第十三話 一流冒険者クレイドル④
『精霊の黄昏』のギルドのある建物へ近づいたところで、フィオナが不意に足を止めた。
ランベールも足を止め、フィオナの視線の先へと目を向ける。
建物の前に、銀髪の男が立っていた。
白をベースとした金の竜の刺繡がなされた服に、よく目立つ真っ赤なマントと、随分と派手な格好をしていた。
「僕はね、難しいことは言っていませんよ。ただね、ここの二階を空けた方がいいのではないですかと、僕は提言してあげているんですよ。脅しだなんて、とんでもない!」
男が話している相手は、整った身なりをしている、エプロン姿の中年の女である。
おそらく『精霊の竈』の経営者だろうと、ランベールはあたりを付けた。
「おっと、ようやく戻ってきたのかい、僕のフィオナ」
男はふとランベール一行を見ると、猫撫で声でそう言い、口元を歪めた。
ランベールはフィオナ、ロイド、リリーの顔色をちらりと確認する。
三人とも嫌悪の籠った顔をしていた。
「どうやら、あまり気持ちのいい知り合いというわけではなさそうだな」
「クレイドル……都市アインザスの最大手ギルド『魔金の竜』の奴だ。何が気に食わねぇのか、最近ギルドぐるみで嫌がらせしてくるようになってよ。そん中でも一番鬱陶しいのがクレイドルだ。タチの悪いストーカーだよ」
ロイドが吐き捨てるように口にする。
「嫌だなぁ……ストーカーだなんて。僕はさ、彼女の才能を見込んでちょっと勧誘してみただけじゃないか。それを外野がどうこう言うのは、あんまり趣味のいい話じゃないなぁ」
クレイドルという銀髪の男は、つかつかとランベール達へと歩み寄ってきた。
「それに僕だって、馬鹿女一人のために毎回出張るほど暇でもないしね。そこあんまり勘違いされると、イラっと来るんだけどなぁ」
「あ? だったら何が目的でテメェら……」
クレイドルとロイドが言い争うのを、ランベールは横から淡々と観察していた。
「なるほど。断られた腹癒せに、嫌がらせをしていたわけか。小さな男だな」
クレイドルが不機嫌そうにランベールを睨んだ後、急に口角を引き上げて不気味な笑みを作った。
「はっはっはっ、だからさ、僕はさ、忠告してあげてただけだよ。僕のところさ、裏ギルドの『死霊の通り道』とも関わりがあるって噂は、君達みたいな弱小ギルドでも聞いたことがあるでしょ? だからー、こぉーんなゴミみたいな店一つ潰すのは、簡単なんだって!」
クレイドルはそこまで言うと、突然建物の壁を蹴り飛ばした。
大きな音が響き、壁がへこむ。
入口付近に立っていたクレイドルと先ほど口論をしていた中年の女が、短い悲鳴を上げた。
「や、やめてください! 何を急に……!」
「足がさ、滑っただけじゃん。そんなに責めなくたっていいでしょ? こんな薄い壁の方が悪いんだよ」
肩を竦め、へらへらと笑う。
「このっ!」
ロイドが剣の鞘に手を掛けて前に出る。
それをフィオナが制した。
「ロイド! 手を出せば、相手の思う壺です!」
「おやおや、僕は親切心から忠告に来てあげていただけなのに、すーぐに手を出そうとするんだ。最低だね、君」
「て、てめぇ……どっちが先に……!」
「衛兵だ! そこの者達! 何をしている!」
槍を持った男が、大声を出しながら駆け寄ってきた。
どうやらクレイドルが女主人相手に詰め寄っているところを見た通行人が、衛兵へとこの一件を報告していたようであった。
しかし衛兵は、クレイドルの姿を見るなり、居心地の悪そうな顔を浮かべた。
「ちょうどよかったよ。衛兵さーん、こいつさぁ、僕に向かって剣を抜こうとしているよね?」
「え、あ……は、はい……」
衛兵は先ほどと違い、敬語で返答した。
確かにロイドの手はまだ剣の鞘に掛かっていた。
ただ、剣を抜こうとはもうしていない。
すでにフィオナの制止があって、冷静になって中断したところである。
クレイドルはニッと笑うと、地面を蹴って鞘から剣を抜き、前に立ち塞がるフィオナをすり抜けてロイドの顔面へと打ち付けた。
「がふっ!?」
ロイドの口から血と数本の歯が飛んだ。
身体は弾き飛ばされ、地の上を転がった。
「な、何を!」
リリーが慌ててロイドへと駆け寄り、抱え起こした。
「そいつがさ、剣を抜こうとしたから、自己防衛のために殴りつけただけじゃないか。そっちは剣を抜こうとしたのに、僕は鞘で殴るだけで許してやったんだ。優しいだろう?」
