第二十六話 亜界の薔薇②
聖都ハインスティアの地下には、巨大な隠し通路が掘られていた。
隠し通路は蜘蛛の巣状に広がっており、出入り口は全部で九か所存在する。
出入口はどれも厳重に隠されており、前情報なしで偶然見つけだすことができる類のものではない。
そして万が一この隠し通路が暴かれたとしても、入り組んだ経路の多い迷宮となっているために逃げ道が多く、この隠し通路に熟知している者を相手取って追いつけるものではとてもなかった。
その隠し通路を、十名の集団が歩いていた。
「連中め、グフフ……よりによって、吾輩を、この聖都で殺そうとするとはなぁ。護衛も、逃げ支度も万全だというのに」
集団の先頭に立つ老齢の男が、口許の涎を指で雑に拭いながら零した。
男は顎の大きく突き出た、鷲鼻の目立つ異様な風貌をしていた。
彼こそ聖都ハインスティア、そして異端審問会の最高責任者であるゼベダイ枢機卿である。
「できることなら、手足を削いで目を潰し、家畜小屋に永遠に繋いでやりたいところよ。何をしでかすかわからぬ連中故に、捕らえることができぬのが惜しいところよ。存分に殺し合うがいい、『笛吹き悪魔』の外道を一人でも多く葬るのだ、我が子らよ」
ゼベダイ枢機卿が低い声で笑った。
「……あまり熱くなってはなりませぬぞ、枢機卿よ。部下達の前ですので。それに、指揮さえ出せない状態ではありますが、我々はここは、被害を少しでも抑えることに専念すべきなのです。儂ら四大聖柱が損なわれれば、それだけ異端審問会の存続が危うくなる」
ゼベダイ枢機卿の斜め後ろに続いて歩む、痩せ細った小柄な老人が彼を諭す。
老人は名をシモンといい、四大聖柱の長にして、この聖都ハインスティアの司教を務めている。
ゼベダイ枢機卿が安全に聖都を脱するために護衛としてついているのである。
ゼベダイ枢機卿、そしてシモンの後ろには、シモンの部下である八人の異端審問会の魔術師が続いていた。
「これが熱くならずにいられようか? 吾輩は、連中を殺すことだけを生き甲斐に生きて来たのだ。水面下でこそこと動いていたあの腐れ鼠共がようやく身を晒し、かつ吾輩の庭へとのこのこと現れよった。こんなに嬉しいことがあろうか?」
「……枢機卿のお気持ちは察しておりますぞ」
「グフフ……惜しむらくは、吾輩が外に出て、奴らの死に様を拝めぬところか。だが、それも仕方のないことか。一人でも多く奴らを殺すためにも、吾輩は生き延びねばならぬ。おお、愉快であるの、笑いが込み上げてくる。こんな感覚は、久しく忘れておった。いったい何十年振りであろうかな?」
ゼベダイ枢機卿は言葉に熱を込めて語る。
その顔は童子の様に純粋であり、また悪鬼の様に残忍な笑みであった。
「ああ、ああ、吾輩は、この日のために生きておったのだ。いや、これからのために、か。今日という日を境に、王国の間抜け共も気がつくだろう! 奴らに対抗するためには、気が狂いそうなまでに苛烈な信仰と、そして我が異端審問会が必要なのだとな! ようやく王国は理解するのだ! この吾輩が正しかったのだとな!」
「……枢機卿よ」
ゼベダイ枢機卿は、シモンの言葉には耳を貸さない。
「王国中に異端審問会の支部を設置する。教会関係者以外の魔術を大きく制限し、破る者には限りなき苦痛を与えるのだ。危険な芽は全て神罰の名の許に摘んでしまえばいい。そうすれば、連中の様な魔術師を生み出すことはないのだから。よもや、誰も吾輩には反対できまい……! おお、すべてはこの国から穢れを払い、レギオス王国を生まれ変わらせるための試練であったのだ!」
「足を止めてくだされ、枢機卿よ」
「ほう?」
ゼベダイ枢機卿は言葉を区切り、足を止める。
シモンは彼に頭を下げてから横切り、前へと進み、手を合わせて目を瞑る。
十数秒ほどそうした後に、シモンはゼベダイ枢機卿を振り返った。
「……枢機卿よ、追手でございます。恐らく、土鳥の方角の門より入ったのかと思われます。この地下通路は異端審問会の中でも、ごく一部の者しか知りませぬ。我らの中に、手引きした者がいたのでしょうかな……?」
ゼベダイ枢機卿は表情を無にした後、唐突に大声を上げて笑い始めた。
「問題あるまい。こちらには、シモン、そちがおるのだからな。何人たりとも、そちの心眼と神拳からは逃れられまい。惜しく思っておったのだ、そちが奴らと戦わぬことをな。身体を千切り、頭を割り、殺してやれ。後悔させてやるのだ。ここに出向いたことをではない、生まれてきたことをな」
「……しかし、どうやら数も妙ですぞ。相手は今回は虫の化け物頼みで、少数精鋭で動いているらしいと聞いていたのですがな」
「よい、よい、殺す悪人の数は、多ければ多いほどよいというものよ。して、賊は何人か?」
「今感知できただけで、二十人。距離が開いているため儂の心眼は追い切れていない敵がおると予想できるので、この倍は潜んでおるのではないかと。それも、この迷宮を熟知しているかの様に、分散して逃げ道を防いで掛かってきております。虫やアンデッドではなく、確かに生きた人間の様ですぞ」
「ほほう、それは確かに多いの。しかし、道を踏み外した外道が四十匹か、グフフフ……楽しみではないか」
シモンはゼベダイ枢機卿を窘める様に目を細める。
「枢機卿よ、あくまで我々の目的は生きてこの聖都を脱すること……」
「わかっておる。だが、追いついてきた腐れ鼠共は、そちが捻り殺してくれるのであろう? 期待しておるぞ」




