第十四話 笑い道化⑤
瓦礫に続き、人一人分の落下音が鳴り響く。
ランベールは大剣を下ろし、ラガール子爵へと振り返る。
「しし、死んだのか? ル、ルルックは……?」
ラガール子爵は憔悴仕切った顔に僅かに希望の光を灯し、ランベールへと問い掛ける。
ランベールは、自身が崩した壁の奥、落下した瓦礫の山へと目を向けていたが、淡々とラガール子爵を振り返った。
ラガール子爵は『笛吹き悪魔』を知り、今後の国の主権を握るのはいずれ彼らになるというオーボック伯爵の言葉を信じて接触を取ったものの、彼らの残虐性にはうんざりしていた。
おまけにルルックがラガール子爵領における『笛吹き悪魔』の影響力を拡大していき、実質的な領地の統治権を乗っ取った形になっていた。
ラガール子爵の思い描いていた協力体制ではなかったが、彼らに怯え、どんどん重ねられていく要求を跳ね除けられずにいた末路であった。
おまけに国を裏切って彼らを匿っている身であるため、王家を頼ることもできない。
今更手を引くこともできず、どうすることもできずに狼狽えていたのだ。
ここで窓口であり、『笛吹き悪魔』の幹部である八賢者のルルックが死んだのは、ラガール子爵にとってプラスとなるかマイナスになるかは曖昧なところであった。
ラガール子爵は、『笛吹き悪魔』を追い出して彼らに乗っ取られていた実権を取り返し、なおかつ王家に対して自身の悪事を隠すことが最優先事項であった。
ラガール子爵はこのまま『笛吹き悪魔』と自身の関係が有耶無耶になってしまえばいい、とも考えるが、そのためには幾つもの問題点があった。
『笛吹き悪魔』の復讐もそうだが、まず第一として、ランベールの口は封じなければならない。
ラガール子爵は、ランベールへと迷いなく、地に頭を擦りつけて土下座した。
周囲の私兵達が戸惑い、ラガール子爵を起こそうと肩に手を掛ける。
「剣士殿……実は、実は、儂は、儂の領地は、『笛吹き悪魔』に長く脅され、支配されておりまして……! 剣士様が助けてくださらねば、どうなっていたことか……!」
ラガール子爵が、涙と鼻水に顔を汚しながら、ランベールへと語る。
周囲の兵達の顔には唖然があった。
元々、『笛吹き悪魔』を招いたのはラガール子爵であり、制御できなくなったのも彼の自業自得であったのだ。
それを自分に都合のいい面だけ切り出し、辻褄の合わなくなった部分をでっち上げで埋め合わせ、自身を完全な被害者と言い張る様と、その哀れな行動に対する一切の抵抗のなさは、一つの芸術の域に達していた。
周囲で見ていた私兵達も、こんな恥知らずがいるはずはないので、実はラガール子爵の言うことが正しく、自身の記憶が誤りだったのではないかと錯覚を起こしたほどである。
領主としての才に何一つとして恵まれなかったラガール子爵だが、責任転嫁への思い切りの良さと、自己保身への執着だけは一流であった。
「お願い致します、剣士殿……! 貴方様ほどの剣技を、儂はこれほど見たことない! まだ、まだ『笛吹き悪魔』の奴らが、領地には潜んでおります! 奴らを斬ってください!」
懇願するラガール子爵へと、ランベールは兜の奥の眼孔を向ける。
「それは引き受けよう。奴らは根絶やしにする。だが、貴様の命は保証できんな」
「な、なんだと! 何故だ! 儂が、儂が、こんなに頭を下げて遜っているのに!」
「遺言があるなら聞いてやる。情報を話せ、手短にだ」
「な、な、な……!」
呆然とするラガール子爵。
疑いを持たれたとしても、こうも正面から処刑宣告を受けるとは思わなかったのだ。
「な、ならば、よい! 殺せ! 誰か、あの鎧を斬れ! 早くしろ!」
ラガール子爵が必死に叫ぶ。
ランベールがゆっくりと大剣をラガール子爵へと構える。
ラガール子爵はその場に崩れ落ち、それでもなお手で這ってランベールから距離を取ろうとする。
「ひぃっ! 儂は悪くない! 儂は悪くないぞお! だって、こうする以外に、何ができたというのだ!? 儂は、何も悪くない!」
私兵の一人が、ラガール子爵へと恐々と近づく。
「ラガール子爵様……その、額の魔法陣は……?」
「ひぇっ?」
ラガール子爵が、恐怖に震える手で自身の額に触れる。
「……最悪だな。ベルフィス王国のヒュード部族の秘術とは。貴様が裏切ったときに発動するようになっていたのであろう」
――八国統一戦争時代、ベルフィス王国は古くから権力闘争が国内のあちこちで行われ、裏切りや同族殺しが横行しており、自然と国民性も冷酷で保身がちなものになっていた。
