第五十一話 テトムブルクの最期②
ランベールと別れたアルアンテは、クロイツ達へと無事に追いついた。
クロイツは部下と保護した子供達を集め、ラガール子爵領内の主要都市であるクラーンへと向かいつつあった。
既に小型都市テトムブルクを脱するため、廃墟の街を抜けるところであった。
クロイツはいち早くアルアンテの気配に気づき、レイピアを構えて彼へと向ける。
「き、貴様は……!」
無理もない。
クロイツは、アルアンテの身体を乗っ取った『死の天使』の錬金術師団の団長シャルローベが、目前でランベールと戦うところを既に目にしていた。
更には合流した部下達から、敵魔術師であったジジョックを残虐な手法で殺し、不気味な妄言を吐いていたことも確認していた。
遅れてアルアンテに気が付いた部下達も、ジジョックの死に際を思い出し、顔に恐怖の色を浮かべながらも、各々に武器を構える。
「…………」
アルアンテはクロイツを前に、足を止める。
「わ、私は……その……」
クロイツ達の顔を見たアルアンテには、既に半ば弁解する気さえも消え失せていた。
彼らの表情には、色濃い恐怖と嫌悪がありありと表われていた。
「お前達は子供を連れ、早く逃げろ! 散り散りになれ! 悪いが、全員逃げるのは不可能だ! 五分だ! この私が、死力を尽くし、五分稼いでやる! それ以上は無理だ!」
「ク、クロイツ様……」
最早彼らは、アルアンテの顔を見ただけで混乱に陥っていた。
シャルローベの振る舞いは、彼らにそうさせるのにあまりに充分過ぎた。
アルアンテがどう弁明すればよいのか言葉に詰まっている間に、逃げようとする兵達に反し、前に出て来た者がいた。
車椅子の歯車を回し、懸命に前に出たのは、足の不自由なエリーゼであった。
彼女は剣を構えてアルアンテを牽制するクロイツをあっさりと追い越し、アルアンテへと接近していた。
「……お兄さん、よね? あの怖い人なんじゃなくて、アルアンテお兄さんなのよね?」
「エリーゼちゃん……」
クロイツが慌ててエリーゼに駆け寄って車椅子を止めようとしたとき、エリーゼが大粒の涙を零し始めた。
思わず、クロイツも足を止める。
「わかる、もの。ほら、やっぱりそうなんだ……よかった、ずっと、信じていて、本当に……。ずっと怖かったけど、私、絶対にあの人がお兄さんなわけないって、信じていたから……」
このとき、クロイツの関心は、アルアンテと、エリーゼの動向に向けられていた。
エリーゼの言葉を信じて様子を見るべきなのか、早く彼女を連れて逃げるべきなのか。
今の弱々しい好青年にしか思えないアルアンテが、あの鎧の騎士と正面から戦っていた不気味な魔術師と同一人物であるのか。
理屈ではアルアンテを信じるべきではないと考えていた。
そもそもクロイツは、ランベールと接触したときのアルアンテの演技を一切見破ることができなかった。
今も、次の瞬間には笑いながらエリーゼを連れ去り、自分を虫に変えてしまうかもしれない。
仮に彼が本気になればクロイツにどれだけ抗えるかはわからないが、それでも無抵抗にそれを許していいはずがなかった。
ただ、アルアンテとエリーゼの表情には、理屈を超えたものがあった。
彼らが次の瞬間にどうするのか、どうなるのか。
それにばかり気を取られていた。
だから、それに対応するのが、遅れたのだろう。
突如として、宙に人一人ほどの大きさはあるであろう、真っ赤な十字架が浮かび上がった。
赤々としたそれは、業火に包まれた金属塊であった。
意外にもそれが真下に捉えていたのは、この場で最も戦闘能力を持たず、無垢であろう幼い不運な少女、エリーゼであった。
足を止めていたアルアンテの表情が、空を見つめて歪む。
地を蹴り、一目散に前へと跳び出した。
「エリーゼちゃんっ!」
十字架が落下する。
重力加速を明らかに超えた加速を以て、彼女の身体を押し潰そうと迫った。
仮にこのまま落ちれば、彼女の身体は潰れて蒸発し、肉片の一つも残らないであろう。
「え……?」
頭上から感じる熱量と風切り音を聞いて、彼女は空を見上げた。
落ちて来るそれに、理解が追いつかなかった。
かつての表情のままのアルアンテを目にして、もう不運は終わったのだと、そう信じたかった。
彼女は実験の副作用で身体を蝕まれていたことは知っていた。
だから、残りの人生がそう長くないであろうことも、子供ながらに覚悟していた。
ただ、それが悪夢が終わったその日になるとは思ってはいなかった。
アルアンテが地面を蹴り、腕をせいいっぱいに伸ばす。
