第二十一話 人間家具のフランダル①
――我、『笛吹き悪魔』の八賢者が一人、『真理の紡ぎ手』。
我はどこにもいない。
我は既に器を脱した。
ただ研究を重ね、ただ真理を紡ぐだけの存在。
故に不老、故に不死、そして不滅。
我が正体を暴くことなど、誰にもできはしない。
この都市での研究記録は、全て我の中になる。
これさえあれば、この都市などいつ廃棄してもよい。
元よりいつかは捨てることになる地だった。
かつて、師は我をどうしようもない出来損ないで、外道だと破門した。
しかしそれは間違いであった。
我は師の魔術を昇華し、真理を紡ぐだけの時間を得た。
これは多くの魔術師が渇望し、叶わずに散らせた夢である。
師の多くの弟子の中でも、我だけがそれを成した。
我は、師をも超越したのだ。
さて、ラガール子爵の王国への謀反が暴かれた以上、この地にあまり長く留まることはできない。
しかし、我はまだ、この地でやっておきたいこともある。
我を研究狂いとトニーレイルも称するが、これで我は案外、刹那的な快楽にもしっかりと価値を見出す性分なのだ。
それに、今この地へ潜り込んで好き勝手やっているらしい連中にも、鉄槌を下さねばならぬ。
◆
テトムブルクの地上にて、車椅子を押して駆ける赤毛の青年、アルアンテの姿があった。
車椅子には被検体の少女エリーゼの姿もある。
子供を連れて地上を散歩する様子はいつもの彼通りだったが、今は普段と同じ状況とはとてもいえなかった。
「逃げないと、今の間に! 少しでも遠くに!」
「……ダメだよ、お兄さん。私を連れてなんて、逃げられるわけがない。私を、置いて行って」
エリーゼは震える声でそう言って、道の先を指差す。
アルアンテは騒動に乗じ、捕えられていた子供を解放し、地下施設から逃走したのだ。
しかし足の不自由なエリーゼを連れて逃げるには時間が掛かる。
他の子供達にそれを待つ理由はないため、先に逃げていった。
「……お兄さんは、先に逃げた子達を、先導してあげて? ね? お兄さん、他の悪い人達にも後れを取らないくらい、凄い魔術師なんでしょ?」
エリーゼは震える声で言う。
ここに置いていかれて『死の天使』の連中に見つかれば、何があるのかわかったものではない。、
怖くないわけがなかった。
見つかれば腹癒せに殺されてもおかしくはないし、彼ら自身、この騒動で素直に逃げているかどうかは怪しいものだった。
それでも、自分を連れようとアルアンテも捕まるくらいならば、自分だけ捕まった方がいいと考えての、必死の言葉だった。
『死の天使』の副団長トニーレイルは、アルアンテを異常に気に入っているという。
トニーレイルが王国兵団程度を恐れる人物ではないことは、エリーゼもよく知っていた。
トニーレイルが鼻歌を歌いながら子供を生きたまま解剖していた、という話を聞いたことがある。
彼の普段のアルアンテへの執着を思えば、必ずアルアンテを連れ戻すために後を追って来ることは、容易に想像できた。
「そもそも、お兄さん……どうして、今なの? お兄さんなら、他の悪い人の拠点移動に紛れて逃げた方が、確実に……あっ……」
そこまで口にして、アルアンテの苦し気な顔を見て、エリーゼも気が付いた。
その場合、エリーゼは最後の最後まで逃げられない。
足の不自由な彼女を連れて逃げてくれる様な人物が、ここにいるはずがない。
アルアンテも、本当ならば『死の天使』が、子供を置いて逃げることを期待していた。
そうであれば、エリーゼの言う通り、自身はほとぼりが冷めてから、拠点移動に紛れて逃げればよかった。
トニーレイルは、ラガール子爵が死亡した報告を受けた際に、その場に居合わせた『死の天使』の魔術師達へと、こう言ったのだ。
『経過確認まで本当はまだまだ時間があるサンプルばっかりだったはずなんだけれど……まぁ、仕方ないよね? 全員、解体して状態確認を行おう。ちょっとばかり、脅しを掛ける死体も欲しいな。舐められても嫌だから、手を付けていないサンプルも殺そう』
トニーレイルは、誰一人、生きて見逃すつもりはなかった。
そのとき、アルアンテが取る行動も決まってしまった。
いくら実りの低い逃走であろうと、それに賭けねばならなかった。
「大丈夫だよ! 王国兵団が、このテトムブルクに入ったんだって! 僕らが思ってるよりずっと、王国は早く手を打って動いていたんだよ! 彼らの許まで向かって、全てを話して保護してもらえばいい! ほうら、簡単じゃないか!」
