第二十二話 血霧の騎士①
四大聖柱の一人であるヨハンは、荒れ果てた聖都を駆け、その中心付近へと向かっていた。
『……一つ、問いたい。地下に、無数の気配を感じる。何がある?』
胸中に、つい先程亡霊の騎士より問われた言葉が蘇る。
ヨハンはその問いには答えなかった。
何故なら地下通路には、亡霊の騎士の目的である異端審問会の最高責任者、ゼベダイ枢機卿がいるはずだからである。
亡霊の騎士はヨハンの反応から大まかな事情を察しているようではあったが、それでも彼の口からそのことを話してしまうわけにはいかなかった。
聖都ハインスティアには、襲撃に遭ったときに極一部の要人が逃げるための地下通路が用意されていた。
教会上層部が指揮を取り、罪人を労働力に用いて用意したものであり、その存在は厳重に秘匿されていた。
完成した際には、そのときに使った罪人を全員生き埋めにする徹底振りであった。
聖都ハインスティアが『笛吹き悪魔』の襲撃に遭ってから、四大聖柱の長であるシモンがゼベダイ枢機卿と少数の部下を伴い、地下通路から逃走を計っている手筈になっていた。
しかし、それだけならば、地中から無数の気配など感じるはずがないのである。
せいぜいゼベダイ枢機卿とシモンとその部下を合わせても、十人にもならない。
無数と形容されるからには、二十や三十ではないはずであった。
秘匿された地下通路にそんな大人数が入り込むわけがないのだ。
明らかに何か、異常なことが起きている。
招かれていない集団が、何らかの悪意を持って地下通路に侵入している。
ヨハンにはそうとしか思えなかった。
もっとも、あの亡霊の騎士が、ヨハンの反応から情報を得るために、揺さ振りを掛けようと出まかせを口にした、ということも考えられなくない。
むしろ、普通に考えれば、それを疑うべきであったのかもしれない。
亡霊の騎士の目的はゼベダイ枢機卿を見極めることであり、四大聖柱であるヨハンからしてみれば明確に敵であった。
ヨハンの立場としては、謎のアンデッドがゼベダイ枢機卿に接触しようとしているなど、決して看過できることではないからだ。
しかし、ヨハンには、歴史的叛逆者ランベールの成れの果てを自称するあのアンデッドが、どうしてもあの場で嘘を吐いていたとは思えなかったのだ。
彼の言葉には、無条件に人を心服させる重みがあった。
ヨハンは幼少期、死操術に手を染めた魔術師に故郷の村を焼かれたことがあった。
その後、ヨハンの抱いていた憎しみに目を付けたゼベダイ枢機卿に拾われ、彼の許で感情を殺して厳しい修行に徹し、教会の意向に沿わぬ者を冷酷に殺し続け、ついにはその功績が認められて四大聖柱の一角にまで抜擢されたのだ。
異端審問会の魔術師には心が存在しない、他者を平然と殺し続けるゴーレムだと、そう揶揄されることは少なくない。
ヨハン自身、それは事実であると考えていた。そう徹してきたつもりだった。
しかし、亡霊の騎士は、ヨハンの決して外に洩らせない、抱え込んでいた葛藤を少し問答を交わしただけで見抜き、そればかりか彼へ理解を示してくれたのである。
あの言葉がただのヨハンから情報を引き出すための言葉だったと、彼には疑うことができなかった。
(しかし……何故、大量の何かが地下通路に雪崩れ込んでいる? 今回『笛吹き悪魔』は下っ端を投入してはいなかったのではないのか? それとも、気配というのは、ただの連中の操っていた『魔増蟲』なのか?)
元より『笛吹き悪魔』は、以前のラガール子爵領におけるテトムブルクでの戦いで派生組織に当たる錬金術師団『死の天使』の団員、及び彼らの護衛としてついていた大量の魔術師が命を落としている。
これ以上構成員を減らさずに聖都ハインスティアを攻略するため、八賢者による強襲という手に出てきたのだと、ヨハンはそう考えていた。
しかし、聖都ハインスティアの地下通路は、地中に蜘蛛の巣の様に張り巡らされており、敵に通路を防がれたり破壊された際にも、すぐに別のルートから外へと向かうことができる設計になっていた。
ゼベダイ枢機卿の護衛に当たっているシモンは、魔術によって自在に広範囲の感知を行うことができる。
仮に地下通路で確実に追い詰めようと思うのならば、確かに物量投入によってルートを潰して囲むしかないのだ。
(事態はまだ掴めないが……教会上層部に、地下通路のことを売った裏切り者がいたのか? 仮に『笛吹き悪魔』が何らかの手段で、地下通路でのゼベダイ枢機卿の暗殺に動いているというのならば……あまりにも、筒抜けすぎる。絶対に、奴らに情報を売った者がいるはずだ。奴らならば、死体から記憶を取り出した、ということもあり得ない話ではないのが怖いところだが……)
やがてヨハンは目的地であった、白壁の高い塔へと辿り着くことができた。
ハインス教会の全ての殉教者を慰霊するための『眠りの塔』である。
この塔の地下室に、地下通路へと通じる入口の一つがあるのだ。
「ここで張っていれば、四大聖柱が釣れるのではないかと思っておった。当たりだったな」
低い声が辺りに響く。
『眠りの塔』の二階層の窓より落ちてきた黒鎧の騎士が、ヨハンの行く手を阻む様に降り立った。
黒鎧の騎士が立ち上がれば、あの亡霊の騎士に劣らない巨漢であった。
ただ、剣士としては致命的なことに、左の腕がなく隻腕であった。
「貴様が四大聖柱の一人、ヨハンであるな。フィリポ、マタイの亡骸は確認済みだ。そして、既に我らが同胞『亜界の薔薇』が、ゼベダイとシモンを追って地下通路に乗り込んでいる。そして我が、貴様の首を刎ねる。それで異端審問会はお終いだ」
「…………」
ヨハンは無言で身構えた後、そこから先のない、黒鎧の左肘へと目を向けた。
「おっと、我が身を案じてくれているのか? だが、不要だ。確かに我は、今は万全とは言い難い。しかし、片腕の剣士を殺めることを恥に感じる必要はない。既に我は、悪魔に身を墜としているのでな」
黒鎧はそこまで言い、背の巨大な黒い剣を悠々と片腕で引き抜き、自在に振るって見せた。
「無論、そんなことは不可能であろうがな。貴様は赤子の手を捻るのに両手を用いるか? 我は八賢者が一人、『血霧の騎士』である。せいぜい最期の戦いを飾って死ぬがよい。では、参るぞ」




