第十六話 暗黒街ドレッダの探索⑤
アラクネはランベールへ向かって飛んだ後、空中で腕の一本を動かした。
その途端、唐突に彼女の軌道が切り替わる。
大きく弧を描くように動いて、ランベールから距離を置いた天井へと脚をつけた。
アラクネは継ぎ足した腕の指先から、マナで模した糸を放つことができた。
それを用いて敵の動きを拘束したり、間合いを計りながら隙を窺って攻撃する戦い方を好んでいた。
「……何のつもりだ?」
ランベールは大剣をアラクネへと向け直しながら言う。
彼女の二人の側近や、ランベールについて来たエリクも、今のアラクネの動きには首を傾げていた。
ランベールに向かって飛来した割には、軌道を変えるのが早すぎるのだ。
もう少し手前まで向かわなければフェイントとしても機能しない。
アラクネは隻眼を細め、顔に汗を浮かべてランベールを睨んでいた。
「よく言ってくれたものさ。今近付いていれば、その大剣で終わらせていただろうに」
この暗黒街ドレッダにて、大規模な組織のボスを務めながら生きながらえ続けるのは苦難の道であった。
敵対組織の暗殺や部下の裏切りなど日常茶飯事である。
『土蜘蛛』のボスであるアラクネは独特の直感を有していた。
そんな彼女だからこそ、今近付けば確実に大剣の餌食になっていたことを理解していた。
糸を用いた複雑な高速移動は、タネが割れる前の初撃では通常まず回避できるものではなかった。
だからこそ、アラクネも強敵であるランベールを一撃で葬るつもりだった。
しかし、ランベールに接近して、どうやらそんな安易な攻撃が通る相手ではないらしいということに気が付いたのだ。
アラクネはランベールの周囲を飛び回るが、一定の距離より内側には決して入らなかった。
アラクネの動きは素早さと複雑さを増していく。
だが、彼女の表情はどんどんと険しくなっていた。
どれだけマナの糸を用いた移動術を駆使しても、一向にランベールの隙を突ける機会がないのである。
「来ないのならば、こちらから動かせてもらうぞ」
ついにランベールが動いた。
大剣を振り乱して壁を容易く粉砕する。
壁と繋がっていたアラクネの動きが宙で乱れた。
アラクネはすぐさま別の場所へと糸を飛ばして動きを調整するが、その隙を見逃すランベールではなかった。
アラクネが壁に着地した際、既に大剣を構えた状態のランベールに先の場所で待たれていた。
「油断したさね……鋼鉄と化せ!」
アラクネの言葉に応じ、いつの間にやらランベールに纏わりついていたらしいマナの糸が、金属の強靭な縄へと変化した。
部屋内を飛び交いながら、視認の困難なマナの糸でランベールの拘束を始めていたのだ。
「さ、さすがアラクネ様……! 最初からこれを狙っていたとは!」
部下の剣士がアラクネを讃える。
「油断したのではない」
「何……?」
「避ける必要がなかったのだ」
ランベールが豪快に大剣を振り上げると、その動きに引っ張られた金属の縄が容易く引き千切られた。
勝敗がついたと安堵していたアラクネは、ただ茫然とその動きを眺めることしかできなかった。
「そんなはずは、オーガでさえ拘束できるのに……!」
アラクネはランベールの振るった大剣に跳ね飛ばされ、身体を壁に打ち付けた。
彼女の腕の内、三本が切断されて宙に舞った。
アラクネは残った腕をランベールへと向けようとしたが、力が入らなかったらしく、途中で降ろすことになっていた。
「だ、駄目だ! アラクネの負けだ……『土蜘蛛』は、もう終わりだぁ!」
側近二人の片割れが、近くの窓から外へと逃げていった。
「まだ足掻いてみるか?」
アラクネは隻眼を見開いてランベールの顔を見る。
「貴様に聞きたいことがある。貴様の上はいるか?」
アラクネは質問に反応を返さなかった。
ランベールは大剣をアラクネの頭に宛がった。
「質問を変えるとしよう。貴様は『笛吹き悪魔』と繋がっているか?」
ランベールの言葉に、アラクネが僅かに口許を歪めて笑みを作った。
「桁外れな奴が来たと思ったら……やっぱり、あの御方狙いだったとはね」
「やはり、上がいるのだな。何者だ? そいつはどこにいる? 今は『土蜘蛛』や貴様の首に興味はない。命が惜しいなら隠し事はしないことだ」
「生憎だけど……それは、もう少し自分で探すんだね。もっとも……アンタがどれほどの剣士でも、あの御方から目を付けられて、逃げられるなんて思わないことだ」
アラクネが残った腕を構える。
その瞬間、彼女の首が切断されて床へと落ちた。
残った身体が崩れ落ちる。
「死んで逃げられたか。拷問はあまり性には合わんのだが……」
ランベールは首を小さく振った。
アラクネの口振りからして、あの御方とやらは徹底して姿を隠しているようであった。
彼女以外の『土蜘蛛』の幹部がその正体を知っている勝算は薄い。
「……ひとまず、この部屋内にある書類を漁ってみるしかないか。エリク、悪いがもう少しばかり手伝ってもらうぞ」
「と、止まれ、鎧男!」
部屋内に叫び声が上がる。
ランベールが振り返れば、二人の側近の逃げずに残っていた方の片割れが、エリクを押さえ付けて首に剣を押し付けていた。
「既に勝敗は決したというのに、何が狙いだ? お前らの頭は死んだ」
「黙れよ……ヘヘ、この男、わざわざこんなところに連れて来たんだ。何か利用価値があってのことだろう? ここまで好き勝手やられて、ただで逃げられるかよ! そうだな……貴様、片腕を落とせ! それでこいつの命と引き替えにしてやる!」
「や、止めてください! 俺にそんな価値があるわけないじゃないですかァ!」
エリクは涙を零しながら必死に命乞いしていた。
男は冷静さを既に失っており、エリクの言葉も全く聞き入れる様子はない。
「……仕方ない、命は保証すると約束してしまったのでな」
ランベールは大剣を片手で掲げた。
男が表情を綻ばせる。
「よ、鎧の旦那ァ……!」
その瞬間、ランベールは大剣を一直線に投擲した。
大剣の刃が男の身体に突き刺さった。
「おぶっ!?」
エリクはその衝撃で床へと吹き飛ばされる。
よろけながら辛うじて顔を上げる。
大剣は、見事に男の胸部に刺さって壁に磔にしていた。
エリクはそっと磔になった死体から目を背けた。
「少しばかり調べものに付き合ってもらいたい。いいか?」
「あ、はい……ここまで来たのなら、最後まで手伝わせてもらいますよ……」