「…………そう、かな」
「そうだよ!」
実際には、王国兵団とは領に来ていた監査用の一部隊の少数の兵に過ぎず、魔術師集団を相手にすることを想定した戦力では決してない。
部隊長クロイツに至っては、何故敵の本拠地テトムブルクに踏み込むことになってしまったのか、未だに頭を抱えているのが現状であった。
「でも、でも……」
エリーゼがアルアンテを振り返り、表情が凍り付いた。
そのままエリーゼはしばし固まっていたが、目を擦る。
「エリーゼちゃん……?」
「お兄さん、アレ、なに……?」
アルアンテが振り返った先には、何かが三体、並行して走っていた。
それは一言では形容しきれない、異形の人間だった。
両腕がなく、身体中を包帯でぐるぐる巻きにされている。
目は包帯で覆い隠され、上から大きな一つ目の絵が、子供の落書きの様に書かれている。
頭には、試験管が何本も突き刺さっている。
その内の一体は奇怪なほどにカクカクと身体を折り曲げており椅子の形状をしており、その上に、麻袋を被った一人の男が座り、腕を組んでいた。
麻袋には、子供の落書きの様な絵で、両目が描かれている。
そしてその恰好は、アルアンテ同様に『死の天使』のローブを纏っていた。
「あーそぼーうぜー、アルアンテちゃーん、エリーゼちゃーん。トニーレイルさんがぁ、捜してたぞぉ。非常事態だから、家出もほどほどにしてさっさと帰ってきてほしいってさーあー」
「フ、フランダル……!」
『死の天使』の錬金術師にして、王国より高額な懸賞金の掛けられている犯罪者、フランダル・ランクーパーであった。
『人間家具のフランダル』と聞けば、王都中で知らない人間はいない。
かつて、治安のいい王都において、たったの一年で百を超える行方不明者を出した年があった。
そしてその全員が、王都で高名な白魔術師であったフランダルの主有する館の地下室より、異形の姿で見つかったのだ。
その中には、名のある冒険者の姿もあったという。
何より悲惨なことに、その全員は生きていた。
中には保護されてから、あまりに奇怪な身体の構造に変えられていたためにどうやって生命を維持していたのか見当もつかず、数時間で衰弱死してしまったものもいた。
最終的には異端審問会の決定により、彼ら全員への安楽死が決行された。
いつも過激な判断で非難される異端審問会も、このときばかりは一切の非難の声が上がらなかった。
フランダルは現在、『笛吹き悪魔』に匿われ、『死の天使』に所属していた。
「逃げた子供は極力殺せって話だったから、恨まないでくれよーなぁー? ごめんなぁーエリーゼちゃーん! 本当は俺も人殺しなんて酷い事したくないの! 王都で騒ぎになったときもさぁ、俺は誰も殺してないんだよぉ、なぁぁぁあ? 殺したのは別の馬鹿共なんだよ。俺が、せっかく頑張って仕上げた芸術品を、馬鹿が、雑に扱っちゃってさぁ!」
「さ、最悪だ! よりによって、フランダルなんてっ!」
気が後ろへと逸れていたアルアンテの手に、痛みが走る。
手が浮いた瞬間を狙い、エリーゼが身体を揺らし、強引に車椅子を倒す。
少女の身体が地面に投げ出される。
「エ、エリーゼちゃん! どうして……」
「お兄さん、先、行って……ね? 他の子達も、すっごく心細いと思うの。このままじゃ、皆殺されちゃう……でも、お兄さんなら、きっと助けられると思うの」
自身を見捨てるように再三伝えても聞き入れない、強情なアルアンテを逃がすための、理由付けだった。
アルアンテは唇を噛み締めた後、ベルトに挟んでいた杖を引き抜き、フランダル達へと向ける。
「お兄さん!」
エリーゼが責めるように叫ぶ。
アルアンテが、引き攣った笑みで彼女へと振り返る。
「大丈夫……大丈夫、僕、天才だからさ。だから、こんなところまで連れて来られたんだよ。だから、大丈夫……」
「おいおい、笑えるねぇ。貴族の坊ちゃんの身内贔屓の推薦でここに来ただけのクセに、随分と思い上がっちゃって! お前がトニーレイルさんに気に入られてるのは、単にあのバイヤローの好みの面だったってだけだぞ? んん? 勘違いしちゃったかな? この俺はさぁ、昔は俺に会うためだけに、お貴族様が長旅をして大事な娘さんを連れてくるような、本物の天才だったわけよ」
フランダルが、笑っているかのように肩をわざとらしく震わせる。
「もっともその大事な娘さんは、治療した後に誘拐して、俺の芸術の一品になったわけだがなぁ?」




