第二十三話 血霧の騎士②
ヨハンへと黒鎧が斬りかかる。
「我が声に応え、光界より来たれ! 炎獄天使アミ・ファトナスよ!」
ヨハンの前方に、二体の光界の精霊が現れる。
精霊の顔に大きく空いた穴が、黒鎧を睨みつける様に向けられた。
異界の住人達は二体揃って両手を上げる。
彼らの身体が業火の鎧を纏う。そして、ヨハンを守る様に黒鎧へと飛び出した。
「くだらぬな」
黒鎧は片腕で大剣を振りかぶった。
二体の精霊は彼の周囲を回る様に動いて挟み撃ちし、迫っていく。
黒鎧はまず大剣を前方に突き出して精霊の胸部を貫き、そのまま引き抜くと同時に刃を持ち上げさせ、腹部から肩にかけて身体を斬った。
精霊の身体が二つに分かれ、地面に崩れ落ちる。
背後から迫った精霊が、真っ赤に燃える腕を伸ばし、黒鎧の背に触れた。
精霊の炎のあまりの高熱に、黒い装甲の表面が僅かに歪む。
しかし、それと同時に、黒鎧は引き抜いた大剣を手に振り返り、二体目の精霊の腕を斬り落とした。
二振り目で首を刎ね、三振り目で顔の中央の高さで斬り、続く四振り目で人間でいえば心臓の高さで水平に剣を放った。
刹那の内に五に分かたれた精霊が、マナの燐光を残して消えていく。
「ああ、くだらぬ」
黒鎧が零す。
ヨハンは、黒鎧の背に生じた金属の変形に目を向けていた。
(……確かに、恐ろしい剣士だ。実力でいえば、私やフィリポ、マタイを上回るだろう。しかし、『血霧の騎士』に、天使の業火が効いていないわけではない)
ならば、あの鎧を本人諸共破壊することも不可能ではないはずなのだ。
黒鎧は平然としている。しかし、鎧が多少なりとも変形した時点で、金属に充分熱が通っている。
内部では、背の肉に溶けかけた金属がへばりつき、大火傷を負っているはずであった。
「我が声に応え、光界より来たれ! 炎獄天使アミ・ファトナスよ!」
ヨハンは続けて精霊召喚を行う。
宙に浮かぶ無機質な上半身に、大きな空洞の空いた顔の光界の精霊が、四体同時に姿を現した。
先程の精霊同様に、四体もまた業火の鎧を纏い、円を描く様に黒鎧の周囲を駆け回って接近していく。
「まだその玩具を使うのか」
黒鎧が隻腕にて大剣を振るう。
黒鎧は左右前後から迫る業火を纏う精霊達を相手に、大剣を振り乱して強引に突破していく。
精霊の首、腕、残骸が舞う。
が、顔の大半を剣で殴りつけて破壊された精霊は、倒れずにそのまま黒鎧の死角を回り、背から彼へと抱き着いた。
黒鎧から黒い煙が上がり、肉の焦げる匂いがする。
「くだらぬと、そう言ったのだがな」
黒鎧は大きく足を上げ、砕けかけていた精霊の顔面を踏んで首を折り、そのまま背を踏み躙った。
さすがの精霊も手を放し、その場に横倒しになり、身体がマナの燐光を残して消滅していく。
数を倍にしても、あっという間に四体の精霊が消滅させられてしまった。
しかし、精霊の抱き着いていた黒鎧の背に、大きな窪みの様なものが生じていた。
炎獄天使アミ・ファトナスの剛力と業火によるものである。
ヨハンはマタイほど大量の精霊を操ることはできない。
しかし、ヨハンの召喚する炎獄天使アミ・ファトナスは、マタイの召喚する騎士天使フェン・メルクスよりも一体一体の質は遥かに高い。
炎獄天使アミ・ファトナスは炎を射出することもできるが、身体に直接纏っている炎はマナにより強化され続けているため、放つ炎とは比にならない高熱を維持することができる。
もし人間が触れれば、瞬時に炭化してしまうことは避けられないほどである。
(今の攻撃で、腰の関節部の金属が溶けて変形した。よもや、まともに動くことも敵わぬはずだ。このまま押しきれば、この男を殺すことができる。手早く始末して、ゼベダイ枢機卿の援護に回らねば……)
ヨハンがそう考えたときと、それが起こったのは正に同時であった。
黒鎧の、変形していた金属部分が、まるで液状生物の様に蠢き、元通りの形状へと自在に戻っていくのである。
ヨハンは目を疑った。
しかし、明らかに事実として、それは目前で起こっていた。
「……まさかそれは、呪われた金属、黒魔鋼だとでも言うのか?」
ヨハンも話には聞いたことがあった。
八国統一戦争時代に、一部の国が追い詰められて手を出したという、呪われた金属と称される黒魔鋼。
装備者のマナを際限なく吸い上げるが、それを用いて高い強度を誇り、また破損した箇所を自在に修復させる機能を持つ。
無敵の鎧とまで一時は呼ばれていたが、多くの戦士はそのマナの吸収に耐えきれず、鎧の中で干からびて無残な死を迎えたとされている。
「ご名答だ。ようやく口を開いたか、驚きが隠せなかったようだな。しかし、呪われた、とは心外だ。ただ、扱える人間が少なかった、というだけのことだ」
しかし、熱が通り、金属が変形したのは間違いない。
あの黒鎧は、天使の業火によって高熱の棺桶と化したはずであった。
だというのに、黒鎧にそれを感じさせる様子は一切ない。
「その鎧の中……どうなっている? なぜ鎧越しとはいえ、あの業火を受けて平然としている?」
ヨハンの問いを黒鎧が鼻で笑う。
「まさか訊かれて答えるとでも思っているのか? 知りたければ、我を打ち倒してみせるがいい。とっとと三つ首の大天使を出せ。貴様らのことは無論下調べ済みだ。あれであれば、多少は勝負になるかもしれぬぞ?」
黒鎧の隻腕が大剣を振り上げて構えた。
ヨハンはその隻腕を目で追った。
中身がない、なんてわけはない。
それならば黒魔鋼によって、欠けたもう片腕の鎧をとっとと生やしてしまえばいいはずなのだ。
規格外の再生能力を持っている、ということも考えづらい。
「出さぬのなら、出さぬでいい。貴様を殺した後は、ランベールに再び攻撃でも仕掛けてみることにするか。『亜界の薔薇』は、冷酷で周到な女でな。奴が地下に向かった以上、ゼベダイを討ち漏らすこともなかろう」
黒鎧が大剣を構えたまま、ヨハンへの距離を詰める。
「炎よ、虎となれ!」
ヨハンが黒鎧へと腕を向ける。
炎が五体の虎を象る。炎の猛獣達は、真っ直ぐに黒鎧目掛けて駆けていく。
「今更こんな魔術に何の意味がある?」
黒鎧はゆっくりと歩みながら大剣を振るう。
一振りされるごとに、炎の猛獣の身体が裂かれ、霧散して消えていく。
ヨハンは炎の猛獣達を盾にして黒鎧を大きく回り込んで、『眠りの塔』へと入っていった。
黒鎧はその背を睨み、呆れたふうに首を振るう。
「随分と、臆病なのだな。失望したぞ。四大聖柱の一角ともあろう魔術師が、こんな無様な敗走を行うとは。本気で逃げられると思っているのか?」
黒鎧はヨハンの後を追い、『眠りの塔』へと入った。