そんな中、ベルフィス王国内の虫を媒介とした呪術を操るヒュード族は、人の精神の機微に反応して身体の持ち主を殺す秘術を完成させたことで、王家より重宝された。
最も、その呪術は欠陥塗れのもので、誤発動することも珍しくなかった。
最初からそんな便利なものは、作りようがなかったのだ。
おまけにその欠陥を利用し、意図的に暴発させて裏切りを企てたという言いがかりをつけ、気に食わないものを一族ごと処刑した者まで現れ、収拾がつかなくなってしまった。
ベルフィス王国が強大な魔術国家であったにも拘らず、早々に他の王国に敗れた、最大の要因を作った呪術だとされている。
ベルフィス王国の滅亡後、その呪術を危険視した戦勝国の将軍は、ヒュード部族を総処刑し、多くの書物を焼き払い、この世から完全に消し去った、とされていた。
不完全とはいえ、ヒュード部族の秘術は便利であった。
だからこそ危険であった。
将軍は、万が一にでも自国の王家が家臣にそれを使おうとするようなことがあれば、そのときは自国がベルフィス王国の二の舞となると判断したのだ。
「あの呪術は、後世に残すわけにはいかぬ。ラガールよ、身に覚えはないか? 貴様の身体に、何か施した奴がいるはずだ。先程の道化ではあるまい、どんな奴だった? なんでもいい、情報を吐け。言い終われば、介錯してやる」
ランベールがラガール子爵へと近づき、大剣を持つ手を突き出す。
ラガール子爵の目が見開かれる。
「い、嫌だ! 儂は、まだ死ねない! どうかしてくれ、これを取れ! 取ってくれ! これ! あ、嫌だ、嫌だ! 止めて、止めて、誰か、止めてくれ!」
必死に額を掻き毟る。
血が零れ、肉が削げる。だが、魔法陣には光が生じ始めていく。
「嫌だ、嫌だあああ!」
「止める方法はある」
「ほ、本当か?」
ランベールは頷く。
「貴様の首を落とす」
「嫌だあああああああ!」
ラガール子爵が泣き喚きながら、地面の上で暴れる。
私兵達も、どうすればいいのかわからず、おろおろとしていることしかできなかった。
「うあああ! 嫌だ! うわああああ! 儂が何をした! 儂が何をしたのだあああ!」
「早く言え!」
ランベールが叫ぶが、ラガール子爵は応じない。
急に動きが止まり、仰向けに倒れる。
その後、身体中ががくがくと痙攣し、口からは白い泡が噴き出していく。
「お、おお、おおおおおおおおおおおおおおおおおお」
ラガール子爵の眼球がぐりんと回り、額が割れて甲殻を持つ、多足の巨大な虫が現れた。
「ラ、ラガール子爵様!?」
巨大虫はラガール子爵の身体を這い降り、周囲で呆然とする私兵へと接近していく。
「ひっ! 来るな、来るなあああ!」
ランベールは戸惑う私兵達の前に飛び込み、巨大虫を一閃した。
真っ二つになった巨大虫は、それでもなお足を蠢かしていたが、すぐに動かなくなった。
「……実験も兼ねて、仕込まれていたのだろう」
ランベールは言いながら、ラガール子爵の死体を見下ろす。
額に大穴が空き、喰い破られた脳が露出していた。
割れた額からは、血が腐ったような、緑に濁った液体が流れている。
鼻や口、目の下からも同様の体液が漏れていた。
それから自身が壁に空けた大穴へと戻り、下を見下ろす。
瓦礫の配置が僅かに変わっており、血の汚れが増えていた。
ルルックが瓦礫を脱し、逃走したのだ。
(……下に落としたのは、しくじったか。降りて確認するよりも、ラガール子爵しか知らない情報を引き出す方を優先したかったのだが、どちらも逃すとはな。敵には逃げられ、情報源も殺されるとは……これは失態であるぞ、ランベールよ。命に固執した手段を選ばぬ魔術師が、どれほどしぶといか、知らぬわけではあるまい。慢心があったのではないか?)
ランベールは自らを戒めながら、大剣を鞘へと仕舞う。
八国統一戦争時代に比べ、現代があっさりと死んでくれる魔術師ばかりであることに、まったく油断がなかったかといえば、それはランベールも否定できない。
あの時代は、倒したと思った敵魔術師が予想もしていなかった方法で生きながらえており、多くの兵の死が無駄になるといった事態は、戦争においてよく見られる場面であった。
ランベールを以ても、あの時代の魔術師は、最早人間ではなかったと評する他ない。
(臓器は確かに貫いた。さすがにアレで身体が動くとは思えないが……仲間か、精霊が運んだのか。なんにせよ、次に会ったときには、必ず、頭部を確実に潰す)




