第十六話 王女と騎士
聖都ハインスティアの中央部にて、高い屋根の上に、複数人のハインス教徒の魔術師が集まってきていた。
中央に立つのは、両腕がなく、顔を包帯で覆った異様な風貌な男、四大聖柱の一角でもあるマタイである。
「おのれ『笛吹き悪魔』めが! 神聖なるこの聖都を、よりによって虫なぞで穢そうなど……!」
マタイはまだ大聖堂前でランベールに蹴り飛ばされた怪我が癒えておらず、部下に身体を支えられた姿勢で立っていた。
屋根の下では、聖都の美しい建造物が、増魔蟲と人の死体で埋め尽くされていた。
マタイ達の召喚した光界の精霊である五十近い騎士天使の軍勢が、大聖堂に近い中央部を中心に増魔蟲を相手に抗戦を繰り広げているのだ。
マタイの質よりも量で攻める騎士天使の軍勢は、増魔蟲の数を減らすことに適していた。
異端審問官や他の四大聖柱の功績を全て合わせても、マタイの騎士天使の軍勢が処分した増魔蟲の方が多いくらいである。
「いったい、どれだけの虫を放ってくれたのだ奴らは! この上なく鬱陶しい、舐め腐った連中よ!」
「……ゼベダイ枢機卿は御無事でしょうか?」
マタイの部下が、彼へと尋ねる。
「あの御方の心配は不要だ。我ら四大聖柱の長である、シモン様がついておられるのでな。それに、既にこの聖都ハインスティアを脱する様に動いておられる」
マタイは無感情にそう返す。
確信している、というよりも、ごく当たり前のことを話しているかの調子であった。
「……しかし、どこに『笛吹き悪魔』が潜んでいるのか、わかりません。報告では、都市バライラをほぼ単体で壊滅させた怪人マンジーと同格の八賢者が、複数名この地に侵入しているようですし……。ゼベダイ枢機卿は、この聖都の中央にある大聖堂にいらっしゃったはず。外に脱するまでにかなりの距離があります」
「フン……見つけることなど、できはしまい。それに、シモン様は、間違いなく王国最強の魔術師である。奴ら如きが掛かろうとも、敵うはずがない」
「そう……ですか」
部下が不安げに答える。
部下の男の知る四大聖柱のシモンは、小柄であり、皮と骨だけの様な痩せ細った老人なのだ。
重要な行事や儀式の場には居合わせているものの、あまり聖堂奥からさえ出てこないので、教徒達の間でも身体が悪いのではないかと噂されていたほどなのだ。
「そもそも『笛吹き悪魔』如きがのさばることができたのは、王家らの理想の行き過ぎた潔癖症によるところ! 王家が綺麗ごとばかり優先する無能であるから、あんな何の取り柄もない反乱分子共に後れを取るのだ。だが、我ら異端審問会は王家ほど甘くはない。戦争ごっこをやっている馬鹿どもに、教えてやろうではないか! 本物の地獄という奴をな!」
「は、はい」
「フフ、そもそも我ら四大聖柱がおるのだから、ゼベダイ枢機卿も本当は逃げずともよかったのだ。一応万全を期して動いてはおるだろうがな。『笛吹き悪魔』の奴らは玩具で都市を埋めていい気になっているようだが……こんなもので殺せるのは、一般教徒までよ。時間が経てば沈静化し、この都市に潜んだ奴らも捕らえられる」
マタイの顔を覆う包帯が、僅かに動いた。
頬の筋肉を動かして笑ったのだ。
「シモン様以外の四大聖柱である炎のヨハンも、結界のフィリポも、そして無論この私も、八賢者程度に後れを取る魔術師ではない。奴ら等、見世物にしてやればよいのだ。連中には不老不死を称する者もいると聞く。全身に杭を打って晒し者にして、何十年でも拷問を続けてやろうではないか。うむ、面白そうではないか。よほどあの連中は死が恐ろしいのだろうが、死よりも恐ろしいものがあることを知らんのだろうな」