車椅子が大きく押し出された。エリーゼを乗せたまま動き、そのまま彼女を弾き飛ばして転倒した。
エリーゼは地面に投げ出されてから、必死に顔を上げた。
アルアンテは熱された十字架の下で倒れていた。満足げに、しかし寂しげに笑っていた。
「お兄さっ……」
エリーゼが手を伸ばす。
だが、とても届く距離ではなかった。
元々、アルアンテは覚悟していた。
囚われていた身ではあるが、アルアンテはただの被害者の一人ではない。
『死の天使』の錬金術師として、彼らの研究を手伝っていた立場なのだ。
元々シャルローベはアルアンテを重宝していたが、それは『電離人魂』のための都合のいい憑依先の身体として、であった。
あの魔術が表に出していい代物ではないことは、一魔術師であるアルアンテはよく理解している。
結局のところ、全てを公にすることはできないのだ。
大事な部分を伏せたままに、彼が信用を得ることは難しいだろう。
それに脅されていたとはいえ、『死の天使』の研究を手伝っていたことには変わりない。
アルアンテは、自身はいずれ裁かれるべき人間であろうと考えていた。
だから、ここで彼女を庇って死ぬことには運命さえ感じていた。
ただ、エリーゼが生きている限りは彼女に付き添いたいとも願っており、それだけが彼の未練でもあった。
アルアンテが僅かに顔をあげる。
遠く、廃墟の屋根に、教会のシンボルである瞳が刻まれたローブを纏う、仮面の男が映った。
その背後には、六枚の翼と三つの頭部を持ち、顔の全てにぽっかりと穴の開いた、上半身だけの巨人が浮かんでいた。
その上半身だけで、五ヘイン(五メートル)はあった。
その異形の姿は、召喚魔術に疎いアルアンテにも、異界の住人であることは明らかだった。
飛来した大きな剣が、十字架の中心へと当たった。
赤々と輝く十字架は大きく落下地点を変え、地面へと深々と突き刺さった。
その傍らに大剣が突き刺さる。
「え……」
困惑するアルアンテの前に、大剣が地中より引き抜かれる。
「一刻も早く逃げろ。連中は、お前達さえも奴らの研究成果として、外に出る前に処分するつもりらしい。ここを逃げてからも、決して足を止めるな。連中がどこまで追いかけるつもりなのかは、俺にもわからない」
「そ、そんな!? いくらなんでも……」
「その子を守ることができるのは、お前だけだ。自己満足で、安易な死を選ぶなよ」
「……ッ」
アルアンテは起き上がり、すぐさまエリーゼを車椅子へと乗せる。
「よ、鎧の剣士よ、これはいったい……」
クロイツが狼狽える。
「俺も、あまり長い時間は保証はできない。これ以上の立ち話は無用だ」
「よ、鎧の剣士が、相手にできないほどなのか奴は!?」
「奴、ではない。奴らだ」
ランベールの言葉の後に、周囲の廃墟から一斉に爆音が上がり、窓を破って内部から炎が溢れる。
いつの間にやら、都市のあちらこちらに、暗色のローブを纏い、被り物で顔を隠した者達が立っていた。
仮面をしている者は他の者よりも纏っている布地の模様が多く煌びやかで、指揮官であることを匂わせていた。
全員を合わせ、この場にいる者だけで十三人になる。
「い、『異端審問会』の連中! このテトムブルクの、全てを消しに来たのか!」
王国内の最強魔術師団にして、最悪の集団とされている。
王国兵団の一部がこの場に居合わせたからといって、とても譲歩するような連中ではなかった。
「早く逃げろ! 俺もすべてを相手取ることはできない!」
ランベールが怒鳴る。
今やクロイツに、アルアンテを警戒している猶予もなかった。
「すまない、鎧の剣士! この恩義は、いつか必ず報いる!」
逃げていく彼らを背に、ランベールは大剣を構える。
「……確かに禁忌を冒し、世の理を冒涜する魔術師共は、通常の手段では止めることは難しい。俺もそのことはよく知っている。だが、貴様らのやり方を、それでも俺は傲慢に否定する。俺の答えは、疎まれて暗殺されようとも、変わりはしない」
『異端審問会』の魔術師達は動かない。
燃える金属塊を大剣の投擲程度で弾いたランベールの異常さに、警戒していた。
「奴らを討つ根源の理由は、民を守るためだったはずだ。信念を忘れたお前達に、大儀はない。全員で来い、それでも数が足りないだろうが、相手をしてやる」
示し合わせた様に、その場の魔術師達が動き出し、ランベールへと接近する。
三つ首の巨大な精霊が腕を振り上げる。
ランベールの頭上に、再び熱された十字架が浮かんだ。




