第二十四話 血霧の騎士③
慰霊塔『眠りの塔』の内部の壁には、ハインス教の神話の再現絵が彫られている。
そしてその合間には、殉教者達の名が刻まれている。
円柱状の塔となっており、内部の螺旋階段はそのまま天井外へと続いていた。
ヨハンは螺旋階段を駆け上がる。
その背後を『血霧の騎士』がゆっくりと追いかけてきていた。
「ここは貴様らにとって神聖な場ではなかったのか? 聖職者としての矜持もないのか、無様なことだ。大人しく降りて来い、あまり我をがっかりさせてくれるなよ」
塔の内装は簡素な造りであり、隠し通路の類を用意できるものではなかった。
このまま追えば、いずれ逃げ場がなくなるのは見えている。
そのため『血霧の騎士』も急いで追いつくことはせず、罠がないかを警戒しながら進んでいた。
「早く大天使とやらを出せ。貴様程度では、この我の相手は務まらぬ」
後を追いつつ、『血霧の騎士』は時折ヨハンへと呼びかける。
だが、ヨハンは逃げる足を止めない。あっという間に二人は塔の中央部へと上がっていた。
「そろそろ覚悟を決めろ。せめて貴様らの神に誇れる死に様を選ぶがいい」
再度呼びかける『血霧の騎士』に対し、ヨハンが上部が炎の球を放った。
階段の一部が崩れ、通り道が燃え上がった。
足を止めた『血霧の騎士』の背後へと、ヨハンが二撃目の炎の球を放つ。
『血霧の騎士』の前後が燃え上がり、焼け崩れていく。
ヨハンは身動きの取れなくなった『血霧の騎士』へと腕を向ける。
『血霧の騎士』は黒鎧の兜を擡げ、ヨハンを見上げた。
「……これが狙いだったか」
三撃目の炎の球が黒兜目掛けて放たれた。
「こんな稚拙な策が最後の希望だったとは、笑止の至りよ。ほとほと憐れなものだな四大聖柱。先人の名の刻まれた壁を、追い詰められて自身の魔術で焼き払うとはな」
黒鎧の脚が螺旋階段を踏み込んで破壊する。
足場が崩れ、炎上している段差を大きく跳び越え、その先へと着地した。
狙いの外れた炎の球が、彼の立っていた段差を焼き崩す。
「さあ、どうする? 鬼ごっこにもそろそろ飽いたぞ」
ヨハンは『血霧の騎士』が炎球から逃れたのを確認すると、また螺旋階段を上がり始める。
『血霧の騎士』は大剣を振るい、壁を深く斬りつけた。壁が崩れて空洞が開き、外へと繋がる。
「そろそろ諦めて、この慰霊塔の染みの一つになるがいい。貴様の炎では、この黒魔鋼の鎧を超えて我に傷をつけることは敵わぬ。……もっとも、この鎧を超えようとも、本当の意味で我を傷つけられるものなど、まずおらぬだろうがな」
ヨハンはちらりと一回り下を駆ける黒鎧へと目を向けるが、足は止めず、言葉を返すこともなかった。
『血霧の騎士』は強く大剣を握り直す。
「そろそろ最上部へ達するが、どうやらまともな策もなかったらしい! あまりにくだらぬ戦いだ。急ぐ理由もないが、一気に終わらせてもらうぞ!」
ついに『血霧の騎士』が速度を上げ、一気に駆け出した。
ここに来て距離を詰めに来た。
ヨハンは駆けながらも黒鎧へと連続的に炎球を放つ。
黒鎧は階段が炎上しようが構わず走る。
身体を狙って放たれた炎球も、大剣で逸らして壁へと流した。
もう、後がない。
天井はすぐそこだった。
ヨハンは炎球の速度を上げ、間隔を狭めていく。
十、二十と撃ち続け、視界の全てを真っ赤に染め上げる。
ヨハンの前方の階段が次々に崩れ、炎に包まれていく。
ヨハンは息を荒げながら最上部で足を止めた。
威力を保ちながらこれだけの炎球を放ち続けるのは、ヨハンといえども容易なことではなかった。
命を削り、マナを絞り出していた。
階段はすっかり焼け崩れている。
この状態では、さすがの『血霧の騎士』とて上がって来られるはずがなかった。