マタイが言い終えたとき、床に座って大杖を掲げていた部下が立ち上がった。
「マ、マタイ様! 何か、恐ろしいものがこちらへと向かってきます!」
「来たか。まさに飛んで火に入る虫ケラというわけだ」
彼の背後から轟音が響く。
壁が崩れ、現れたのは時代錯誤な魔金の全身鎧を纏う大男であった。
マタイの部下達が警戒気味に陣を取る。
「……貴様の方が、現れたか……! 処刑場では、随分と派手にやってくれたな鎧の怪人め! いい気になるなよ。あの時の私は、不意を突かれただけだ」
包帯越しにもわかるほど、マタイの表情が怒りに歪む。
続いて鎧の大男が壁に開けた穴より、猫背の女が屋外へと出て来る。
くすんだ王冠を被り、古ぼけた布を継いで作った様なドレスを纏っていた。
肌は死人の様に青白い。
「あ、はー……いい、街並み……」
増魔蟲が人間の死骸を喰い荒らして卵を産み付ける地獄を眺め、しゃがれた声で、うっとりとした様にそう呟く。
「私の騎士様も、そう思うでしょう? ね? ねぇ?」
鎧の大男が頷く。
「は……イ、陛下」
「やれ!」
マタイの指示で、周囲の魔術師達が一斉に二人組へと炎弾を放った。
あっという間に壁が炎に包まれ、一部が焼け崩れる。
次の瞬間、ドラゴンが通過したかのような暴風が辺りに走り、炎が散り、掻き消されていく。
炎の膜の中からは、大きな剣を横に振るった姿勢で止まる、鎧の大男の姿があった。
すぐ足許では、風に撫でられた屋根の表面が剝がれている。
「う、嘘だろう……?」
「本当に、剣をたった一振りしただけなのか?」
大男の後ろで、女がくすくすと笑う。
「騎士様、やっちゃってよ」
大男が大剣を構え直す。
さすがのマタイも、大男の構えに圧され、やや身体を固くした。
「ばっ、馬鹿め! この私がこの様な目立つところに立ち、天使の群れを放ったのは、貴様の様な輩を誘き寄せて排除するためだ! 貴様らを殺すため、放つ天使の数はこれでも制限していたのだよ!」
マタイが叫ぶ。
「我が声に応え、光界より来たれ! 騎士天使フェン・メルクスの軍勢よ!」
マタイの声と共に周囲を眩いばかりの光が覆う。
光界の精霊である天使の群れが、屋根の上を埋め尽くす様に出現した。
背には蝋の翼を持ち、ぽっかりと顔に空いた空虚な穴を、大鎧の剣士へと向ける。
「さぁ、勝負といこうではないか! 我が騎士天使の軍勢を破り、貴様の剣が届くというのなら試してみるがいい! もっとも、この私にはまだ奥の手があるのだがな!」
マタイが叫んだ直後、頭上から大鎧の剣士が飛んできた。
「は……?」
魔金鎧の重量で辺り一帯が大きく揺れた。
マタイは最期の刹那に、自分の身体が完全に二つに裂けたことを知覚していた。
それほどまでに速く、乱れのない剣であった。
大きく跳び上がり、相手の認識外から自身の重量を帯びた一太刀を振るう『月羽』という剣の絶技であった。
八国統一戦争内に生み出されたとされるこの技は、人外の身体能力が要されるために現代では完全な再現不可能とされていた。
だが、この鎧の剣士は、超常の重量を誇る魔金の鎧を纏い、軽々とそれをやってのけたのである。
大鎧の剣士が背後へ跳び、すぐさま女の傍に控える。
二つに裂けたマタイの身体は、血を吹き出しながら屋根に空いた大穴へと落ちて行った。
魔術師達は穴の傍へと駆け寄っていく。
「マ、マタイ様! そんな……!」
「あ、貴方に今死なれては……聖都を虫から守っていた、騎士天使の軍勢が……ああ……!」
周囲を埋め尽くしていた天使の姿が、次々に消えて行った。
「つまら、なーい……。帰りましょう、騎士様。最低限の仕事はした、そうでしょう? ね?」
大鎧の剣士が、肯定する様に頭を下げる。




