第二十一話 闘技場⑤
ランベールは初戦のディオネートに続き、難なく二戦目を突破した。
続いて決勝進出を掛けた三戦目へと出ていた。
……だが、戦いの相手が舞台へとなかなか現れなかった。
「俺はごめんだ! あんな化け物と戦いたくない!」
ランベールの三戦目の相手、ローブの魔術師の男がマゴットの部下三人を前に騒いでいた。
『狂魔術師』の二つ名を持つロズである。
一戦目、二戦目は華麗に炎の魔法で対戦相手を沈めて来たロズであったが、ランベールを前に戦いの舞台へと立つ気概は彼にはなかった。
無理もない。
ランベールはロズと戦う前の二戦を、どちらも体当たりのみで終わらせている。
ロズも一戦目のランベールの戦いを見たときはまず彼の豪速にどう対応するかを考えていたのだが、二戦目のランベールの対戦相手も一瞬にして観客席へと吹き飛ばされたのを見て、戦いの立ち回り云々でどうにかなる相手ではないと悟っていた。
「諦めろロズ、ここに来た時点で、お前に戦う以外の道はないのだよ」
マゴットが部下越しに声を掛ける。
「嫌に決まっているだろうが! 進んで絞首台に登り、輪に首を掛ける囚人などいるものか! 棄権だ! 俺の負けでいい!」
「いいか、ロズ、この闘技場に棄権はない。どちらかが死ぬか、私がお情けで止めてやるまで続く。余程白けない限りは後者でいいと思っていたが、今回は前者になるかもしれんぞ」
「ふざけるなマゴットォ! 何が地獄から蘇ったランベールだ! あの化け物はなんだ? 一体、どこから連れて来た!」
ランベールはロズへと顔を向ける。
ランベールも力を大分落として弾き飛ばしたので、前に戦った二人も死んではいないはずであった。
しかし、ランベールからそれをロズへ伝えたとして落ち着いてもらえるとも思えなかったので、ランベールはただ黙って舞台の上に立っていた。
「いつまで待たせるんだチキン野郎が!」
「とっととぶっ殺されちまえ! もう決勝までは消化試合なんだよ!」
観客席はロズへの口汚い罵倒が響いていた。
「クソ共が……他人事だからって、滅茶苦茶いいやがって……! テメェら全員、俺がここを出たらぶっ殺してやる!」
ロズが観客達へと吠える。
「いい加減にしろ! 腕切り落として、舞台に蹴り飛ばしたっていいんだぞこっちは!」
マゴットの部下が、ロズの腕を掴んだ。
その瞬間、部下の腕から肩に掛けて炎が上がった。
悲鳴を上げながら床を転がった。
マゴットが顔を険しくする。
「ロズ……お前、やったな? わかっているのか? ここの警備兵とこの私と、観衆の護衛全てが今お前の敵になったぞ。この闘技場で秩序を乱すのは、この街においてもっとも重罪なのだと知らないわけではあるまい」
「上等だ! あの化け物相手にするよか、よっぽど勝機がある! 闘士共、弄ばれて悔しくないのか? 全員俺につけ! 全部ぶっ壊してやるぞ!」
ロズが声を張り上げて叫んだ。
マゴットの部下二人が剣を構えた。
「炎よ、鎧と化せ!」
ロズの身体を炎が包み込んだ。
炎は広がり、大きな悪魔の輪郭を象っていた。
炎の奥の、彼自身の体表が焼け焦げていた。
「ハハハ、いい気分だ! どうせ死ぬなら、こっちの方がずっといい! 悪魔よ、俺の身体をくれてやる! だが、俺がここを焼き尽くすまでは、俺を護れ!」
観客席にどよめきが広がる。
他の場所の警備に当たっていたマゴットの部下達も、舞台へと降りてロズへと駆けて行った。
だが、炎を纏うロズに近づきあぐねているようだった。
そのとき、ロズの背後に影が走った。
ロズが振り返ったと同時に、その身体が腰の位置で両断された。
炎に包まれたロズの上半身が床へと落ちる。
巨大な剣を振るったのは、闘技場の王者バルトルトであった。
服に燃え移った炎を、腕を振って雑に消し去った。
「儂の邪魔をするな、魔術師。この錆びついた闘技場で、ようやくまともな敵を見つけられたのだからな」
バルトルトは大剣を背負いながら、獣染みた眼でランベールを振り返り、鬼の如く笑みを浮かべた。
ロズの炎は相当な高温のはずであった。
腕を掴んで身体を燃やされたマゴットの部下と、炎の鎧の腕に掴まれたマゴットの部下は黒焦げになって死に至っていた。
だが、バルトルトは、その炎に触れて燃え移っていたにもかかわらず、火傷痕も何も腕に残っていない。
人の身とは思えぬゴツゴツとしたオーガの如き体表と顔つきであったが、頑丈さも人外の域にあるようであった。
「生まれつきか?」
ランベールが声を掛けると、バルトルトが鼻で笑う。
「忌み子だと、幼少よりそう蔑まれてきた。だが儂は、儂の身体を嘆いたことはない。我が腕は魔銀をも潰し、我が牙はオーガをも喰らう」
ランベールとバルトルトは、目を合わせて睨み合った。
バルトルトが口端を吊り上げる。
口の奥に、魔物の牙が覗いていた。
「他の腑抜け共とは違う。儂は自ら死闘を求め、この闘技場へと降りた。貴様もそうであろう? 何か求めるものがあり、ここへと来た。違うか?」
「…………」
「答えずとも結構だ。儂はバルトルト、人ならざる存在。剣を極めし黒き鬼。武人よ、決勝では手緩い真似は無用だ。いい殺し合いをしようぞ」
バルトルトが下がっていく。
第三戦の相手が消えたランベールも、一度舞台から降りることにした。
「これは、本気を出す必要がありそうだな」
ランベールは小さく呟いた。
――ロズとの準決勝戦を不戦勝という形で終えたランベールは、バルトルトが他の闘士を圧倒するところを見届け、改めて試合場へと上がった。
第四戦、決勝戦である。
これまで騒がしかった観客席は静寂に包まれていた。
この戦いは平常の残虐な見世物ショーではなく神聖な決闘になるのだと、ロクな矜持も持ち合わせていない荒くれ者達もそれを理解していた。
マゴットの口上を聞き終えてから、ランベールはこの闘技場で初めて大剣を構えた。
「この緊張感……この高揚感……これだ、これが儂の求めていた戦いだ」
バルトルトがランベールへと駆けて来る。
「……ふむ」
衝突する瞬間、ランベールが下へと大剣を下げた。
それに応じ、バルトルトも刹那の時間の中で大剣を構え直し、下からの斬撃に備える。
この型での衝突であれば、バルトルトの剣がランベールの剣を妨げると同時に、そのまま斬りかかることができる。
そのはずであった。
ランベールは大剣を下げたまま、バルトルトへと鎧でのぶちかましをお見舞いした。
金属と金属を打ち合わせたような轟音が響き、バルトルトの巨体が軽々と宙を飛ぶ。
「オゴボォッ」
巨体が落下した衝撃で床に罅が入り、闘技場が揺れた。
観客達は何が起こったのかわからず、ただただ呆然としていた。
マゴットも勝敗を下すのを忘れて呆けていた。
そのまま十秒が経ったが、まだ闘技場は喧騒を取り戻せずにいた。
「あまり力む必要はなかったか」
静まり返った闘技場に、ランベールの独り言が微かに響いて行った。




