第十六話 悪意の都市の錬金術師
ラガール子爵領の鉱山に隣接して存在する、小型都市テトムブルク。
山際にひっそりと存在するその都市は、せいぜい八百人程度の人口を狭い建物に無理矢理詰め込んだだけであり、厳密には都市というよりは、多少規模の大きめの、設備の整った村と形容した方がまだ近い。
元々この地は、貧しい領民を閉じ込めて坑夫としてのみ生涯を全うするようにラガール子爵が作らせたものであり、人目にあまりつかないように地下施設が主要であり、無論王国の地図にも存在しない都市であった。
だからこそ、『笛吹き悪魔』が目を付けたともいえる。
テトムブルクの主要な施設は地下にあるため、地上は簡素な、低い建物が疎らに並ぶだけとなっている。
遠目から目につかないように高い建物を建てるわけにはいかなかったのだ。
遠くを見張るための簡素な造りの櫓が一つ立っているが、敢えて老朽化した見栄えをそのままにされており、これはテトムブルクを知らない者が遠目から見つけることがあっても、誰も特に気を留めたりはしなかった。
簡素なテトムブルクの街並みを、一人の赤毛の青年が歩く。
薄いローブを纏い、首には懐中時計が掛けられてる。
手には車椅子を押しており、そこには利発そうな顔付きの少女が座っていた。
黙ったまま陰鬱な表情を浮かべる青年を気遣う様に、少女が彼に笑い掛ける。
「お兄さん、ここの風景はちょっと退屈だけど、地下に比べればずっとマシね。あそこは、色んな意味で気が滅入るもの」
「そう、だね。エリーゼちゃん」
疲れ切った声で青年が呟く。
エリーゼは、少女の名前であった。
ルルックはあくまでも『笛吹き悪魔』とラガール子爵の橋渡し役であり、このテトムブルクを支配しているのは、『笛吹き悪魔』の八賢者の一人、正体不明の錬金術師『真理の紡ぎ手』であった。
彼を頭目とした組織である、錬金術師団『死の天使』が支配しており、ラガール子爵領中から集めた子供を用いて魔術の研究を行っていた。
赤毛の青年の名はアルアンテといい、彼は元々はただの錬金術師だったが、若くして魔術師として優秀過ぎたために、『笛吹き悪魔』に目を付けられた。
親戚内でも、不気味で何を考えているかわからないと噂されていた叔父に『貴様は神に選ばれたのだ』と強引に連れて来られ、着いた先が当時は噂話の域を出なかった『笛吹き悪魔』絡みの組織であったと気が付いたときには、とっくに逃げられない状況になっていた。
直接人体実験を行うことは堪えられなかったため、あくまでも魔法陣の構築や仮説の裏付け、小型の魔獣であるフロッガを用いた生体実験に留められている。
人体実験場にもまともに足を運んだことはなかった。
ただアルアンテ自身も定期的に説明なく薬物を投与されたり、謎の魔法陣を刻まれることがあり、自身も『死の天使』の実験対象の一人に過ぎないのだと理解していた。
そしてその扱いは、『死の天使』の下級団員達にとって決して珍しいものではなかった。
一切の価値観が合わないために『死の天使』の団員達からは嫌われていたが、何を期待しているのか副団長トニーレイルからは妙に好かれていた。
一度アルアンテに手出しをした他の団員を、トニーレイルが惨殺したこともあったほどだ。
ただ、どちらもアルアンテからしてみれば嫌悪の対象でしかなかった。
『真理の紡ぎ手』は遠目から見るあたり、何かゴツゴツとしたものにローブを被せただけの化け物にしか見えず、会話が成立しているところも見ないため、実質的にトニーレイルがこの団の最高責任者となっていた。
『真理の紡ぎ手』は脳内であらゆる魔法陣を描き、完全に記憶する能力を有しているため、手を動かす必要がないのだという。
また、酷く神経質で、絶対に人前で人体実験を行うこともない、ともトニーレイルは言う。
つまるところ、『真理の紡ぎ手』が本当に何かをしているのかどうかは、誰も知ることができないのだ。
自身の成果を他の人間と共有することもしない。
実験後の準備や処理もトニーレイルに任せているのだそうで、詰まるところ、『真理の紡ぎ手』に本当に思考能力があるのか、意味のある行動を取ることがあるのかは、彼本人とトニーレイルしか知ることができないのだ。
そのためアルアンテは、あのゴツゴツとした何かはただの魔導装置であり、トニーレイルこそが八賢者『真理の紡ぎ手』なのではないかと勘繰っていたが、わざわざ口にすることはなかった。
アルアンテにとって、『死の天使』の錬金術師達は例外なく、それこそ素直に従ってのうのうと生きながらえている自身も含めて嫌悪の対象であったが、トニーレイルから好かれていることは決して悪いことではなかった。
テトムブルクから出れば即座に追手に殺されるだろうが、こうして実験体にされた子供を自身の管理下の元、地上に連れ出し、自由に歩く権限を彼から得ていた。
何の意味もない自己満足かもしれないが、唯一外を出歩けるこの時間を子供達は喜び、彼を慕ってくれた。
アルアンテ自身、この散歩が不気味な人体実験都市での唯一の癒しであり、これがなければとうに狂っていただろうと考えていた。
「お兄さん、私、いつ頃死ぬのかな? 知っているんじゃないの?」
エリーゼがアルアンテに声を掛ける。
彼は返答に詰まる。
テトムブルクでの生体実験は、大きく分けて、すぐ死に至るものと、過程を観察してから最後は生きたままに解体するものがある。
エリーゼは後者であり、奇妙な魔術と薬品の投与のために、足が動かなくなっていた。
「……困らせちゃったかな」
「大丈夫だよ。その……君は、僕が殺させたりはしないから……」
アルアンテが、力なく零す。
できるはずもない約束だった。
トニーレイルが研究を妥協するわけがない。
今は彼はアルアンテにいやに好意的だが、研究の邪魔になると思えば、すぐに殺されることは目に見えていた。
例え決死の覚悟でエリーゼを逃がしたとして、この都市の近隣を抜ける前に捕らえられるに決まっている。
エリーゼにも、それはわかりきっていた。
自身の足が無事であっても、万が一にも逃走が成功するはずもないと。
「どうせ殺されるなら、お兄さんにがいいなぁ」
エリーゼが口にした後、アルアンテの表情を見て、誤魔化す様に笑みを作った。
「ゴメンなさい、忘れて、お兄さん」
「…………」
重い沈黙が少し続いた後に、エリーゼがアルアンテの顔を見て、少し瞳孔を大きくした。
「お兄さん、顔、ほっぺ」
エリーゼが、彼を振り返ったまま、自身の頬をつんつんと突く。
アルアンテが自身の頬を撫でるが、何かが手に付いた感触はない。
エリーゼが首を振った後に、最近ではすっかりと珍しくなってしまっていた、造り笑いではない、子供らしい純粋な笑みを見せる。
「とってあげる。ほら」
エリーゼが座ったままの姿勢から、せいいっぱい腕を伸ばす。
アルアンテが疑問を抱きながらも彼女に顔を近づけると、エリーゼは首を伸ばし、そっと彼の頬に唇を付けた。
「エリーゼ……?」
「……我儘かもしれないけれど、私がここにいたことは、忘れないでね、お兄さん」
少女の懸命な、せいいっぱいの笑みに、アルアンテは笑い返すことはできなかった。




