第十九話 聖都陥落③
ランベールの剣技に対し、『蟲壺』は間合いを取りつつ、倒壊した建物の残骸を利用し、不安定な足場を跳び回って移動することで対抗していた。
『蟲壺』の異常な身軽さは、逃げに転じればランベールの剣さえも避けられるほどであった。
顔や足、腹を刃が掠めながらも、『蟲壺』は平然と回避を続ける。
ランベールの大剣の刺突に対し、『蟲壺』は崩れた建物跡の天井に張り付いて回避した。
『蟲壺』はここでランベールの思惑を外した動きをしたつもりだった。
ランベールの意識に空白ができた瞬間を狙い、勝負に出る。そのはずだったのだ。
だが、間髪入れずにランベールの大剣が『蟲壺』の貼り付いた天井へと放たれる。
『蟲壺』は攻めを諦め、ランベールから距離を置く方向へと跳んで回避した。
「本当にアンタは隙を見せねぇんだな、どこから攻めたらいいのかわからねぇよ」
『蟲壺』が甲高い声で言う。
以前と性別は違うが、自身の身体に違和感は覚えていないようだった。
身体の乗り換えに慣れている証拠だった。
ランベールはすぐさま距離を詰め、一気に『蟲壺』を大剣の間合いの内側深くまで捉えた。
本来、武器の大きいランベールの利点を殺す、不利な間合いのはずだった。
ランベールは背を引き、大剣を肩の後ろに構え、刃の先端で『蟲壺』を狙う。
「さすがに、それは舐め過ぎだぜ」
『蟲壺』は身体を逸らして大剣を回避し、右腕を伸ばす。
腕が膨らんで内側から喰い破られ、大きな蜂が十体前後現れた。
針には毒ではなく高位の呪いが掛けられており、常人ならば掠めただけで気が触れる様な代物である。
『蟲壺』も自分優位の間合いとはいえ、ランベール相手にまともに素手の殴り合いを仕掛けるつもりはなかった。
だが、蜂による不規則な高速攻撃を至近距離から放てば、ランベールが蜂へ対処しようとする隙を突くことができるはずだと考えたのだ。
ランベールは今、大剣は振り下ろしたばかりだ。
ランベールが下ろした大剣を再び『蟲壺』目掛けて振るうまでの、一瞬にも満たない、刹那の時間。
ここが勝負だと『蟲壺』は睨んでいた。
だが、ランベールは大剣を振るった勢いを利用し、右の足を大きく浮かせていた。
「このための、この間合いか……!」
『蟲壺』はすぐさま下がろうとするが、距離が近すぎて避け切れない。
『蟲壺』の腹部へと、遠心力と魔金鎧の重量の乗ったランベールの蹴りがまともに当たった。
骨が容易く折れる音が響き、身体が大きくへし折れ、『蟲壺』の身体が跳んでいく。
崩壊寸前だった建物の床を壊しながら転がり、壁をぶち抜いて道へと投げ出される。
『蟲壺』の身体中の骨が満遍なく折れていることは見て明らかであった。
首でさえも、あり得ない方向へとねじれ曲がっている。
ランベールはあっさりと、呪い持ちの十近い蜂を二つの直線上で捉え、たった二振りですべて斬り殺してしまった。
仮に蹴りで文字通り一蹴されておらずとも、この動きに乗じて『蟲壺』が付け入ることは不可能であっただろう。
肉塊と化して地に伏せる『蟲壺』へと、ランベールの大剣が振り下ろされる。
身体を胸部を境目に、上下に両断した。
中から真っ赤な血に混じり、クリーム色の妙な液体が流れだす。
そして体内に入っていた空気が抜け出し、大きく身体が拉げた。
あまりにも、スカスカ過ぎる。
「既に抜け殻か!」
辺りに巨大な魔法陣が展開された。
「餓壊暴蟲の餐!」
地下より、さっきまでよりも幼い、少女の声が響く。
魔法陣に乗った『増魔蟲』の死骸が、黒い光に覆われて燃える。
ランベールはフィリポが殺された際の精霊による地下からの攻撃を思い出し、地面を蹴って大きく跳び上がった。
「我が声に応え、蟲界より来たれ、飢える破壊者アバドンよ!」
地面に罅が入って割れ、巨大な髑髏の頭を持つ肥えた百足、蟲界の精霊アバドンが現れた。
ランベールがアバドンを目にするのはこれで二度目だ。
アバドンの髑髏の頭部の項のところに、若い少女の姿をした『蟲壺』が乗っていた。
やはり、今回も若返っている。
前回と同じだ。
脱皮を用いて身体の損傷をリセットすると同時に身代わりを造る便利な技だが、その分身体が大きく若返る。
現在の『蟲壺』の肉体年齢は十代後半程度であり、今の身体で脱皮ができるのは多くて後一回が限界のはずだった。
今が限界、という可能性も高い。
あと一度脱皮すれば身体が小さくなりすぎて、身体能力もなく、手足のリーチも、身体に仕込んだ蟲の奇襲も使えなくなる。
ランベールの前で『蟲壺』がそんな無防備な姿を取るとは考えにくかった。
ランベールは空中から足許へと目をやる。
足のすぐ下にアバドンの髑髏の頭部が来ていた。
アバドンは暴れ狂う様に頭部を伸ばし、牙を剥く。
ランベールは身体を回して絶妙に重心を駆使し、アバドンの予測を振り切って牙から逃れた。
隙を晒したアバドンの頭部へ、横薙ぎに大振りの剣技を放つ。
だが、アバドンの強靭な髑髏はびくともしない。
「意味ねぇよバーーーカ! 力押しでどうにかなるわけねぇだろ!」
次の瞬間、アバドンと大剣の刃の接触点を起点に、ランベールが宙を舞った。
ランベールがアバドンの頭部を大剣で狙ったのは、斬りつけて頭部に損傷を与えるためではない。
髑髏に引っかけ、自身に前への推進力を与えることであった。
その狙いは無論、アバドンの項にいる『蟲壺』である。
ランベールは強引にアバドンの後頭部に降り立ち、『蟲壺』へと大剣を振るった。
「バ、バカな!」
『蟲壺』が悲鳴を上げる。
身動きのほとんど取れないはずの上空で必殺の一撃を往なしたどころか、そのままアバドンを避けて自身へと接近してきたのだ。
「一度見せた精霊を、同じ手順で使ったのは失策であったな」
『蟲壺』が大きく身体を背後へ逸らす。
だが、ランベールの大剣は、深々と少女の胸部を刃で抉っていた。
そのとき、少女の身体の背中が開き、中から更に一回りは幼くなったであろう童女が現れ、自身の脱皮した身代わりを蹴り飛ばして背後へと逃れた。
「喰貌哭殲蜘の餐!」
周囲へと巨大な魔法陣が広がる。
大量の『増魔蟲』の死骸が一人でに震え、空中へと浮かび上がる。
アバトンを召喚したときとはまた異なる儀式だ。
「ハハハ! 掛かったな! これで完全に詰みってわけだ。こう見えて俺って、キレる方なんだぜ? 一手目は一度見せた策で対処させて、二手目はそれを見越した上での罠を張るのが、盤上遊戯の定石でな。ここまで全部、俺の想定範囲内なんだよ!」
『蟲壺』の童女が笑う。




