第三十三話 審判②
「吾輩が、必要かどうか、だと? 必要に決まっておるではないか! 吾輩なくして! 異端審問会なくして! どうやってこの平和ボケした王国が、禁魔術師共に対抗できたというのだ?」
ランベールに問われたゼベダイ枢機卿が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
ゼベダイ枢機卿を殺しに来た黒外套達も、ランベールの動き次第で状況が一変することを理解し、彼に武器を構えたまま静止していた。
「吾輩が幼少の頃は、多くの独立して動いている禁魔術師共が、この王国に巣食っておった! 吾輩が、奴らを取り除いたのだ! 『笛吹き悪魔』の連中の情報や討伐、加担した貴族の処罰に関しても、王国兵の無能共よりも、吾輩の率いる教会の魔術師が、よっぽど成果を上げておる!」
ゼベダイ枢機卿は続けて怒鳴った。
ランベールは動かない。
ゼベダイ枢機卿の赤い顔が、青くなり始めた。
「そ、そもそも、吾輩を助けてから見極めなど行えばよいのだ! そうであろう? 今、その様な悠長なことを言っていられる時間があるか! 気に喰わないことがあるのであれば、今後の方針にはお前の言葉も耳を傾けてやろう! それでよいではないか!」
「無論、俺もお前を見極めるのは後にするつもりであった。だが、皮肉にも、お前を見つけたその瞬間に、先に答えが出てしまった」
ランベールはそう言い、兜を左右へゆっくりと振った。
「俺も悩んだ。異端審問会は、王国法に反しているとしても、『笛吹き悪魔』やそれに類する連中に対抗するために必要な組織ではないのか、とな」
ランベールは、綺麗ごとだけでは通らないものがあることも知っている。
だからこそ黒い噂の絶えない異端審問会を助けようと奔走していたのだ。
「だが……はっきりとわかった。お前達の非道な行いは、民を反意に走らせ、新たな敵を作るだけだ。そして、お前達にはそれを抑える力もない」
ランベールが、寂しげにそう伝えた。
「な……な、なんだと?」
ゼベダイ枢機卿が声を震わせ、ランベールを睨む。
彼の中では、怒りと恐怖がない交ぜになっていた。
「仮にここを凌ぎ、『笛吹き悪魔』の討伐に成功したとしよう。そのときは、お前達がまた新たな火種となるのだ」
ランベールは苛烈な八国統一戦争のさなかにおいても、義を尊重してきた。
卑劣な行いを取る者は、自国の者であっても斬って来た。
それは彼の性根による面も大きかったが、主君オーレリアの命でもあった。
八国統一戦争では、滅ぼした相手国の民を統治する必要があった。
その際に大きな恨みを買っていれば、民は死を覚悟したとしても、レギオス王国には従わない。
侵略にさえ、建前や綺麗ごとが必要とされていたのだ。
「ふ、ふざけるな! なぜお前にそんなことが言える!」
「この場を見れば明らかであるではないか。お前も気付いているのではないか。彼らは『笛吹き悪魔』の魔術師ではない」
ゼベダイ枢機卿が、周囲の黒外套の連中へと血走った眼を走らせる。
そう、ゼベダイ枢機卿も気がついてはいた。
シモンの言葉もあった。
彼らは何らかの強化を施されているものの、戦士としては未熟で、決して『笛吹き悪魔』の純粋な戦力であるとは思えない、と。
それに、一部には、ハインス教徒の姿も見受けられていた。
「ち、違う! 奴らは、操られておるのだ! 『笛吹き悪魔』の中に、洗脳を得意とする者がおるのだ!」
「洗脳だと? 意思を残したまま意志を改竄するなど、そんな便利な魔術があるものか」
ランベールはゼベダイ枢機卿の言葉を一笑する。
「これまで見た死体や散った気配を合わせれば、既に百は大きく超えている。仮にその様な大人数の意志を手軽に曲げられる様な魔術が存在するのであれば、武に訴えずともウォーミリア大陸を支配できていたであろうな」
「だ、だが、現に……!」
「似た物を知っている。エウテルベ族の、マナを操る音楽であろう。奴らの音色は、聞く者の感情を大きく揺さぶることができる。琴の音一つで、聞く者を悦びへ、悲しみへと、自在に駆り立てる。それによって過度な興奮状態を作り出す。ただの凡兵を、死を覚悟した狂戦士へと変えることさえ可能となる」
「あ、あるではないか! ならば、それを使ったに違いない!」
「音楽は、所詮は音楽だ。先にそれと知っていれば、自身の感情の揺れに惑わされることもない」
