第十五話 地下迷宮の主①
クレイドルを退けたランベールはフィオナ達に連れられ、建物の二階にある冒険者ギルド『精霊の黄昏』へと訪れた。
ギルドの奥の部屋、ギルドマスターの執務室へと入った。
『精霊の黄昏』のギルドマスターは、長い髪の男だった。
歳は三十半ばといったところである。
「この人が『精霊の黄昏』のギルドマスター、ジェルマンさんです」
フィオナはランベールにそう説明した後、フィオナはジェルマンへの報告を行った。
村の調査についてはとりあえずは簡単に済まし、まずは表で出会ったクレイドルとの一件を詳しく話した。
ジェルマンは一通り聞き終えると、深く溜め息を吐いた。
「……申し訳ございません。まさか、クレイドルがここまでだとは……。放っておけば、じきに嫌がらせも止まると考えていたもので」
「あまり下の酒場にも迷惑は掛けられんし、本気で移転を考えねばならんやもしれんな。それに、この都市で『魔金の竜』に目を付けられては、やっていけない」
「…………」
フィオナはクレイドルを通じて『魔金の竜』に目を付けられてしまったことに責任を感じてか、下唇を噛んで俯いた。
ジェルマンはその様子を見て目を瞑り、小さく首を振る。
「フィオナだけが狙いというわけではないだろう。……巻き込んだのは、むしろ私の方かもしれん」
ジェルマンは呟くような小さめの声で言った。
それから目を開き、声調を戻して続ける。
「この都市は少しおかしい。今回の件がなかろうと、移転は行っていたかもしれん。元々、借りた建物だ。さほど痛くもない。まぁ……これまで築いてきた信頼は少々惜しいがな。……さて、そっちの鎧の男が、クレイドルを退けてくれたのだな。礼を言おう」
「手は、出さない方がよかったのではないか?」
ランベールがそう問えば、ジェルマンはとんでもないと首を振った。
「そんなわけがあるまい。『魔金の竜』は、実力は確かに高い。連中と渡り合えるのは、『精霊の黄昏』の中では私くらいのものだろう。都市内での影響力も大きく、目を付けられたのは確かに痛い。だが、奴らは……そこらの裏ギルドよりも、よっぽど胡散臭い。連れていかれていれば、フィオナがどんな目に遭っておったか、想像もできぬ。なにせ、お得意様があのオーボック伯爵であるからな」
「ほう」
やはり、オーボック伯爵はかなり後ろ暗いことを幾度と繰り返しているようだ。
情報収集のために冒険者ギルドを訪れたことは、間違いではなかったようだ。
「できれば、奴らについて詳しく聞かせてもらいたいところだが……。そのまえに、裏ギルド……とは、いったいなんなのだ?」
ランベールの口にした疑問には、フィオナが答えてくれた。
「裏ギルドは、非合法の仕事を請け負う連中のことです。あまり存在が明るみになっていない場合が多いですね。こそこそと隠れて活動している連中が主です。しかし、中には権力者の汚い仕事を引き受ける代わりに、彼らを後ろ盾としている奴らもいます」
「フィオナの述べた通りだ。あまり気軽に話せることではないのだが……そうだな。君も無関係とは言えまい。話しておくのが筋だろう」
ジェルマンはそう前置きしてから、やや声のボリュームを落として続ける。
「『魔金の竜』は、通常の仕事を主体として引き受けている。それにこの街では知らない人間がいないほど有名だ。とても裏ギルドには当てはまらない。ただ……この地にギルドを構えて情報収集をしている間にわかったことだが、『魔金の竜』は、オーボック伯爵が裏ギルドへ仕事を依頼する窓口となっている可能性が高い。『魔金の竜』自体も、裏ギルドの状況を把握した上で行動しているような、妙な動きがある。往々にして表のギルドと裏のギルドは対立する依頼を受けてぶつかり合うものだが、奴ら『魔金の竜』には、それがまったくない。まるで、事前に示し合わせているかのようにな」
「なるほど……」
「奴ら自身、人目につき辛いところならば、何をやるかわからない。どうにも尾を隠すのが上手いらしく、直接的な証拠は何一つないがな」
おそらく、オーボック伯爵が盗賊団達に村を襲うよう誘導したときにも、このルートを使ったのであろうと、ランベールは推測した。
「と、それよりも、お前さんの素性について詳しく聞かせてもらおうか。あまり知らない奴においそれと話せることでもないのでな。どうやら、ウチのフィオナが助けてもらったようだが……」
「このお方は、私達が依頼で村の様子を見に行った際に盗賊に捕まってしまい……そのときに助けてくださったのです。ただ、どうにもあまりこの辺りに詳しくない様子でしたので、生活も困るのではないかと考え、『精霊の黄昏』にしばらく滞在してはどうでしょうかと私から提案したところでして……」
ジェルマンの問いには、フィオナが答えた。
ジェルマンはランベールの顔(の兜)をまじまじと確認した後、ううむと唸った。
「大事な仕事仲間の恩人ともあらば、断るわけにもいくまい。ただ、一度素顔を見せてもらってもいいか?」
「……ふむ」
ランベールはジェルマンから尋ねられ、唸るようにそう答えた。
街で過ごしていれば、こうした危機と遭遇するリスクはある。
ランベールもそのことを失念していたわけではない。
だが、実際対処できるかどうかは全くの別問題である。
ランベールは平静を装おうと努力したが、兜越しにも動揺がやや露呈していた。
ランベールは胆は据わっている。ただ、致命的に大根であった。
