第三十五話 審判④
「……事前に、あの黒外套の連中を聖都に隠しておったのだな。マタイから逃れる際に、入り込んだあの隠れ家も、その一つか」
ランベールがアルバナへと問う。
ランベールがアルバナと共に聖都ハインスティアを歩いていた際に、四大聖柱の一人であるマタイが、貴族の娘を処刑しようとしている場に遭遇したことがあった。
その際、アルバナに誘導された先で、不審な男達のいる集会所へと逃げ込んだ。
思い返せば、彼らはアルバナがゼベダイ枢機卿の暗殺のために用意しておいた戦力の一部であったのだ。
「見逃してはもらえませんか、剣士様」
アルバナは琴を弾きながら、瞼を閉ざした。
ランベールは黙りこくったまま、その場に留まっていた。
「この後私は、彼らが教会と兵より逃走する幇助を行うことになっているのです。私には、巻き込んだ側として、その責任がありますから」
ランベールは応えなかった。
アルバナは琴の音を止め、瞑った目を開いてランベールの方へと向ける。
その様子を見て、ランベールがようやく言葉を返す。
「……復讐か?」
大剣は、彼女を警戒する様に構えられたままであった。
「……ええ、そんなところです。私の祖であるエウテルベ部族は、かつては大陸を巡って旅をして暮らしていました。戦争の際に、亡国の王家に持ち上げられて宮廷に仕える様になりましたが……敗戦の際に裏切られ、多くの者が処刑されたそうです」
アルバナが顔から表情を消して語る。
「逃げ落ちることに成功した一部の者は、かつての旅暮らしや宮住まいを忘れ、辺境の地へ留まり、音楽を愛し、精霊と戯れ、のどかに生きることを選んだのです。多くの特異技術も、子孫の血と、古い石板に残るのみで、エウテルベの名自体、とうに廃れていました」
本来、彼女は顔に、特に目には感情が表れない。
だからこそ、敢えて無表情で語るその言葉に激情が隠れていることは、想像に難くなかった。
「まだ私が幼い頃……そこへ、異端審問会の魔術師が現れたのです。私の親族を、それだけではなく無関係なその場に暮らしていた者全てを焼き殺し、末裔に当たる子供だけを誘拐したのです。……よほど、エウテルベ部族の感情を操る音色が欲しかったのでしょう」
言い終えたアルバナが、そこで一度言葉を区切る。
普段の茶化した様な調子とは違い、淡々とした、それでいてしっかりとした声調であった。
「……もう、私が『笛吹き悪魔』へ関与する理由もなくなりました。今後は、人目に着く様な生き方をするつもりもありません。都合のいい話なのはわかっていますが……八賢者の『亜界の薔薇』はもう死んだと、そういうことにしてはもらえないでしょうか?」
「お前はあのとき、知っていたのだな」
アルバナはランベールに言葉の意味を問う様に、首を傾ける。
「都市バライラで、マンジーが虐殺を引き起こすことを、お前は知っていたのだな。いや……むしろお前は、知っていたからこそ、見届けるために来ていたのだ。そうであろう? 黙っていれば、一万近い数の民が、苦しんで恐怖の中で死ぬと、そう知っておきながらだ」
ランベールは荒々しく言い、手にした大剣をゆっくりと構えた。
「残念だアルバナ。見逃すことのできる道理が、俺の中には見つけることができなかった。お前は、蘇って以来の、唯一の良き知人であると、そう思っていた」
アルバナはランベールに気圧される様に身震いし、半歩退いた。
元より感受性が常人に比べて遥かに高いアルバナは、ランベールの放つ殺気、威圧感を正確に感じ取っていた。
これ以上の話し合いが無意味であることは明白であった。
彼女は下ろしていた琴を手に取り、弦へと指を掛ける。
「……ディベルト男爵家の娘は無事か」
ランベールは剣を構えたまま、小さくそう尋ねた。
アルバナは不意を突かれて少し驚き、押し黙る。
唇だけで微かに笑い、すぐに答えた。
「……ええ、騒動が起きる前に、この都市を脱していたでしょう。彼女を預けた方達は、地下通路へ現れませんでした」
「そうか」
短く答え、ランベールは大剣を左右、縦へと振るう。
それだけで風を断つ轟音が通路内を反響し、地下に風が吹いた。
「行くぞ、八賢者『亜界の薔薇』よ!」
ランベールが叫べば、アルバナも応じる。
「私などでは至らぬでしょうが、全力で相手をして差し上げましょう。叛逆の英雄にして、哀れなる亡霊の騎士、ランベール・ドラクロワ!」
地下通路に木霊す両者の叫び声が、開戦の合図となった。




