第三十六話 審判⑤
「我が声に応え、亜界より来たれ、蔓の牢獄アルラウネよ」
先手を打ったのは、アルバナの召喚魔術であった。
琴を弾きながら、詠うかの様な透き通った声で行う詠唱は、さながら弾き語りの様であった。
声に続いて大きな魔法陣が広がり、異界より召喚された蔓が地下通路一帯を支配していく。
アルバナのすぐ傍で伸びた蔓が絡まり、膨らみ、形を変え、緑の肌を持つ女へと姿を変えた。
蔓の本体である精霊アルラウネである。
蔓の牢獄アルラウネは、稼働範囲の全てを蔓で覆い、豪速でそれらの蔓を操ることができる。
無論、この蔓もアルラウネの身体の一部であり、通常の人間の住まう世界に存在する植物とは全く異なっている。
表面は金属塊の様に頑丈で、重く、その上で常識外れの速度を伴って動き回るのだ。
この場を覆い尽す蔓の全てが、金属製の頑強な鞭に等しい。
仮に千の強靭な兵を相手取ろうとも、条件さえ整えばその全てを肉片へと変えることができる恐ろしい精霊である。
亜界の精霊は、琴の音色の届く範囲でしか召喚主が制御することができない。
だが、この様な狭い通路の中では、その弱点を突かれることもない。
アルバナのマナが続く限り、アルラウネによる蔓の牢獄が継続されるのだ。
ランベールもすぐに蔓に囲まれた。
彼を囲む蔓の全てが、その矛先にランベールを捉える。
ランベールは回避せず、ただそこに佇んでいた。
精霊アルラウネはアルバナの背に抱き着くようにしながら、ランベールが蔓に囚われていく様を、甲高い人外の笑い声を上げながら見ていた。
「見事なものだ。亜界の精霊を完全に使役できているのは、八国統一戦争においてさえ見られなかった。エウテルベの琴は異界の民さえ魅了すると、あの話は嘘ではなかったか」
ランベールは大剣を振るい、自身へ向かってきた蔓を斬り飛ばした。
彼へと向かっていった数多の蔓が、全て叩き斬られていく。
容易く斬られては行くが、斬り飛ばされた蔓が壁にめり込んだという事実が、決して蔓がヤワなわけではないことを示していた。
精霊アルラウネも哄笑を止め、目を見開いてランベールを睨んでいた。
高位精霊と単騎で渡り合える人間など、通常はいないのだ。
特に亜界の精霊は知性が高く、プライドが高い。
目前の光景は、アルラウネにとって受け入れがたいものであった。
「……四大聖柱のシモンにも苦戦させられましたが、さすがに格が違いますね」
アルバナは琴の旋律を一変させる。
落ち着いた曲調から、激しい怒りを表現したものへと変わる。
同じ楽器であるのに、旋律の違いでこうも異なる印象を与えることができるのかと、ランベールも戦いの最中であるにも関わらず驚かされた。
「我が声に応え、亜界より来たれ、悪食の庭園マッドイーターよ」
詠唱と共に、周囲に六つの大きな花々が姿を現した
花によって色は異なるものの、毒々しい程に派手な色の花びらを付けている点では共通していた。
そして花びらの中央には、縦に大きく広がった口と、六つのよく動く目玉が並んでいた。
床に罅を入れて根を引き抜き、地面を脱し、口の大きな牙を剥く。
精霊マッドイーターは、根を脚の様に伸ばし、ランベール目掛けて駆けていく。
先頭のマッドイーターは、ランベールが払った蔓の合間を抜け、彼へと大きな口を広げて飛び込んで行った。
ランベールは素早く大剣の軌道を変え、その口の中央へと刃を突き刺した。
刃はマッドイーターを貫通した。
貫かれた口と六つの瞳から、正体不明の粘液が垂れ出す。
マッドイーターは根を這わせ、大剣へと絡みつこうとする。
「まだ、異界へ帰らぬというのか!」
ランベールは横に跳んで蔓の攻撃を避け、マッドイーターの絡みつく大剣を、二体目のマッドイーターへと叩きつける。
打たれた化け物花は宙を舞い、壁へとその身を叩きつけた。
だが、すぐに起き上がり、ランベールへと再接近を試みる。
花の精霊は速さこそ蔓に劣るが、頑丈さは比ではない。
