第三十八話 再・笑い道化②
ルルックの背後に立ったランベールが、大剣を振るう。
「うぐっ!」
ルルックは床を蹴って前方に跳びながら、腕を横へと大きく伸ばすことで、ポルターシザーの重心を利用して器用に身体を捻り、空中でランベールへと向き直った。
「お前の剣は、一度見てるんだよ……!」
振り下ろされた大剣に対し、ルルックの小柄な身体が、弾き出される様に横へと跳んだ。
傍から見ていたクロイツ達には、ルルックの曲芸染みた動きが、まるで彼女が向きを変えて宙で二度跳んだかのようにさえ見えた。
実際には、ルルックは振り下ろされた大剣の側面に手を当てて押し込むことで、自身の身体を横に投げ出して回避したのだ。
(避けれた……! 今まで見て来た、何よりも速い……でも、避けれた!)
ルルックは面の下で、引き攣っていた口許を僅かに緩ませる。
宙で片手に掴んでいたポルターシザーをランベールの背後目掛けて投擲し、反動で自身の速度を底上げする。
身体を丸めて床の上で一回転した後に、膝を突いた姿勢で着地した。
ルルックは『笛吹き悪魔』の八賢者の中での序列は最も低い。
さしたる実績や研究成果、組織への貢献があったわけではない。
魔術の才覚も他の八賢者と比べれば劣る。
仮に万全の準備を整えたとしても、マンジーの様に一都市を相手取る様な術を持たない。
それらなしに『笛吹き悪魔』の幹部に立つことができたのは、彼女自身の化け物染みた不死性と、圧倒的な戦闘センスが組み合わさった結果であった。
(……私の手許を離れたポルターシザーは、宙を舞い踊り、あの鎧剣士に襲い掛かる……。ここは距離を維持したまま、他の精霊で挟撃して、その隙にこの場を逃れる!)
初撃を躱すことはできた。
単なる偶然ではない。ルルックの苛烈な戦闘経験と、人外の身軽さがあってこそ成し得たものだ。
だがルルックには、今後もあの回避を続けながらあの鎧の剣士へと致命打を与えるような自信はなかった。
ルルックが屈んだ状態から立ち上がろうとしたとき、既にランベールが彼女の目前まで迫ってきていた。
「えっ……?」
魔金鎧の超重量の膝蹴りが、ルルックの腹部に入った。
装甲が深く彼女の身体へとめり込む。
「あがぁっ!」
直撃を受けた肋骨、椎骨が砕け、内臓を破裂させる。
ルルックの華奢な身体が壁へと叩きつけられる。
通路内の振動がランベールの一撃の重さを物語っていた。
ランベールの背を追いかけていたポルターシザーが、大剣によって中央部から破壊され、二つの刃が宙を舞った。
ランベールはポルターシザーの対処よりも、いつ逃げ出すかわからないルルックを仕留める事を優先したのだ。
「ま、まだ……まだ、終わらない、終われない……!」
ルルックの腕が、小刻みに震えながら持ち上げられる。
だが、彼女の肩の高さまで持ち上がったところで、糸が切れた人形の様に、地面へと力なく落ちた。
彼女の不死性を以てしても、身体の損傷があまりに大きすぎたのだ。
「わ、たしは、不死身の『笑い道化』……こんなところでは、死ねない……教会に復讐し、この国を、恐怖に陥れるまでは……!」
口から溢れて来た血が、彼女の派手な道化服を汚す。
「不死身とは、大きく出たものだな。多くの錬金術師が不死を願ったが、実現した者は誰一人としていないというのに。俺の知る限りで最もそれに近づいた化け物も、斬れば死んだ」
「知ったような口を利くな、化け物がぁぁああああ!」
ルルックが叫び声を上げる。
ランベールは大剣を横に振るい、壁を背に倒れるルルックの身体を切断した。
床が血に溢れ、ルルックの上半身が、大剣の傍らに落ちる。
「こ、今度こそ、死んだ……」
兵士の一人が呆然とした顔で呟いた。
ルルックの不死性を始めて目にした彼は、あの蹴りを受けて生きていたことが、既に信じられないことであったのだ。
「あ、あ、あ……!」
だが、ルルックはまだ生きていた。
大量の血を流しながら、震える細い腕で、少しだけ軽くなった身体を引き摺り、それでもなおランベールへと近付こうとする。
が、流石に力尽きたと見えて、がくんと全身が揺れたかと思うと、それきり動かなくなった。
ルルックの泣き顔の仮面が外れ、彼女の素顔が露になる。
瞼は剥がされ、目には赤黒い斑点が浮かぶ。顔中は継ぎ接ぎ糸に覆われており、口から伸びる舌は歪な形をしており、まるで先端部が切れ味の悪い刃物で強引に削がれた様な断面になっていた。
「拷問痕……か」
ランベールの横に並んだクロイツが、魔銀兜から覗く口許を歪ませる。
「相手が化け物とはいえ……惨い真似をする。ここまでやるのは、教会の連中か」
「……古い傷だな。恐らく、徹底した拷問に対する治癒魔術、錬金術を用いた強引な延命の結果として、不老と半不死の身体を得ていたのだろう。十年前のこいつは、化け物ではなかったのかもしれぬな」
「それは、つまり……」
クロイツが口籠る。
他の兵達も、ランベールの言葉の意味を理解し、硬直した。
彼の言葉が正しいのであれば、ルルックは外見年齢の時点で教会に捕らえられ、拷問死寸前まで追いやられていたことを意味する。
「過去のレギオス王国においては珍しくないことではあったが、この平穏な時勢によくやったものだ。だが、如何なる理由があろうとも、か弱い民を狙う卑劣な行為を見過ごすつもりはない。貴様の恨みを晴らさせるわけにはいかぬのだ。怨念を抱えたまま、静かに眠るがいい。……かつての俺が、そうしたようにな」
ランベールは床に落ちた泣き顔の面を拾い上げ、ルルックの顔へと丁寧に被せた。
それから通路を数歩歩いてから立ち止まり、動けないでいるクロイツ達へと声を掛ける。
「止まっている場合ではないぞ。まだこの中に、魔術師が隠れている可能性がある。それが捜し終われば連中の研究成果を処分し、外の兵と合流して情報を共有し、王家に知らせねばならぬ。どれも少しの遅れが大事に繋がる」
「あ、ああ……」
クロイツがランベールに続き、残された兵達も動き出した。
ランベールもわずかにルルックへと兜を傾かせたが、すぐに前へと向き直った。
「……今はそんな猶予はないのかもしれぬが、いずれ、教会も見極める必要があるのかもしれぬな」
小声でそう零した。




