第二十五話 死の紳士トニーレイル①
『死の天使』の副団長トニーレイルは、テトムブルクの地下研究施設の通路を歩いていた。
両脇には、二人の礼服姿の美少年が付き添っている。
トニーレイルの顔に、普段の余裕のある笑みはなかった。
眉を吊り上げ、こめかみを痙攣させている。
唇は噛みしめすぎたせいで血が滲んでいた。
「……トニーレイル様、地下に入ったということは、予定は変更なさるのですね?」
執事服の美少年、ロビックがトニーレイルへと尋ねる。
予定では、早急にテトムブルクを出てラガール子爵領全体で虐殺を行い、それから移動の準備を進め、王国の主戦力が向かって来る前に撤退することになっている。
トニーレイル自身が、テトムブルクの魔術師達を集めてそう説明したのだ。
トニーレイルは肩をピクリと揺らしたと思うと、足を止め、ロビックの頭を鷲掴みにし、顔を近づける。
「黙っていろ、ロビック。貴様がそれを知ってなんだという?」
「……はっ、申し訳ございません、トニーレイル様」
ロビックは脅えを顔には出さず、淡々とそう言った。
トニーレイルは目線を落とし、ロビックの腕が震えているのを見て、固くなっていた表情を僅かに崩して笑う。
そのまま顔を近づけ、ロビックの頬を舐めた。
「そうだ、それでいいロビック。感情は表に出すな。私が煩いガキは嫌いだと言うことは知っているだろう?」
口端を吊り上げ、首を引いて姿勢を戻す。
そして、今後について思案する。
(さて、さて……ラガール子爵領で殺戮を行ってから悠々とここを去るつもりだったが、やめだ、そんな余裕はない。ハバネのバーサーカー部隊が壊滅したと聞いてまさかとは思ったが……単体で一流の魔術部隊一つにさえも相当する、我ら『死の天使』の上位魔術師が、何人も連絡がつかなくなっている。何か、このテトムブルクで奇妙なことが起こっている。監査兵団の部隊如きは想定内だが……どうやら、それだけではないらしい。思えば、私はまともに取り合わなかったが、八賢者『笑い道化』ことルルック様も、バケモノと遭遇したと言っていた。もう一度、真剣に話を聞く必要がある)
トニーレイルは、既にこのテトムブルクに、何らかの異物が紛れこんでいることを察していた。
(ラガール子爵領を滅ぼすと演説まで行ったが……どうにも、嫌な予感がする。このタイミングで、『死の天使』の団長でもあられる八賢者『真理の紡ぎ手』様が、悪い癖を出して、外に出たきり戻らないのも厄介だ)
テトムブルクの支配者、八賢者『真理の紡ぎ手』は、トニーレイルから見ても、はっきりと人格破綻者であった。
身勝手で自由奔放、神出鬼没、おまけに酷く気分屋で、言動に一貫性が見られないことさえある。
人間というよりも、最早災害などの現象と評した方が適切である。
トニーレイルが肩を竦め、首を振る。
この期に及んで気紛れな行動を繰り返す『真理の紡ぎ手』を説得せねばならないと考えると、あまりにも気が重い。
トニーレイルの前代の副団長も、それに失敗して機嫌を損ねたために、その日を境にテトムブルクより忽然と姿を消したのだ。
(外で適当に暴れさせるのは、下位の魔術師だけでいいか。この地下施設は上位の魔術師だけで固め、敵戦力を招き入れて、確実に皆殺しにする。ここなら、実験体もいくらでも投入できる。それにこの場所は、狭く長い通路が続く。挟み撃ちに適している他、見知らぬ敵地を延々進まねばならない相手への心理的な優位もある。何が来ているのかは知らないが、全力で迎え討たせてもらおう。ここまで警戒する意味はないだろうが……散々、このテトムブルクを荒らしてくれたのだ。深い絶望と恐怖、そして限りない後悔の中で、惨めに死んでもらわねばならない)
◆
フランダルは、彼の操る人間家具ごと叩き斬られ、血と臓物を撒き散らしてその場に倒れる。
ランベールはフランダルの死体へ歩み寄ると、大剣を振るい、二つに分かれた頭部の両方を叩き潰した。
「あ、あの、助けてくださり、ありがとうございま……ひぃっ!」
ランベールに助けられたアルアンテは、地に倒れたエリーゼを抱き起し、車椅子へ乗せ直す。
そして車椅子を手で押しつつ、背後から恐る恐ると恩人へと歩み寄っていたのだが、唐突なランベールの凶行に肩を跳ねさせた。
エリーゼも目を見開き、叫び声を上げそうになった口許を押さえる。
「念には念を入れる。奴ら魔術師は、簡単には死なぬ。かつて、身体を上下に分断し、瓦礫の中に沈んで行ったのを見届けたのに、次会ったときには五体満足で笑っていた奴もいる」
「え? あ、あははは……そんな、お伽噺の怪物みたいな……」
一瞬考え、ランベールの言葉を冗談だと判断したアルアンテは、無理に笑ってみせた。
身体が上下に分かたれては、入念な準備があったとしても、命を繋ぐのも難しい。
その上で瓦礫に沈んで行ったとなれば、救出が遅れるばかりか、本人の身体も拉げてしまう。
よほど特殊な状況でなければ、助かるはずがない。
せいぜい、知能の薄いアンデッドとして蘇らせるのが限界だ。
「無論、その場で頭蓋を叩き割ってやったがな」
当然の如くランベールが答える。
アルアンテの作り笑いが止まった。
「してお前は、子供ではない。実験体として連れて来られたわけではあるまい。着ているローブも、奴らのものだが……」
「い、いえ、わわ、私は、その……!」
アルアンテが顔を青くし、アセアセと手を振るう。
このままでは、誤解でフランダルの後を追いかねない。
アルアンテの慌て振りを見て、エリーゼがくすくすと笑う。
今の今までフダンダルによって命の危機に瀕していたために気が張っていたのだが、フランダルが死んだことで、緊張の糸がぷっつりと途切れたのだ。
笑い声が落ち着くのに、一分近くが掛かった。
エリーゼはランベールとアルアンテの視線を受け、顔を赤くする。
「ご、ごめんなさい……その、普段はそんなに笑わないのですが、ほっとしたら、なんだか、気が緩んでしまって……。あ、あの、お兄さんは、凄く、いい人です。頭がとってもいいから、ここの怖い人に強引に連れて来られただけで、えっと……」
エリーゼが赤くなった顔を伏せて隠しながら、アルアンテを擁護する。
「いたぞ、ランベール様だ!」
「よかった、ランベール様がいた!」
声の方を振り返れば、監査兵団『不死鳥の瞳』の第二部隊の兵士達であった。
ランベールは彼らと共に『笛吹き悪魔』の魔術師を斬り倒して進んでいたのだが、アンデッドのマナの感知能力がアルアンテ達に反応し、様子が妙だと気づき、ランベールだけ単身で彼らの許へと乗り込んだのだ。
「鎧の剣士よ、先に行かないでくれ! 部下達の士気が下がるではないか!」
ここの道中ですっかりランベールに染まった部隊長クロイツが、独断専行したランベールを半ば冗談、半ば本気で詰る。
「……それは貴方の役目ですよ、クロイツ様」
部下のフーレが、溜め息を吐きながらクロイツの横へと立った。




