第二十一話 地下迷宮の主⑦
「ランベールのおっさん、足早えよ……」
「……あんなに重そうな鎧、装着してるのに」
ロイドが愚痴を零せば、リリーもがっくりとしたように肩を落とす。
リリーは半身だけ振り返って後方を睨み、長いローブの袖で額の汗を拭った。
フィオナ達一行は、三階層奥へと消えたランベールを追って必死に走っていた。
しかし三階層ではせいぜいオーガが一番強い部類の魔物であり、それもそう多く生息しているわけではない。
ランベールの足止めをできる魔物はほとんどおらず、彼はフィオナ達一行を置き去りにどんどんと先へ先へと向かっていた。
「リリー、追ってきている方達はどうですか?」
「魔物に結構、気を取られてるみたい。でも、後ろの道を確実に潰しながら動いてる。数もかなり多いし、私より感知ができる人もいそうかも。ただの盗賊だとは思えない。裏ギルド……なのかな」
「どうにか撒いて逃げるというのも、難しそうですね。とりあえず今は、ランベールさんが通ったであろう道を追いかけていくしか……」
魔物の派手に斬り殺された死体が残っているので、ランベールを追うこと自体は難しくなかった。
時折魔物が他の魔物の死体を喰らっている場面には遭遇するが、そういった魔物はフィオナ達をちらりと遠目に牽制しつつも、死体の方に熱心で彼女達へと襲い掛かってくることはなかった。
フィオナ達一行は三階層を駆け抜けて、やがて開きっぱなしにされた大きな扉の前で足を止めた。その先をゆっくりと覗き込んで、顔をさぁっと青褪めさせた。
扉の奥は、更なる地下へと続く大きな階段となっていた。
「お、おい冗談だろ……」
ロイドが顔を引き攣らせる。
地下四階層は『黒い影のような形を変える魔物』が守っており、このアインザス地下迷宮が発見されて以来ただの一度もそこを乗り越えた冒険者はいないという、曰くつきの場所である。
ロイド達のような二流冒険者が足を踏み込んでいい所では決してないのだ。
ランベールとて協調性がないわけではない。
現代の常識がまるで身についていないために時折奇行と判断され得る行動を取ることはあるものの、空気が読めないわけでもない。
今日はフィオナ達一行に合わせるつもりであったし、彼女達の反応から地下四階層に行きたがっていないことは重々承知していた。
しかしランベールは、賢者ドーミリオネの紋章を見つけた手前、引き返すわけにはいかなかったのだ。
ここが賢者ドーミリオネの研究施設だというのならば、危険な魔術式や兵器が地下に眠っていてもおかしくはない。
決してそれらは明るみに出すわけにはいかない。
一日でも早くに見つけ出し、自らの手で処分する必要があった。
そのためフィオナ達を早々に返し、自分だけでこっそりとアインザス地下迷宮を攻略するつもりでいたのだ。
「む、無理だろ!? さすがに無理だろこれ! え、ほ、本当にこっちに行っちまったのかよランベールのおっさんは!」
「でも、ランベールさんだったらどうにかしてしまいそうな気も……」
「ギルド『魔女の燭台』が二十名掛かりで入って、誰一人帰ってこなかったって事件が以前にあったのを知らないわけじゃねぇだろ!? 小人数で無計画に突っ込むところじゃねぇんだよ!」
ギルド『魔女の燭台』は少し前まで都市アインザス内において三番目に大きなギルドであった。
優秀な魔術師が揃っており、単に冒険者ギルドとしてではなく、魔術研究団体としてもレギオス王国全土に名を知られていた有名なギルドであった。
とはいえそれはもう、過去の栄光に過ぎない。
『魔女の燭台』は半年前に大掛かりなアインザス地下迷宮の地下四階層攻略に乗り出し、万が一の時には早々に撤退する準備まで進めていたにも拘わらず、誰も帰ってくることはなかった。
幹部の過半数を欠くことになった『魔女の燭台』はその後解体へと追い込まれた。
「俺は行かねぇぞ! 行かねぇからな! ひ、引き返すんだ! どっかに隠れて……そうだ、他の魔物と便乗して突っ込んだら、案外抜けられるかもしれねぇ!」
ロイドは頑なに地下四階層以外の助かる道を模索していた。
そのとき、目を瞑って杖を立てていたリリーが、杖を降ろしながら目を開けて、ゆっくりと首を振った。
「……例の奴ら、複数の通路からこっちに来てる。このままじゃ、確実に包囲される。考えてる時間も、あんまりないかも」
「は、はぁ!?」
フィオナは呼吸を整えてから二人へと振り返った。
それから小さく頷いてから剣を抜いて手に構え、二人の確認を取ることなく地下四階層の階段へと走った。
最早話し合っている猶予はない。
フィオナは結論を言葉でロイドに説得するよりも、行動で示した方が今はいいと判断したのだ。
リリーもフィオナの決断を見て、即座に彼女の後を追いかけ始めた。
「あっ!?」
ロイドが手を伸ばすがリリーへは届かない。
ロイドは階段の正面へと立ち、駆け下りていくフィオナとリリーを見て、がっくりと肩を落とした。
それからだんっと乱暴に床を踏みしめる。
「くそっ、くそぉっ! 行けばいいんだろ、行けばよ!」
こうしてフィオナ達三人は半ばやけくそで階段を駆け下りて、ランベールのいる地下四階層へと向かった。
階段を降りた先は大部屋となっていた。
すでにランベールが輝石を反応させた後らしく、辺りはすっかりと明るくなっていた。
今までは朽ち果てた古い遺跡そのものといった内装であったのだが、地下四階層は今までとは景色が変わり、せいぜい少し古い宮殿といった調子であった。
