第四十四話 真理の紡ぎ手⑥
クロイツもこの状況に、ようやくアルアンテが真っ当ではないことに気が付いた。
だが、この状況で退けと言われて、易々と退くわけにはいかない。
レイピアを向け、矛先にアルアンテを向ける。
アルアンテは不気味な笑みを浮かべながら、極端な前傾姿勢を維持し、落ち着きなく腰、肩を一定ではない、奇妙なテンポで揺らしていた。
(不気味ではあるが……武器は構えていない。今の間合いならば、魔術を使う前に制することができる!)
クロイツがそのままアルアンテ目掛け、肩に刺突をお見舞いしようと前に出ようとした。
そのすぐ前方へと、ランベールの大剣が落ち、大地を穿った。
クロイツは驚き、大きく後ろへ飛びのいた。
「な、何を……!」
「お前の敵う相手ではない! こいつは、明らかに、死ぬことに慣れている魔術師だ!」
ランベールが叫ぶ。
アルアンテは、何度もランベールに斬られかねない隙を見せていた。
だからこそランベールも、アルアンテへの警戒が薄くなっていた。
だが、実際は違った。
つい先ほども、ランベールが少し剣を押し込めば首を斬られていた瞬間にも、白を切り通そうとしていたのだ。
「し、死ぬことに慣れている……? そんな矛盾した存在が、あるはずがない。リッチの話は私も知っているが、あんなものはお伽話のようなものだ! 完全なリッチなど、存在しない! そんなものがいれば、とっくに世の倫理は破壊されている」
クロイツはアルアンテへとゆっくり目を向ける。
「私は……職業上、そして過去の因縁のため、その手の魔術にはある程度は精通している自信がある。不老を得る魔術には、必ず欠点がある。肉体は腐り落ち、心は魔物に成り下がる。人としての姿と精神、知能を保つことは、絶対にできない……その前提があるはずだ」
クロイツの目には、アルアンテの肉体も健全で、少なくとも精神を健全だと装うだけの判断能力があるように映っていた。
「絶対など、定義によって移ろう、言葉遊びに過ぎぬというのに。何も知らぬ者が、外側から決めつけてわかった気になるための言葉に過ぎぬ。その様なものに惑わされるから、真理へと辿り着けなくなるのだ。絶対などという言葉は存在せんのだ、絶対にな」
アルアンテは楽し気に指を揺らしながらテンポよく舌を打ち、弁舌を振るう。
「お前達王国兵が相手取ろうとしているのは、目前のこういった連中なのだ。だが、今のお前では、奴に傷一つ付けることは敵わぬだろう。ここは下がれ」
再度、ランベールは説得する。
だが、クロイツはレイピアを降ろさない。
「しかし、私は『不死鳥の瞳』の部隊長として、敵を前に背を向けるわけには……!」
「お前達を連れて行ったのは、王国側の者に、奴らのことを知ってほしかった、という意味合いがある」
「え……」
「お前は見所がある。必ず、王家へとこの件を持ち帰るのだ。これは頼みではない、命令だ。敵は、俺一人が動いたところでどうにかなる規模ではない。クロイツ、今は、お前達の時代だ。しかし、この場は俺に任せろ」
ランベールは完全にクロイツへと背を向け、アルアンテへと大剣を向ける。
すぐ目前で庇われて気が付く。
ランベールの鎧がここまで大きく、そして美しいものであったのかと。
クロイツはその背に見惚れ、一瞬思考が止まる。
「早くせよ!」
「は、はい!」
思わず敬語で応じたクロイツは、急いでエリーゼの車椅子目掛けて走る。
「ガキ一人逃がすのは構わぬ……だが、その娘は我のものだ!」
アルアンテが手を地のすれすれまで垂らし、獣に近い姿勢でランベールを回り込み、クロイツへと駆ける。
すぐさまランベールが横に跳び、大剣を一閃する。
アルアンテは大剣を跨ぎ、ランベールの肩へと足を乗せる。
「邪魔であるぞ、負け犬めが」
「この鎧は忠義の証だ。貴様如きが、足蹴にするな」
振られた大剣が、宙を舞うアルアンテを捉えかける。
だが、紙一重でアルアンテは回避する。傍から見ていては、当たったとしか思えない位置関係であった。
「おお、流石に速……」
続けて振られた二振り目、三振り目が、アルアンテの立っていた位置を削り取っていく。
「や、止めて、殺さないで、お兄さんを……」
エリーゼが声を震わせ、アルアンテを見やる。
アルアンテはランベールの大剣に対応しきってこそいたが、進路に立ち憚る彼を越えられないでいた。
少しでも隙があれば身体を斬られる、その瀬戸際だった。
四振り目、五振り目を、アルアンテは後退しながら避ける。
明らかに身体を狙った剣ではなく、とにかく前に出させないための剣だった。
ランベールはひとまず、この場は確実にクロイツ達を逃す選択を取ったのだ。
「フン、痛々しい奴め。貴様ら騎士は我々魔術師を理解できぬというが、その言葉はこちらも同じよ。いや、知識欲に没頭する我々の方が、まだ理解を得られよう」
アルアンテは大きく下がりながら、指を前へと突き出す。
「土よ、串刺しにせよ!」
地面が変形し、三十はあろうかという鋭利な針が生じ、凄まじい速度でランベール目掛けて伸びて行った。
逃げながらも、尻目に彼を見ていたクロイツは驚愕する。
あの規模の魔術を即座に発動できるのならば、剣士など必要ない。
間合いに入る前に身体を貫かれてしまうからだ。
「よ、鎧の剣士殿っ……!」
ランベールは退かなかった。
前進し、身体を捻って関節の隙間を突かれることを回避すると同時に大剣を大振りし、アルアンテの前へと出た。
鋭利に見えた土の針は、次々と鎧の前に先端が折れ、形を失っていく。
「はぁっ!」
そして豪快なランベールの動きと同時に、それらが一斉に砕け散り、砂と化した。
右に、左にと、素早く大剣が二振りされる。
大きく背後へ跳んで宙返りしたアルアンテの、ローブの腹部が切れていた。
アルアンテはローブを摘んで口を開けて感心した様に笑う。
「いや、さすがに見事なものよ。我は猫背なものでな、ローブの分を忘れておった」
だが、笑う彼の頬を、血が伝っていた。
指で拭い、神経質そうに瞼を震わせる。
ランベールは大剣を左右に振るった。
ひと振り目は彼のローブを裂き、二振り目が彼の頬を薄く斬っていたのだ。
「それは何を忘れていた? 貴様の死に場所か?」
アルアンテの顔が怒りを露にし、ランベールを睨む。
「この程度で、思い上がるでないぞ、負け犬騎士の、ランベールゥ……」
クロイツが、尻目に彼らの戦いを捉えていた。
どちらが優勢なのかもわからない。
彼の目からは、ランベールの動きも、アルアンテの動きも、節々を捉えるのが精一杯だった。
「本当に、あの方は何者なんだ……まさか、本当に、ランベールだとでも言うのか……?」
クロイツは呟きながらも、前へと向き直り、車椅子を押した。
 