「……フィリポ、マタイが亡き者になったのならば、私だけでも生き残らねばならぬ。ゼベダイ枢機卿を支え、聖都ハインスティアと異端審問会を復興せなければならないのだから。例えこの『眠りの塔』を焼くという大罪を犯そうとも、この国を守るためには必要なことだった。死者のために、今を生きる者を犠牲にすることはできないのだから」
ここに来て、ようやくヨハンは口を開いた。
破損していた仮面が顔から落ち、その素顔が露になった。
彼は小さく溜め息を吐き、壁に背を預けた。
「だが……ああ、そうか、駄目だったか」
表情こそ変わらないが、目の隙間から僅かに涙が漏れた。
ヨハンの言葉と共に、螺旋階段の先へと『血霧の騎士』が躍り出た。
大剣を壁に突き立て、強引に階段を使わずに這い上がってきたのだ。
「残念だったな。抵抗する気はあるか? 我も無慈悲ではない、最期に祈りを捧げる時間くらいはくれてやろう」
「……ならば、少しだけ時間をもらおうか」
ヨハンは言い、両腕を掲げる。
その途端、大きな赤々と輝く魔法陣が展開された。
「貴様、まだ諦め悪く……!」
「我が声に応え、光界より来たれ! 焦土の大天使ダンタリオンよ!」
塔の中央部に、巨大な精霊が浮かぶ。
六枚の翼と、穴の空いた三つの頭部を持つ、上半身だけの巨人である。
全長五ヘイン(五メートル)はあった。
「ほう、ようやく出したか。しかし、もっと早くに出せばよかったものを……既にマナの消耗し過ぎで、限界を迎えているようだな」
ヨハンの顔や肌は異様に青白く変色し始めていた。
魔術を扱う対価であるマナは、生命エネルギーそのものである。
休息を置かずに使い過ぎれば、やがて指の一つ動かすことができなくなり、死に至る。
「確かに、この狭い『眠りの塔』ならば、もしかしたらこの我に攻撃を届かせることもできるかもしれぬ。そのために容易に降りられぬここまで登ってきたか。なるほど、これは面白い」
黒鎧が楽し気に言う。
大天使ダンタリオンは腕を塔の天井へと掲げる。
無機質な手の中に、巨大な熱された金属製の十字架が握られる。
三つの顔に空いた穴が『血霧の騎士』を睨む。
「……いや、当たらないだろう。大天使ダンタリオンは、遅すぎる」
ヨハンはあっさりと、自身の切った最後の札が使えないと吐露した。
「やって見ねばわからぬぞ。どうした? 貴様らの背には、この国の信仰と、今後が掛かっている。ここまで舞台を整えたのだ。せいいっぱい抗って見せろ」
「お言葉だが、異端審問会は嫌われ者でな。我々が消えたとしても、ハインス教の信仰や威信には関係などない。死後の救済も望めぬだろう」
「……随分と虚しい連中だ」
「私はきっと、地獄へ行くのだろう。だが、貴様にも付き合ってもらうぞ! 私には使命があったが、それが果たせぬのであれば、せめて貴様を道連れにしていく! 聖都でこれ以上の暴虐を働かさせるわけにはいかぬ!」
大天使ダンタリオンの腕が、関節が継ぎ足される様に奇怪に伸びていく。
「まさか、貴様……!」
大天使ダンタリオンは、塔の中央を急降下しながら、燃え上がる巨大な十字架を振り乱す。
塔に罅が入り、あちらこちらから凄まじい炎が上がる。
「その自慢の鎧も、この高さから落とされればどうなることだろうな!」
素早く『血霧の騎士』が壁の亀裂から外へと飛び出した。
そして壁に大剣を突き立てた。
これで下まで減速しながら降りる算段であった。
「大した覚悟であった。だが、これだけでは我を殺すことなどできはしない。しかし、認めてやる。名前くらいは覚えておいてやろう」
大鎧の背に、ヨハンが抱き着いた。
「貴様、まだそれだけ動け……!」
「炎よ!」
ヨハンの手の先から放たれた炎が、『血霧の騎士』の重量を大剣越しに支えていた壁を破壊した。
二人の身体が宙へと投げ出される。
塔全体から炎が上がり、無防備に落下する二人へ目掛けて瓦礫の山が落ちていく。




