第十七話 闘技場①
ランベールはエリクと共にアラクネの居室の探索を始めた。
エリクはアラクネの落ちた頭部を神経質に何度も振り返りながら、机や書類を丁寧に確認していく。
エリクは『土蜘蛛』の下っ端として、今までアラクネより何段も下の人間に虫けらのようにこき使われており、その際にアラクネの恐ろしさについては何度も教え込まれていた。
そのアラクネが首なし死体に成り果てており、自分が彼女の部屋を好き勝手に漁っているというのは、彼にとってあまりに異様な状況であった。
いつかアラクネの死体が動き出して自身の首を絞め上げるのではないかと、そんなことは有り得ないとわかっているのに怖くて仕方がなかった。
エリクは震える手を一度引き、書類を慎重に戻した。
目先の絵画の悪魔の目が、自身を見張っているような気がした。
緊張で荒くなった息を整え、ランベールを振り返る。
「よ、鎧の旦那は……『笛吹き悪魔』についての情報が、欲しいんですよね? ここがアレと繋がっていただなんて、俺にはさすがに信じられないんですが……」
エリクがランベールを見た時、彼が魔獣の剥製を後ろの壁ごと大剣で叩き斬っているところだった。
真っ二つになって倒れた剥製を、ランベールが魔金の足で踏み砕く。
「ただの装飾か。魔術的な仕掛けも、隠したものがあるわけでもなさそうだな」
ランベールが棚を横倒しにて壊し、片っ端から資料を鷲掴みにして漁っていく。
「……そのう、もう少し丁寧に探されては?」
「お前はまたここに来るつもりか?」
エリクはアラクネの首無し死体に再度目を向けてから大きく息を吸って覚悟を決め、一度は丁寧に仕舞った書類を掴んで床の上に叩き付ける様に広げた。
「よ、よし……!」
エリクが息巻きながら書類を確認していく。
「……『笛吹き悪魔』か、それに類する組織がこの都市にあることは間違いない。パーシリス伯爵領を中心に魔銀を買い占め、この暗黒街で購入者の尻尾を辿れないように煙に巻いている奴らがいる。それに……パーシリス伯爵が多少腑抜けだとしても、ここまで暗黒街が拡大化するのは妙だ」
パーシリス伯爵の父である前当主と、彼の兄弟が不審死を遂げた例もある。
王家や貴族相手に妨害工作を繰り返し、暗黒街の管理に力を入れさせないようコントロールしている何者かがこの地にはいるのだ。
「関係のありそうな資料は、とにかく集めろ。お前も『土蜘蛛』の一員であったのだろう? 何か、引っ掛かっていたことはないのか? 俺はそれも期待していたのだが……」
ランベールから期待という言葉が漏れた瞬間、エリクの表情が引き攣った。
「そ、そんなぁ……! 俺、下っ端の下っ端ですよ? アラクネ様どころか、彼女の直属の部下だってまともに見たことがなかったくらいで……! 見逃してください、見逃してください旦那ァ……」
「……別に脅しを掛けているわけではないのだが」
エリクは半泣きで書類を漁っていたが、ふと途中で手を止めた。
「ん? ああ、これ……アレの奴かな……」
「何か気になるものがあったのか?」
「いえ、ちょっと個人的に気になってたのがあって……本当、大した奴じゃないんですけど」
「ほう、話してみろ」
ランベールは掴んでいた書類を乱雑に床に落とし、エリクへと向かっていった。
「ほ、本当に、そういう手掛かりとかじゃありませんから!」
エリクが首を大きく振り回しながら否定する。
「それは俺が聞いて判断する」
「その……なんだか、俺の上が、後がなくて、戦闘の腕が立つ、そういう人物を沢山探してたんですよ。お金に困ってたり、何かやらかして大きい組織の恨みを買ってたり、そういう奴ですね」
「金銭や保護を対価に、何でもやりそうな人物、というわけか」
ランベールが兜の頭を傾げる。
この暗黒街ならば、自身の命の危機など顧みずに行動する人物など、掃いて捨てるほどいそうなものだ。
わざわざ探さなくても見つかるのではなかろうかと、そう考えたのだ。
敢えて限定するということは、それだけ死のリスクが高い、任せたい仕事があるということだ。
ここでは組織間の抗争で死者が出るなど珍しくもないはずだが、恐らくは通常の構成員などよりもずっと死亡率が高いのだ。
それも、複数名探していたということは、そういった仕事が何口もある、ということだ。
「俺も何のためにそんなことしてたのかわかってなかったんですけど……こういうのが見つかったんですよ。闘技場に案内して、紹介の仲介料をもらっていたみたいですね」
「闘技場……?」
「俺も話には聞いたことありますが、行ったことはないですね。結構閉じたグループでやってるみたいで、こんなのは、この都市で成功してる奴らの娯楽なんです。俺じゃあよくて、出る方ですよ」
エリクが首を窄めて、苦笑しながら言う。
ランベールは彼に近づき、書類を引っ手繰る。
エリクは巻き込まれては腕がやられかねないと、さっと手を引いた。
「……妙に、高い金額を受け取っていたようだな? この裕福とは言い難い都市の、それも閉じたグループ内の見世物で、よくぞこんなに羽振りがいいものだ」
「割がいいですよね? 代わりに、闘士にそれなりの技量を要求してるみたいですけど。ただ、貧乏ばかりってのは言い過ぎですよ。数こそ少ないですが、アラクネ様や他の幹部なんてすごい額を貯め込んでいたはずです。そう、どっかに隠してるはずですよ!」
ランベールは闘技場と聞いて、シャルルの言葉を思い返していた。
『前に暗黒街に向かった時に、偶然耳にしたの。魔女の闘技場のために、剣奴を集めろって。その後に聞いているのがバレて、物凄い追い掛けられたけど……』
全く別の方面からの情報が、一点で交差した。
シャルルの言葉だけでは信憑性が弱かったが、『土蜘蛛』関係で不穏な情報が出て来た以上、無視することはできない。
ランベールは籠手で兜の顎を抑えて考える。
客として入り込むのは難しいかもしれない。
不審な人物が侵入した時点で大騒動になるだろう。
それなりに規模は大きいはずだ。
目標や、それに関連する人物に逃げられる可能性がある。
「……しかし、闘士として入り込むには、難しくないかもしれんな」
金に糸目をつけずに集めているくらいだ。
それに存在自体は秘匿されているわけではない。
エリクでも知っていたのだから。
「だ、旦那、行くんですか? 止めておいた方がいいですよ。実は、負けてどうにか生き残った奴も、勝ち残った奴も、ほとんど行方不明になってるって聞いたことがあるんですよ」
ランベールはエリクの言葉を聞くと大剣を手にし、床へと叩き付けた。
大きな刃の痕が床一列に走り、建物全体が大きく揺らいだ。
エリックが揺れに倒され、床へ尻もちを突いた。
「ひ、ひぃ! やめてください! 旦那が暴れたら崩れかねません! 何考えてるんですか!」
「心配は無用だと言いたかったのだが……」
「……人の命心配してる場合じゃないって、今実感させられましたよ」