クレイドルが鞘を構えたのは、フィオナが完全にロイドを制止させてからである。
そんな言い分、通るわけがない。
だが、衛兵は悔しそうに表情を歪めながらも、その場に立っているだけだった。
「お前は、今のを見ても動かないのか?」
ランベールが尋ねると、衛兵は小さく首を振って槍を下ろした。
「わかってない、何にもわかってないねぇ、君。僕達『魔金の竜』が、この街でどういう立ち位置にいるのか」
クレイドルはそう言って、ケタケタと笑った。
「外道……」
フィオナがクレイドルを睨みつける。
「酷い言いがかりだなぁ。僕だってさ、暴力に訴えたくはなかったんだよ。もっと平和的に話がしたかったのに。元はと言えばさぁ、全部そっちから仕掛けてきたことじゃん。僕は平和的に進めたいのにさぁ、そっちの馬鹿が剣なんて向けてくるから、これで僕が引いたらさ、僕がその馬鹿より弱いみたいで嫌じゃないか。弱小ギルドの分際で、僕に武器なんか向けてくるのが悪いんだよ。僕だってプライドがあるんだから、そりゃあ退けなくなっちゃうじゃん」
「てめぇ……!」
ロイドが口元から血を流しながら、クレイドルへと叫ぶ。
クレイドルはロイドを見て、ハンと鼻で笑う。
「負け犬はさ、大人しく転がってなよ。みっともない。弱小ギルドの奴にはさ、ないんだろうね。プライドって奴が。格好つけて剣を向けてきたのに、あんな正面から顔面に向けて振られた武器を躱せないなんてさ、恥ずかしくって僕なら死んじゃうね」
「だいたい、何がそっちから仕掛けてきただ! フィオナに振られて、嫌がらせしかけてきたのはてめぇだろうがよ!」
「あの、さぁ。『魔金の竜』の一員である僕が温情を掛けてさ、こんなボロギルドじゃなくてウチに来ないって声をかけてきたのにさ、断ったんだよ? そっちがまずさ、僕に恥を掛けたんだよ。わからないかなぁ? ねぇ?」
クレイドルは、どこまでも身勝手に、上から目線でそう言った。
ランベールはクレイドルが真っ当な人間でないことはわかっていたが、真っ当に話ができる人間でもないことを、ここに来てようやく悟った。
性根の腐り具合だけでいえば、ランベールの戦ってきた八国統一戦争でもなかなか見なかったレベルである。
「だからさ、僕は、前に言ったことを撤回して、フィオナが僕のギルドに移るならさぁ、どっかの裏ギルドが酒場を潰そうとしてるのも、僕から手を引くように言ってあげてもいいって言ってるんだよ。身内の出身ギルドに知り合いがちょっかい掛けてるなんて、あんまり気分がいいことじゃないからね。どうだい? 僕って、優しいだろ?」
「それを嗾けてるのがテメェだろうが!!」
「何を根拠に。やだなぁ、もう。弱い上に馬鹿で、性格まで悪いんだから、救いようがないね君。君のギルドって、みんなそんな人なの?」
「……わかりました。私が、移ります。それでもう、『精霊の黄昏』には、手を出さないでください」
ロイドとクレイドルが言い合うのを、フィオナの一言が止めた。
「フィ、フィオナッ! ダメ!」
「あいつ、ロクな奴じゃねぇんだぞ! 何されるか、わかったもんじゃねぇ!」
「……さすがにこれ以上、迷惑は掛けられません。今後も、このようなことが続くと思うと……」
「それでいいんだよ。君は、決断が遅いねぇ。最初からそう言っておけば、あそこの彼も歯を失わずに済んだろうに。僕だって、余計な恥を掻かされずに済んだのにさぁ。まぁ、いいよ。僕は優しいから、ぜーんぶチャラにして、許してあげちゃう」
ランベールはどうするべきなのか考えていた。
明らかに相手に正義がないことは確かだが、下手に手を出せば余計に拗れかねない事態である。
都市の治安を守るべき立場であるはずの衛兵が、クレイドルの蛮行を容認しているのである。
自分ひとりならまだしも、クレイドルを叩き斬れば、むしろ彼女達の迷惑となりかねない。
「情けない奴だな。女一人思うようにできずに当たり散らして、結果として自分の恥を自分で触れ回っているのか」
「……あ?」
ランベールの出した答えは、直接的な挑発であった。
クレイドルの自尊心の高さは、先ほどのやり取りより重々承知である。
そこを突いて言質を取れれば、今後のクレイドルからの干渉も抑制できると考えたのである。