確かに歴史の中ではアウンズ王国が戦争に敗れた際、エウテルベ族は王家に巣食い、洗脳によって国を傾けた魔術集団として、一人残らず処刑されたことになっている。
だが、それも誤りであったことをランベールは知っていた。
アウンズ王国の重鎮が責任逃れを図り、エウテルベ族へと罪を擦り付けたのだ。
彼らの秘術は、その様な便利なものでは決してなかったのだ。
「悲しみや怒りを意識させたのは、『笛吹き悪魔』の連中の術だったのかもしれぬ。だが、それを受け入れたのは、彼ら当人であろう」
ランベールが周囲の黒外套へと兜を向ける。
彼らは何も応じない。だが、外套から覗く悲し気な横顔が、ランベールの言葉を饒舌に肯定していた。
彼らは自身の覚悟を固め、教会へと対抗する力を得るために、自らの意思でエウテルベ族の音楽を受け入れたのだ。
「ゼベダイ、お前は守るべき民より見切りを付けられたのだ」
「だとしても、犠牲は付き物だ! 吾輩以外の、誰がやれた! 吾輩には、やるべきことがある! 吾輩は、王国にとって必要な存在なのだ! 吾輩が、一番連中を効率よく殺すことができるのだ! 千の敵対者を生んだとしても、万の敵対者を殺してやるわ! お前如きに、何がわかる! 神にでもなったつもりか!」
「いや……お前はこの国には不要だ」
「なっ……」
「……お前は、義によって動いているわけではない。怨恨によって突き動かされているだけだ。お前はこの国がどうなろうが、さしたる関心はないのだろう? 神など大層なものでなくとも、その言動を見ていればわかる」
ゼベダイ枢機卿は顔面を蒼白させ、口をぱくぱくと動かす。
ゼベダイ枢機卿は、自身の恨みのままに動いたとしても、悪である禁魔術師を誅するためであるのだから、自身こそが正義であると、そう考えていた。
実際に、言葉にしてそう結論付けていたわけではないにせよ、心の底にはそういった考えがあったことは間違いない。
だが、ランベールに明白にその事実を突きつけられた際に、返す言葉を持っていなかった。
「わ、吾輩は……吾輩は……」
ゼベダイ枢機卿は崩れ落ち、その場に膝を突いた。
ゼベダイ枢機卿は顔つきを凶悪に一変させ、拳で地面を叩いた。
「吾輩は、吾輩はまだ、こんなところで死ぬわけにはいかんのだ! 禁魔術師は、根絶やしにせねばならんのだ! 後続が現れぬ様に、徹底的に苦しめ抜いて殺せばよい! 犠牲だの、冤罪だの、知ったことか! 奴らの損害の方が、遥かに大きいに決まっておる! 貴様らが、目を瞑って耳を塞ぎ、堪え続けておればいいのだ! そうしなければ奴らを滅ぼすことなどできはせんのだ! 誰にそれができる? 吾輩しかおらんのだ! 間違っているというのか! 吾輩が!」
ゼベダイ枢機卿とて、既に自分の言葉に理がないことはわかっていた。
犠牲を厭わずに異端審問会を継続させたとしても、民は決して彼らを支持しない。
それは国を崩壊させる原因にもなり得る。
そしてゼベダイ枢機卿の掲げる禁魔術師の根絶も、叶うはずなどない願いである。
なぜなら、異端審問会自体が、禁魔術師に対抗するために禁魔術の研究を進めているのだ。
厳しく弾圧し、自分達だけは監視役だから例外なのだなど、そんな不格好なシステムで平穏が保たれ続けられるはずがない。
「……少し、ハインスティアについて調べている内に、噂を聞いた。若い頃に、教会への報復として妻と娘を禁魔術師に殺されたそうだな」
ランベールが大剣を背負い直した。
この場ではもう、剣を振るうつもりがないという意思表示であった。
「お前の復讐に、王国を巻き込むな。原点が個人感情であった時点で、民がついて来るはずがなかった。お前は、そのときから道を誤っていたのだ」
ランベールは彼らに背を向けて歩き出した。
少し距離を置いたところで、小さく振り返る。
黒外套の合間に、血塗れになって床に伏すゼベダイ枢機卿が見えた。
彼の護衛だった僧兵達も床に伏している。
異端審問会が完全に潰えた瞬間であった。
審判は、ランベールが手を出すまでもなく、静かに下っていた。
黒外套達の様子に喜びはない。
最後のランベールとのやり取りを聞き、巨悪と信じていたゼベダイ枢機卿も、所詮は不幸の連鎖の一つに過ぎなかったのだと思い知らされたのだ。
彼らは『笛吹き悪魔』に加担し、教会に刃を向けた罪人達である。
だが、ランベールは、彼らを斬る気にはなれなかった。
再び背を向け、通路を歩み、それからはもう振り返らなかった。




