲を出す道を選ばないが、戦略としては敢えてドマを放置してパーシリス伯爵領で暴れさせ、王家に情報と警告を与える、という手もあるくらいだ。
「そうだわ、そうよ、腕の数が足りないのよおおお!」
ドマの巨塊から、新たに二本の巨大な腕が伸びる。
ドマの四つの腕がランベールへと激しく殴り掛かる。
ランベールはシャルルを抱えたまま腕を避ける。
ランベールは常に壁際を逃げ回っている。
壁があるためランベールの逃げ場が限定されるが、リーチの長すぎるドマもまた攻め辛いのだ。
大広間が揺れ、天井から無数の瓦礫が落下してきた。
ドマの身体にもいくらか当たっていたが、一瞬動きを止めたものの、まるで堪えていない。
あまりに頑丈すぎる。
「か、壁側は駄目よ。このままじゃ、あいつの怪力でここが先に崩れちゃう……」
「だからこそだ」
ランベールは自身の大剣を背負う。
代わりに床に落ちていた、アンデッドの一体が武器として持たされていた大きな斧を拾い上げる。
ドマがまた殴り掛かって来る。
ランベールは壁を三歩登り、大きく蹴ってドマの上へと跳んだ。
ドマの上を駆けて反対側に降り立つ。その際に、ドマの尾を目掛けて大斧を大きく振りかぶり、床へと叩きつけた。
ドマの尾越しに、大斧が床へとめり込んだ。
だが、ドマは全く反応を示さない。
最早今のドマにとって、仮に尾の一つが千切れようとも大した負傷ではないのだ。
そのとき、また大広間全体が激しく揺れた。
シャルルはランベールに抱えられながら、大広間全体へ目を走らせる。
大広間を支えている壁の大柱が、全てドマによって損壊させられていた。
いや、ランベールが壁端を駆けて、敢えて大広間の柱を崩させていたのだ。
こうなれば、地下深くにあるこの大広間が無事で済むわけがない。
ランベールはドマが暴れたことによって生じた壁の空洞から、別の部屋へと続く通路へと逃れた。
「待ちなさああああい!」
ドマが後を追いかけようとしたが、その巨体が途中でがくんと止まった。
ドマが振り返り、自身の尾を地面に打ち付けている大斧の柄へと腕を掛けた。
「面倒な、ことを、をををを……」
だが、ドマがそれを引き抜くより先に、崩れた大広間の天井の残骸が、その巨体を貫いていた。
ドマが前のめりに倒れる。
その上に、続けて瓦礫の槍が、雨の如くドマへと降り注いでいく。
今のドマは巨大で、その質量相応の怪力を有している。
だが、大きければ大きいほど、その上に圧し掛かる瓦礫の量も増えるのだ。
こうなってしまえば、最早容易には抜けられない。
「ドマは、こんなところで終われな、いいいい……ドマは、ドマぁああっ! ドマは、ドマは天才なのに! ドマは、ドマはあああああ!」
ドマは身体を瓦礫に押さえ付けられながらも、ランベールへと腕を伸ばした。
だが、その姿も瓦礫に埋め尽くされ、じきに見えなくなった。
ランベールはシャルルを抱えながら走り続ける。
崩壊の余波は、大広間を中心に広がりつつあった。




