第二十五話 亜界の薔薇①
ランベールは八賢者の一人『蟲壺』を討伐し、ゼベダイ枢機卿のいるはずの地下通路への入り口を探し、聖都を駆けていた。
普段要人の集まる、聖都の中心である大聖堂ならば、ほぼ確実に地下通路のへ入り口があると予測できるため、そこを向かっていた。
だが、途中で崩れた石材の山を見つけると進路を変え、ランベールはそちらへと向かい、残骸の山の前で足を止めた。
「随分と、派手に戦ったようだな」
ランベールは一人呟いた。
この石材の山は、慰霊塔『眠りの塔』の残骸であった。
四大聖柱の一人であるヨハンが、『血霧の騎士』を倒すために、自身諸共塔を焼き崩したのである。
そのことはランベールの知る由もないことであったが、この地で名のあるハインス教徒と、八賢者の内の何者かが衝突したことは容易に察しがついた。
そして塔に焼け焦げた跡が目立つことと、既にハインス教徒側の主戦力である四大聖柱の半数が戦死していることの消去法から、ヨハンが八賢者を道連れにしようとしたのであろう、というところまで思い至った。
ランベールの脳裏に、冷酷な仮面の奥にどこか青臭さを残す青年の姿が浮かんでいた。
王国の秘密兵器、四大聖柱の魔術師とはいえ、人の域を脱してはいない。
彼はこの惨状から生還することはきっとできなかっただろう。
「……もう一度、お前とは言を交わしてみたかった」
ランベールはそう零した後、残骸へと向かった。
地下通路への侵入も優先すべき項目であったが、八賢者の数を減らすこともまた後回しにできることではない。
もしもここに瀕死の八賢者がいるのであれば、逃す手はない。
ここで確実に始末しておくべきだ。
『真理の紡ぎ手』ことシャルローベや『蟲壺』に近しい不死性を持っていれば、この倒壊に巻き込まれても生きながらえている可能性が高い。
倫理を投げ捨てた魔術師には、常識は通用しない。
彼らは常人には思いも寄らない方法で死を乗り越えようとするのだ。
これだけやれば死んでいるはずだなど、その手の思い込みや決めつけは危険であった。
ランベールは残骸の山を、大剣で石材を退けて漁る。
彼のアンデッドとしての感知能力は、妙な邪気の込められたマナを拾うことに成功していた。
八賢者のものにしては微弱だが、手掛かりには違いない。
そして残骸の奥深くに、妙なものが眠っているのが目に付いた。
拉げて大破した、黒鎧である。
ランベールの脳裏に、一度対峙した『血霧の騎士』の姿が映った。
『蟲壺』がランベールより逃げる時間を稼ぎ、片腕を失いながらも自身もランベールより逃げ遂せた黒鎧の剣士である。
この鎧は、彼のものに違いなかった。
ランベールの感知した邪気を帯びたマナは、この鎧より放たれていたようであった。
黒鎧は黒魔鋼という特異な金属の力により、装備した者のマナを消耗して破損した鎧の形状を元に戻すことができる。
その黒鎧が損壊したままであるということは、素直に考えれば『血霧の騎士』が倒壊に巻き込まれて即死したと考えられる。
(しかし……なぜだ?)
鎧には、血も肉片も、何もこびり付いていなかった。
内部も、少なくとも見えている限りは全くの空洞である。
まるで最初から中には何も入っていなかったようでさえあった。
(だが、そんなことはあり得ない)
ランベールは一度、『血霧の騎士』の片腕を斬り落としていた。
その際には確かに鎧の中身があったのだ。
この黒鎧を回収することも不可能ではない。
しかし、あれを外へ引っ張り出したからといって、何がどうなるとも思えなかった。
空になった黒鎧は不審ではある。
そのとき、ふと思い至ったことがあった。
生前、ランベールは中身のない鎧の話を、確かに聞いたことがあったのだ。
八国統一戦争に消えた国の一つ、ローラウル王国。
かの国の将軍であったバルティアは、最後の戦いにおいて一人で幾百の兵を相手取り、最期には死角より首を落とされたのだという。
だが、その鎧の中は、何も入っていなかったのだ、と。
ローラウル王国を滅ぼした国も、八国統一戦争の最中にとっくに消えている。
消えたバルティア将軍は与太話の類だとランベールも考えていた。
だが、『血霧の騎士』の黒魔鋼の鎧も、やはりローラウル王国の技術であるはずなのだ。
……もしかすれば『血霧の騎士』がまだ生きており、この黒鎧が彼の弱点に繋がる秘密を抱えているのかもしれない。
だが、時間を掛けて黒鎧を外に引っ張り出したとして、それを管理し続ける術がランベールにはなかった。
それに仮に何もなければ、この状況で大きく時間を無駄にすることに繋がる。
少なくともランベールのマナの感知能力は、この場に八賢者のマナがないことを示しているのだ。
黒鎧の中身は既に死んでいるか、そうでなくとも本体は既にこの場から離れていると考えるのが妥当であった。
ランベールはしばし考えたのちに、その場を後にすることにした。
ここで時間を費やせば、ゼベダイ枢機卿が八賢者に暗殺されるリスクが跳ね上がる。
元々、ランベールが聖都ハインスティアを訪れたのは、異端審問会の頭である彼を見極めるためであった。
ランベールは聖都ハインスティアを訪れるまで、異端審問会に対し、いい印象を抱いてはいなかった。
だが、実際にこの地を訪れ、異端審問会が『笛吹き悪魔』に対して抑止力として機能していたことを知った。
現状として八賢者には一歩及ばない印象であるが、彼らにしても幹部勢を纏めて送り込む必要性があったのだ。
このままゼベダイ枢機卿が殺されれば、異端審問会を立て直すことはもうできなくなる。
これ以上、後回しにするわけにはいかなかった。
聖都ハインスティアの中央部、大聖堂は既に蛻の殻であった。
警備を行っていたであろう僧兵は既に死に絶え、死体を喰い荒らされている。
そして彼らを喰らったのであろう『増魔蟲』も、既に絶命して床で仰向けになっていた。
ランベールは死の匂いの充満する大聖堂を調べ始めた。
ここにゼベダイ枢機卿の逃げ込んだ隠し通路があるはずなのだ。




