第二十九話 死の紳士トニーレイル⑤
「よくぞ老化魔術を知っていたね。王国の連中は、愚鈍で救い難く、過去を知ろうとせず、世界の歴史を支えて来た魔術を蔑ろにし、魔術を規制し、書物を焼いて知恵者を差別する猿ばかりだと思っていたけれど、貴方達は幾らかマシらしい」
奇怪な女が、左右の手に持つ、黄金林檎と髑髏から手を離す。
二つの物体は宙に留まる。
彼女は、若々しい女の右目と、醜い老婆の左目でクロイツを見つめ、空いた手で拍手を行った。
表情自体からはまったく感情の変化が見受けられない。
「申し遅れたね、私の名はトゥーレニグウ・レイノアロ。我が一族レイノアロは、今や私だけが名乗ることのできる名だ。私達レイノアロの人間は、かつては世界から先人の偉大なる叡智が損なわれることを恐れ、二百年以上に及んで遺失されていく魔術の保護を行っていた。それは人類が神に近づいた証であり、いずれ然るべき時に使うことで世界を守ることにも繋がるとね。だが、私達はそれを理解しない、愚かな教会の魔術師達に焼き討ちにあったのさ」
トゥーレニグウと名乗る女は、ランベール達を目前に両手を広げ、長々と語る。
クロイツ達は、隙だらけにも思える敵を前に、動けない。
理由としては、先陣に立つランベールが動かないことが一つ。
そして二つ目に、トゥーレニグウの背後にある子供達のあまりに哀れな骸が、恐怖心を煽っていた。
今の黒い光が、老衰の魔術だったのではないか。
アレを受けていたら、あの後ろの死体のようになっていたのではないかと、どうしてもそう意識してしまう。
「あまりにも危険な魔術であるため、過去に箝口令さえ敷かれていたというのに。ああ、そうだよ。魔銀兜の人が言った通り、この魔術は、八国統一戦争の終盤頃に、レギオス王国の一部で研究されていた魔術さ。結局、戦争に使われることはなかったみたいだけれどね。それが人道面のためか、単に間に合わなかったためなのかは、今となってはわからないけれどね」
トゥーレニグウはそう言って、宙に浮かばせていた黄金の林檎と髑髏を手に取る。
「いや、野蛮な剣士達の中にも、なかなか魔術学に精通している人がいるじゃないか。よく私のこの魔術が、八国統一戦争の遺産だと知っていたね。そこの魔銀兜の人だけ、見逃してあげようか? 代わりといってはなんなのだが、少し私の立ち話に付き合ってもらうけれど」
「ふざけたことを!」
クロイツがレイピアを抜き、後ろに引く。
「……悪いけれど、私、強すぎて話にならないと思うよ? これでも一応、『死の天使』の中でも、団長様、副団長様に続いて、上から三つ目だから。なんで私がここに一人で立っているのかっていうと、門番のためだよ。不甲斐ない話だけれど、貴方達には、他の魔術師達も酷く手を焼いているらしいからね。副団長様も、さぞ警戒しているそうだ」
トゥーレニグウが、ランベール達へと指先を向ける。
それだけでクロイツ達は不吉なものを覚え、身を退いた。
だがランベールだけば、そこ場から動かない。
トゥーレニグウはその様子を観察しながら瞬きを挟み、「ふむ」と呟いた。
「この狭い通路内じゃ、敵が何人攻めて来ようが、私にとってはただのサンプルだからね。分散して逃げようが、私の魔術からは、ここじゃあ逃げられないよ」
トゥーレニグウは、あっさりと、先程の身の上話や魔術を語る口調と同等の抑揚で、敵対者達へと死の宣告を行う。
クロイツ達が息を呑む。
事実として、ランベールが大剣を振るってクロイツ達を守らなければ、今の魔術に咄嗟に反応できずに、半数以上が死んでいた可能性が高い。
「……老化の呪術は、統一戦争の八国の一つ、ベルフィス王国が研究していたものだ。レギオス王国から生まれたものではない」
沈黙を守っていたランベールが、呟くような声量で漏らす。
無表情なトゥーレニグウの右目の瞼が、ぴくりと震えた。
「ふうん? 随分と、マイナーな説を提唱するね。しかしそれは、実は誤りだよ。この魔術が生まれたのは、レギオス王国内の僻地にある研究施設だ。これは、ほぼ間違いない。そもそもが、私の手にこの魔術が渡った経由として……」
トゥーレニグウが目を瞑り、手にした黄金の林檎を回しながら語る。
「違う。老化の魔術は、ベルフィス王国の錬金術師、ポーニグスが研究していたものだ。研究施設や書物は焼かれ、ポーニグスの関係者は投獄されたはずだが……王国の感知していない関係者がいたのか、レギオス王国の内部に、牢獄の魔術師よりその呪法を聞き出して後に伝えた者がいたのかはわからないが、アレは国の外から持って来られたものだ」
ランベールが悲し気に語る。
統一戦争が終わり平和な時代になったというのに、戦争時代に急速に発展した、人を手軽に死に至らしめるための魔術が、今もこの国を陰から蝕もうとしているのだ。
そして、それを嬉々として掘り起こそうとする、『笛吹き悪魔』の様な連中がいる。
「……へえ、面白い。そんな話は聞いたことがなかったね。けれど、秘匿されていてあまりにも情報が少ない魔術だ。そういう背景があったが、証拠となる物がすべて焼き払われていたという可能性は、確かにある。どうにも、緘口令の際に出自が有耶無耶になってしまったようだからね。貴方の説の根拠が何かは知らないけれど、確かに筋は通っている。ふむ、なかなか話してみる価値がありそうじゃないか。やっぱり残してあげるのは、貴方にしようかな」
トゥーレニグウが両目を見開き、不気味な笑みを満面に浮かべる。
「だから先に、他の人には死んでもらおうかな」
「いや、死ぬのは貴様だけだ」
ランベールが返すと、トゥーレニグウの右側の唇が笑みを浮かべる。
そのやり取りが、開戦の狼煙となった。
ランベールが大剣を構えて動き出す。
トゥーレニグウはアシンメトリーな不気味な笑い顔のまま話す。
「残念だけれど、貴方の意思は関係ない。私は貴方に、興味を持った。知っていることは喋ってもらうよ。一日でも百日でも万日でも、話し続けてもらう。察しはつくだろうけれど、私は、拷問が凄く得意なんだ。早い内に素直になっておいた方がいい」
トゥーレニグウが宙返りをし、着地する前に姿が消えた。




