第十七話 聖都陥落①
ランベールは聖都内を駆け回りながら『増魔蟲』を斬っていた。
既に街は死体で溢れ、生者の姿は見当たらない。
無限に湧き続ける怪虫の死骸がどんどんと聖都内の足場を減らしていた。
術者であった『蟲壺』を殺したというのに、まるで『増魔蟲』の増殖は止まる気配を見せない。
ばかりか虫達は主を失ってなお活気づいているようであった。
(こうなってくると、さすがに『蟲壺』が生きているという戯言にも信憑性が出て来てしまう)
『血霧の騎士』が襲撃を仕掛けてきたのは『蟲壺』を助けるためであり、『血霧の騎士』は目的を果たしたと述べてランベールから去って行ったのだ。
ランベールは確かに『蟲壺』の頭を潰した。
しかし、魔術師のしぶとさは、ランベールの生前時代から何度も彼の想定を上回って付き纏ってきていた。
時代を超えてランベールに執着を見せたドーミリオネがその筆頭である。
街を見ていれば『増魔蟲』が死体を貪る様子ばかりであり、『増魔蟲』と交戦していたはずの異端審問会の魔術師や、彼らの操る光界の精霊の姿が見えなくなっていた。
ランベールの見立てでは、異端審問会の魔術師が、武装した一般人でも倒し得る『増魔蟲』に後れを取ったとは思えなかった。
(八賢者か……。あの黒鎧の男を逃したのが痛い。あいつが、異端審問会側の重要戦力を削っているのかもしれぬ)
黒鎧の男……『血霧の騎士』は、ランベールと正面から斬り合えるだけの実力を持っていた。
現在は片腕となっているはずだが、それでも彼の剣技と、自己修復する黒魔鋼の鎧を突破できる者が聖都ハインスティア内にいるとは、ランベールには思えなかった。
「優先すべきは、あの黒鎧と……『蟲壺』の死を確かめることか。道中で感知した地下通路の存在も気がかりだが、とてもではないがそれを確かめる余力はない」
さすがにランベールの手が足りない。
四大聖柱が攻め入ってきた八賢者の数を減らしてくれればことは楽だったのだが、現状では死んだと確定していい八賢者は掴めておらず、四大聖柱は既に『蟲壺』の呼び出した高位精霊によってフィリポを失っている。
加えて、聖都内で『増魔蟲』と交戦していた天使が急減したことから、マタイの死も考えられる。
突如、ランベール目掛けて獣を象った炎の塊が襲い掛かってきた。
ランベールは大剣を振って炎の獣を四散させてから、獣が放たれた先へと顔を向ける。
「……また、貴様か」
ランベールが睨む先には四大聖柱の一人、ヨハンが立っていた。
割れた面の隙間から口許が覗いている。
「この聖都の惨状を見て、まだ俺に付き纏うことを優先するのか?」
「…………」
ヨハンは沈黙を保ちながら、ランベールへと杖を向ける。
「言ったはずだ。全てが終わってから、そのときに改めて貴様らを見極めに行く、とな。あくまでも聖都に住まう民を蔑ろにし、目障りな俺を早くに排除することが望みだと言うのか?」
「……少し、考えた。だが、お前はあまりに不吉すぎる。事が済めばゼベダイ枢機卿を殺しに行く亡霊の騎士を、ここで野放しにしておく理由はない」
「殺す、とは言っていない」
ヨハンは口許を歪ませる。
「いいや、お前はゼベダイ枢機卿を殺す。お前の様な義憤の象徴の様な男が、あの御方の行いを見逃すはずがない。だが、あの御方の思想こそ、このレギオス王国に今必要なものなのだ。我々異端審問会なくして、どう『笛吹き悪魔』に対抗しようというのか」
「敵を燻り殺すために、民を焼いたとしてもか?」
「…………」
ヨハンは少し黙り、杖を持つ手に力を込める。
「……ああ、そうだ」
ヨハンの答えに、ランベールが構えていた大剣を下げる。
ランベールの動きに、面から覗くヨハンの顔が強張る。
「……正義を盾に非道を繰り返し、是非を問われれば答えに窮する私を笑うか」
「笑いはせぬ。善人を殺しながら躊躇いなく正義を語る者がいれば、それは狂人に他ならぬだろう」
ランベールは首を振り、大剣を鞘へと仕舞った。
「それが悩み抜いた先の答えであり、積み上げて来た死体の重みを背負い続けている限り、既に遠い過去に屍の身となったこの俺に、貴様らを裁く権利などありはしないだろう」
今はもう、ランベールの生きていた時代ではない。
決して表舞台に立ち、政治を左右することはできない。
現在の王国の戦力では真っ当に『笛吹き悪魔』に対抗できないことも真実であった。
王国の未来を憂い、苦しむ者の考えを無碍に一蹴する様な真似は、ランベールにはできない。
「約束しよう。ゼベダイが貴様の様な男であれば、俺は奴を斬らぬ。退け、ヨハン。貴様らは既に、四大聖柱の半数を欠いている」
「…………」
ヨハンはこのとき、隙を見せたランベールへ再度攻撃を仕掛けるべきだと考えた。
だが、気がつけばその場に膝を突いていた。
ヨハンは元より、これまで悩みながらも感情を殺し、異端審問会の幹部としての実績を積み上げて来た。
外部では恐ろしい悪魔の集団だと誹りを受け、内部では信仰による一方的な狂信しかない。
ランベールの様な大きな存在に肯定を受けたことは、ヨハンにとって救いであった。
(だが……だが、それでも私は、このアンデッドをここで消さねばならない。四大聖柱として、どうあってもその答えは変わらない、そのはずだ)
ヨハンは膝を突いたまま、ランベールを睨む。
大鎧を纏うその姿は、最初に見たときよりもずっと大きく、絶対的なものに感じていた。
「……一つ、問いたい。地下に、無数の気配を感じる。何がある?」
地に膝を突くヨハンへと、ランベールが問う。
ランベールは足許の気配に嫌な予感を覚えていたが、地上で暴れる八賢者達のことを思えば、確信の持てない地下の件にまで手を回すことができないでいた。
だが、もしヨハンがここで聖都の地下について何かを知っているのならば、優先順位が明白となる。
「地下に、無数の気配……!?」
ヨハンの顔が蒼白になる。
「何か、あるのだな?」
「……それは、我々異端審問会上層部の問題だ。お前の首を狙うのをやめたわけではないが、それどころではなくなってしまったようだ。お前がゼベダイ枢機卿との接触を狙う限り、またいつか顔を合わせるときがくるだろう。そのときは、四大聖柱の最後の一人、シモン様と共に貴様を討つ」
ヨハンが身を引いた。
それを見て、ランベールもヨハンから顔を背け、別の方向へと再び駆けだした。
ランベールはヨハンの言葉から、聖都の地下の謎の気配の正体について察していた。
まず間違いなく、地下にあるのは、教会上層部が万が一のときに聖都を脱するために用意された、秘密通路である。
ランベールの仮説の最有力候補であったが、ヨハンの反応によってそれが裏付けられた。
そして正に今、ゼベダイがそこを通って聖都からの脱出を計っているが……あの無数の気配は、既に『笛吹き悪魔』の手の者、恐らくは八賢者がゼベダイを殺すために罠を張っているのだ、と。
ランベールは地下を通るゼベダイの安全よりも、一刻も早く聖都の地上で破壊工作を行っている『血霧の騎士』と生存不明の『蟲壺』を暴き出して殺すことを優先した。




