第二十四話 人間家具のフランダル④
「あ、あり得ない……『棚』の『断頭鋏』を、こんな……!」
フランダルは、『棚』を最後の切り札ごとあっさりと斬り捨てたランベールが信じられなかった。
『椅子』に座ったまま顔を青褪めさせる。
今連れている三体の人間家具の中では、最も高い攻撃性能を誇るのは『棚』であった。
『棚』が敗れたのならば、これ以上戦っても、勝算はない。
「……あ、な、なんだ?」
撤退を考えるフランダルの目に、不思議な光景が映った。
上体を失った『棚』の下半身が、黒い血を垂れ上がしながら、ランベールの背を追っていたのだ。
これにはフランダルも驚いた。
切断された『棚』の下半身が、敵を追い掛けて動くなど、彼が意図して仕掛けていた事でも、予期していたことでもなかったのだ。
しかし、『棚』の設計者であり、一流の白魔術師である彼には、その理由はすぐに理解できた。
(ついている……やはり俺は、守られている! 神が、俺の芸術が損なわれることを惜しんでいるのだ!)
当然、『棚』の下半身に脳機能はない。
しかし脳を失おうとも、脊髄の反射中枢を起因とした単純な動きを取ることはできる。
頭部を失ってもなお動くのは、本来ならば単純な体構造を持つ虫や、強靭な生命力を誇る魔獣にのみ見られる現象である。
だが、フランダルの度重なる人体実験によって与えられた過剰な生命力が、偶発的にそれらと同等の現象を引き起こしたのである。
無論、長くは持たない。
複雑な体構造を持つ動物は、それ故に身体の器官が欠ければ全体に支障が出る。
今『棚』が生きながらえているのは、フランダルが人としての機能を奪い、人間家具と称する自身の武器として不要な人体機能を切り離していることが大きい。
それでもじきに生命の維持が不可能になるのは目に見えている。
しかし、ほとんど下半身のみの『棚』にも、ランベールに襲い掛かるだけの時間は残されているようだった。
(行ける……! 昔からそうだった。ここまで歪んだ俺が今日まで生きながらえて来たのは、こういう天運によるところが大きい。いつもどんなにヘマをしたときも、いつだって最悪だけは免れるんだ。取り返しの付かないことになりそうになったときには、いつも俺を天運が守ってくれた)
フランダルは強張った表情で、されど不敵に笑う。
彼には、本人の思い過ごしでは理由のつかない、絶対的な天運があった。
(だって、俺は、天才だから! 替えの利かない人間だから! 神がいたとすれば、この俺を守っている! 神が俺に言っているのだ! 更なる至高の芸術を生み出せと!)
次の瞬間、ランベールは振り返ることは疎か、速度を緩めることもなく、淡々と自身の背後を大剣で薙いだ。
更に縦に切断された『棚』の下半身は、走ることができなくなり、地の上に転がる。
フランダルの脳裏に、自身を守っている光を、ランベールが引き剥がす光景が浮かんでいた。
ようやく彼は悟った。
これは、絶対に勝てない相手であったことを。
運が勝敗を決することもある。
だが、今自分が向かい合っている相手は、そんなものでどうにかなる相手では、決してない。
もっと絶対的な存在であると、フランダルはそう理解した。
事実として、ランベールは実力でレギオス王国を八国統一戦争の戦勝国へと導いた男であり、そんなランベールを相手に天運一つで自分の身を守ろうと言うのは、あまりにも無謀で稚拙な願いであった。
「アルアンテ! 今は見逃しておいてやる! だが、勘違いするな……お前は絶対に、トニーレイルからは逃げられない。置物でしかない八賢者『真理の紡ぎ手』と称されるアレのことは、俺にだってよくわかんねぇが、トニーレイルは本物の化け物だ。それに今、この地には、八賢者『笑い道化』のルルック様も、このテトムブルクへと戻ってきている。お前は、絶対にここを逃げられはしない……!」
言うなり、フランダルを乗せている、歪に身体のへし折れた性別不詳の人間家具『椅子』は、素早く踵を返し、ランベールから逃れるように走る。
この『椅子』こそが、フランダルの人間家具の中でも最高傑作に当たる。
『棚』の様に凝った仕掛けがあるわけではないが、とにかく移動速度が速い。
加えて長い脚を振り乱して放たれる蹴りの威力は、オーガの大振りの一撃にも匹敵する。
「せいぜい足掻け、もがけ! そして全てに絶望しろ!」
『椅子』が駆け出し、ランベールが向かって来る方向から正反対へと駆ける。
もしかしたら『椅子』の素早い蹴り攻撃は、大鎧の男にも通るかもしれないという淡い期待がフランダルにもあったが、実践する気にはなれなかった。
(おのれ……俺が、なすすべなく無様に逃走とは!)
フランダルは青筋を浮かべ、歯を噛み締める。
(だが、次に会ったときには、あの鎧剣士を仕留めてみせる……。奴の身体能力と、間合い、体格を考慮した、奴を捕らえるためだけの人間家具を用意する。俺ならば、できる。なにせ俺は天才だ。そのためには、更なる多くの、人間が必要だ。テトムブルクは絶好の場所だった。ここに代わる実験場があればいいんだが……)
フランダルの耳に、地を踏み締める音が聞こえる。
怪しんで振り返ると、ランベールが、速度特化の『椅子』に迫る速度で、フランダルを追ってきているところであった。
『椅子』よりも僅かに勝る速度で、ゆっくりと、しかし、確実に距離を詰めてきている。
フランダルには重ねて理解ができない。
なぜあんなに分厚い鎧を身に着け、巨大な剣を振りかざしながら、自分の最高傑作に勝る速度で走ることができるのか。
「ば、化け物め! 来るな、来るなよぉっ! この……!」
フランダルは『椅子』の口に手を入れる。
『椅子』が、突然口内へと差し込まれた腕に、声を上げて呻く。
引き抜かれたフランダルの手には杖があった。
(とにかく今は、時間を稼ぐ。まずは足と足場を狙い、機動力を落とす……! 追いかけるのに奴が専念している今なら、守りはどうも疎かになる……あ?)
フランダルが杖を握っていた右腕の、肘から先が、地面へと落ちた。
血肉を撒き散らしながら地面の上を転がる。
その一瞬、ほんの刹那、フランダルは『椅子』に隠している短杖を引き抜くために、追って来るランベールから意識を逸らした。
その間にランベールは、フランダルのすぐそばにまで迫ってきたのだ。
呆然と自らの腕の切断口を見つめるフランダルのすぐそばには、もう大剣を構えるランベールの姿があった。
「おお、俺の腕……俺の腕! 俺は、俺はもっと、芸術を極めなければならない! そのためにも、腕が、俺の腕がないと……! か、返せ、返してくれ! 早く、早く、くっ付けないと! お、俺が腕を失うことは、この国の損失だ、そうなるはずだ! 誰かっ、俺の腕を……!」
続けてランベールが、二振り目の剣技を放つ。
フランダルの身体が、彼の乗っていた『椅子』ごと縦に両断される。
切断面を起点に左右にフランダルの身体がずれ、臓物が零れ落ちる。
同時に、彼の乗っていた『椅子』も形を崩し、血液を吹き出しながら横倒しになる。