ランベールは大剣を天井、床、壁へと打ち付け、まだなお大剣に纏わりつくマッドイーターを叩き潰す。
さすがのマッドイーターも身体が千切れ、床へと落ちた。
既に原型は留めていない。
だが、潰れた眼球がひくひと動き、折れた牙を有する口が僅かに開閉した。
ランベールはそのマッドイーターを踏み潰して駆け、アルバナの許へと向かう。
二体目、三体目のマッドイーターが続いて前へと飛び出してくる。
左右の道を、アルラウネの蔓が潰す。
ランベールは床を蹴って跳び、続けて天井を蹴って床へと自身の身体を叩きつける。
まさか、この魔金の塊が、そんな動きで移動するとは、異界の住人達にも予測できなかった。
前を向いたまま、背面の二体のマッドイーターへと大剣を振るい、前へと突き飛ばす。
ランベール自身はその反動を受けて前へと飛び出した。
他のマッドイーターも、ランベールの進路を遮る道にはいない。
アルラウネの蔓も、ランベールの現在の位置を予測できていなかったために、対応が遅れている。
アルバナへの進路が、一直線に空いていた。
亜界の精霊達が如何に化け物であろうとも、アルバナ自身の身体能力はランベールに遠く及ばない。
そもそも彼女は、琴の音を維持できなくなれば、亜界の精霊達を制御できなくなってしまうのだ。
常に戦地で無防備を晒し続ける必要がある。
「終わりにするぞ、アルバナ」
ランベールは宣言しながら大剣を構え、直線を駆けた。
纏わりつこうとする蔓を、魔金鎧が弾いていく。
だが、僅かにランベールが蔓によって減速したその刹那に、二体のマッドイーターがアルバナのすぐ目前に滑り込み、ランベールの前に立ち憚った。
「押し通す」
ランベールはマッドイーター目掛け、凄まじい勢いで大剣を突き出した。
マッドイーター達は大剣の軌道を読んで互いに重なり、二重の肉壁となる。
だが、重なったマッドイーターでさえ、大剣の刃は貫いていた。
ランベールはそのままその強大な力に任せて押し込み、肉壁越しにアルバナを狙う。
強引であろうとも、アルバナから琴を奪うことができれば、彼女から精霊を奪うことができる。
アルバナは身を引き、迫る刃から逃れようとする。
だが、間に合わない。
刃は彼女の琴へと正確に狙いを付けていた。
アルバナを背中側から抱いていたアルラウネの本体が前へと躍り出て、彼女の盾となった。
アルラウネの胸部に大剣が突き刺さる。
軌道から、アルバナが外れる。
だが、ランベールは強引に刃を振り下ろし、更にアルラウネ越しにアルバナを狙って斬りつけた。
剣先は、アルバナの外套を斬った。
彼女は琴を抱えながら、その場に膝を突く。
太腿の辺りから、血がじわりと滲んでいた。
ランベールは豪快に大剣を振るい、刃に纏わりつく精霊達を振るい払い、斬り落とす。
「仕損じるとは、思わなかった。精霊に愛されているのだな。だが、結果は変わらない」
その場に屈むアルバナへと、ランベールが大剣を振り上げる。
「我が声に応え、我らを誘え。亜界の支配者オーベロンよ」
アルバナが詠唱する。
そのとき、世界が一変した。
狭い地下通路は、もう跡形もない。
周囲一面を、幻想的な色の花々が埋め尽くす、異様な花畑が広がっていた。
「間に合った……寸前のところでしたが、準備が終わりました」
アルバナは、ランベールから大きく距離を取ったところに立っていた。
アルバナはランベールと目が合うと、彼を哀れむ様に、瞳に哀し気な色を讃えた。
これまでの、敢えて誇張したかのような彼女の表情とは違う、自然体の感情がそこにはあった。
「この戦いは……あなたの戦いは、もう、お終いです。ゆっくりと、お眠りください」
アルバナはそう告げ、琴の音を再開する。
四月に第一巻を刊行予定の『暴食妃の剣』の書籍情報を活動報告にて公開しております!
キャラクターラフ画像も上げていますので、興味のある方はぜひご確認ください!(2019/3/1)