嘘があまり吐けない性分であったのだ。
「……どうした? 取れないっていうのか?」
「昔……大怪我を負った。あまり人に見せられるものではない」
ジェルマンはそれを聞いてしばし思案していたが、やがてフーと息を吐きだしながらゆっくりと首を振り、それから結論を口にした。
「……まぁ、いいだろう。受けた恩は、返さないわけにはいかん。ただ、私達に迷惑を掛けるようであれば切り離させてもらう。それだけは先に了承しておいてもらおう。ただ……この都市アインザスは、お前さんには居心地の悪いところだとは思うがな」
ジェルマンは、ランベールの情報の疎さ、世間離れした様子、顔を隠したがるところから、どこかしらから目を付けられているのだろうと結論付けた。
そのため追手が来たときには匿うつもりはないと、そう明言したのだ。
最悪逃げ出すつもりでいたランベールはジェルマンの考えていることを察し、話を合わせることにした。
「助かる……。心配はいらない。知りたいことが知れれば、不用意に長居するつもりもない」
「とりあえず形式的な書類だけ書いてもらおうか。おいリリー、そっちの棚に所属志望書があるから、一枚取ってやれ」
ジェルマンの指示を受け、リリーが棚から紙を取り出し、ランベールへと手渡す。
(名前……か)
ここまでは誤魔化してきたが、そろそろ何か適当なものを用意する必要がある。
「机とペンは貸してやろう。今、サッと書いてしまってくれ」
紙を渡されたものの、適当な名前が思いつかない。
しばし悩んだ後、ランベールはそのまま『ランベール・ドラクロワ』と、生前の自分の名前をそっくりそのまま記入した。
もう二百年以上も前のことなのだ。
誰も自分が本人そのものであろうと気が付きはしないだろうと、そう考えたのだ。
ランベールは何の気なしに選んだつもりではあったが、これは生前の在り方に執着してしまうアンデッドの性であった。
アンデッドは生前の使命や生き方に固執するものであり、その執念こそがアンデッドの魂を現世に縛り続ける鎖でもある。
ロイドが横からランベールの書いた名前を盗み見る。
「ランベールって名前だったのか。とっとと教えてくれたらよかったのに……」
ジェルマンがランベールの置いた紙を受け取り、自分の目で確認してから鼻で笑った。
「ランベール・ドラクロワ……か。随分と、大きく出たものだな。偽名を使うなと噛みつくつもりはないが、こうもわかりやすくやられるとな……。ま、せいぜい本物と比べられて、失笑を買わないように気をつけるんだな」
ジェルマンは紙面の名前とランベールの姿を見比べ、呆れたように言った。
ロイドは気が付かなかったようだが、ジェルマンはランベール・ドラクロワの名に聞き覚えがあるようだった。
フィオナもジェルマンの言葉を聞いて少々面食らったような顔をした後、苦笑していた。
(ジェルマンとフィオナは、俺の名前に聞き覚えがあるようだな)
「……どうした? 有名人の名前か、何かなのか?」
ロイドは不思議そうに眉を顰め、ジェルマンへと尋ねた。
「もう少しお前は書物を読むべきだな。八国統一戦争におけるレギオス王国の英雄……グリフ・パルカイザーは知っているだろう?」
ランベールはてっきり自分のことかと思ってややむず痒い気持ちでいたのだが、不意にかつての親友の名が飛び出してきて驚いた。
グリフ・パルカイザー。
ランベールと同じ四魔将の一人であり、彼を崖底へと突き落とした張本人でもある。
「グ、グリフはもちろん知っている。馬鹿にしないでくれよ」
ロイドがむっとしたように答える。
「八国統一戦争の終結を目指して戦うグリフ・パルカイザーの前に立ち塞がった、事実上最後にして最大の障害がランベール・ドラクロワだ」
ジェルマンが語る内容の中では、ランベール・ドラクロワは大悪党となっていた。
「元々孤児であったランベール・ドラクロワは、その剛力によって八国統一戦争時代に手段を選ばず成り上がり、四魔将にまで昇り詰めた。そしてライバルであったグリフ・パルカイザーと主君であるオーレリア・アルレアートの殺害を企て、自らがウォーリミア大陸西部の覇者になろうとしたという。結果的にグリフ・パルカイザーとの戦いに敗れ、身投げして命を落としたとされているがな」
「なんだ、ただの裏切り者か。ちょっとは聞いたこともあったような気はするが……そんな奴、いちいち覚えてはねぇよ。俺は学者じゃなくて、冒険者なんだからよ。んな奴、グリフ・パルカイザーの踏み台じゃないか」
「…………」
ランベールは歴史における自分の立ち位置を、どこか全く別の、遠い国の人間のことのように聞いていた。
聞き終えてから頭の中で反芻し、それがようやく自らのことなのだと思い出したほどである。
国の歴史としては、忠臣を疑心の末に殺害したというよりも、裏切り者を英雄が処刑したというほどがずっと聞こえがいいだろう。
統一したばかりで安定した統治を進めるためにも、余計な汚点を広めるわけにはいかない。
そのことは理解できたが、しかし、あれだけオーレリアのために剣を振るい、その結果が権威欲に溺れた逆賊として歴史に残されたことは、ランベールには受け入れがたいことであった。
ランベールは四魔将として、せめて誇りのある死が欲しかった。
肉体があれば涙を零していただろう。
そのことで余計な疑心が持たれなかったのは、寂しくもアンデッドの身体の利点であった。