壁には細かい模様があれこれと彫られているが、その細かい模様の大半はよく見れば手のような花弁が伸ばされた花であったり、片目だけ大きな魔物であったり、割れた卵から翼が見えているようなものであったりと、とにかく不気味なものばかりであった。
床には、足首まで濡らす程度に浅い水が張り巡らされていた。
フィオナ達は困惑していたが、ランベールの姿がすぐに見つかったためいくらか安堵した。
ランベールは、大きな広間の真ん中で棒立ちになり、剣をだらんと構えていた。
「ランベールさん?」
フィオナが近づこうとしたとき、ランベールへと勢いよく黒い影が飛んでいくのが見えた。
恐ろしく速い。ほぼ目視できない速度で、ランベールの横を駆け抜けていく。
「あ、あれが、噂の……」
『黒い影のような形を変える魔物』……地下四階層の死神に間違いなかった。
「ラ、ランベールさん、無茶です! 戻ってきてください!」
ランベールへと目がけて、黒い影が再び飛ぶ。
ランベールが神速で大剣を振るう。影は真っ二つに切断されて黒い飛沫をあげながら地面へと落ちた。
大剣の衝撃で周囲の水が跳ね上がった。
「きゃあっ! や、やりましたか!?」
だが黒い影の断片の片割れは、地面に落ちるとすぐに再び跳ね上がってランベールへと迫った。
「そ、そんな、死なないなんて……!」
「おっさん! 逃げて来い!」
ランベールは大剣を最大まで振り上げて、腹の方から斜めに一気に振り下ろした。
黒い影が、ランベールの大剣に押し潰されてパァンと弾けるような音が鳴った。
水飛沫が上がり、ランベールの姿が見えなくなる。
飛沫が収まると、黒い影の姿はもうなくなっていた。
「こ、今度こそ、やったのですか……?」
ランベールはその場にしゃがみ込み、手に潰れた内臓のようなものを掴んで持ち上げた。
「スライムだ、これが核だな。少しばかり素早かったのでひやっとした」
「あ……一応驚いていたのですね」
フィオナからはランベールがただ単に冷静に叩き潰したようにしか見えなかったのだが、一応は驚いていたらしいと聞いて、なんとなくほっとしていた。
(あんなに化け物染みた強い人でも、驚くことがあるんだ……。やっぱり、同じ人間なんですね。ちょっと安心しました)
否、アンデッドである。
「お、おっさん、そ、それ、突然変異したスライムなのか……?」
「いや、俺は人の手で改造されたスライムだと睨んでいる。普通のスライムならば、核でないにしろ身体の半分を失えば、しばらくは運動機能が大幅に低下する。即座にそのままの速度で跳ね上がることができるというのは、突然変異と捉えるのにはどうにも都合がよすぎる」
ランベールの言葉に、リリーが目を見開いた。
「そ、そんな! 魔物を造るなんて、神や悪魔のような領分……」
「そこに足を踏み入れた愚か者がいたのだろう。これよりももっと危険なものが隠されているかもしれん以上、俺は退くことはできん。このレギオス王国の未来のためにも、あのような魔物を放置しておくわけにはいかぬ。一刻も早く処分せねばならん」
ランベールは大剣を地面へと下ろし、フィオナ達へと振り返った。
「お前達、なぜついてきた。戻れと言ったであろう」
「いえ、後ろから妙な連中がつけてきていたようで……その……」
「……ああ、そのせいか」
ランベールもアンデッドの特性で、動物の生命力を感じることができるため、彼らの位置は把握していた。
何か妙な連中が、散らばりながら迷宮内を進んでいると。
だが、取るに足らない相手だろうと考えていたため、さほど警戒してはいなかった。
それよりも賢者ドーミリオネのことで頭がいっぱいであったのだ。
「もう少しでこっちの用は片づける。それまで俺から離れるなよ」
「こ、心強い……」
ロイドは、こともなげにあっさりと言ってのけたランベールの力強さに驚かされた。
正体不明の魔物が生息するダンジョンの中に立ち、戦力不明の敵が集団でこちらを包囲しようと動いているというのに、ランベールからは一切の恐怖や驚きの感情が感じられない。
「すいません、御迷惑をお掛けします……」
「構わん。俺も少々気が立っていて視野が狭くなっているよう……む?」
ランベールは途中で言葉を区切るとすっとリリーへと飛び掛かり、彼女の肩を掴んで逆の手でリリーの顔の横を殴り抜いた。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!」
普段口数が少ないリリーもこれにはさすがに悲鳴を上げた。
彼女の髪が、ランベールの拳圧で乱れる。
ランベールが引いた腕は黒い液体に濡れており、その手には例のスライムの核が握り潰されていた。
「下の水の中に潜んでいるものもいるようだ。待機状態に入っている間は少々気配も掴みにくい、かなり固まって動いた方がよさそうだな」
「…………」
リリーがこくこくと無言で二度頷いた。
ランベールは周囲に意識を張り巡らせながら、先へ先へとまた歩いていく。
「ランベールさん、一旦地上、上がってほしい……」
リリーがランベールの背へと声を掛ける。
ランベールは半身ほど振り返ると、小さく首を振ってまた前へと向き直した。
「悪いが、ここに踏み込んだのを迷宮の主に悟られたくはない。万全の準備に出られては、まず突破することは不可能だろう。奴の意志を継ぐ者がいるのか、単に研究所を利用している奴がいるのか、ただ魔物が暴れているだけなのかはわからんが……最悪を考えれば、今日の内に終わらせてしまいたい」
言い終わると、再び進路へと歩み始めた。
「これ……戻った方が、生還率高いかもしれねぇな……」
ロイドはランベールの背を眺めながら、半ば諦めたようにそう呟いた。




