ハナグルマ
1)
外を見やります。
コートの襟を立てた男の人が足早に通り往きます。
自転車に乗った女の子が手や頬を赤くして、それでも楽しそうに走っていきました。
立ち話をする女の人達の息は白く、それもたちまちのうちに風で消えていきます。
窓硝子越しに風がまく音がびょうびょうと聞こえます。
外は寒い風が吹いていても、この硝子のお陰で部屋の中は暖かく
鉢植えされた赤いガーベラも大きな花を保つことが出来ました。
大輪のガーベラに寄り添うように咲いたばかりガーベラがあります。
少しだけオレンジの色が掛かったガーベラは日光を花全体で受け止めるように
外に向けて、さらにさらにと背伸びをするように見えます。
オレンジのガーベラが言いました。
「お母さん、今日は少し寒いね」
赤い大輪のガーベラの花が答えます。
「そうね、外は風がびょうびょうと吹いているから少し寒いね」
「うん、びょうびょうと吹いているね」
オレンジの花が続けます。
「もっと寒くなったら、どうなるの?」
赤いガーベラは太陽がオレンジの花にもっとあたるようにと
そっと首をかしげて影をよけながら答えます。
「もっと寒くなったら萎んでしまうのだよ」
「それはお母さんも?」
「そうだね、お母さんのほうが早く萎んでしまうだろうね」
「何でお母さんは早く萎むの?」
赤いガーベラは細い花びら一枚一枚、伸びをするかのように微かに
震わせると、
「物事にはね、順番があるからね。その順番が狂うと言う事はとても
悲しいことなのよ。だからお母さんが先に萎むのさ」
オレンジのガーベラは真似をするように花びらを微かに震わせます。
「ふぅん、じゃぁお母さんが萎んだら、僕はどうすればいいの?」
「あなたは一人になっても一生懸命に花を開かせ続ければいいのよ」
「お母さんも頑張っているの?」
「えぇ、お母さんも頑張っているのよ」
2)
いくつかの昼といくつかの夜が過ぎていきました。
マフラーをした男の人がやはり忙しそうに通り往きます。
自転車に乗った女の子は毛糸の手袋をしていました。
立ち話をしている女の人達はもう何日も見ていません。
それでも窓際へと置かれたガーベラには今日も太陽の光りがあたります。
オレンジ色のガーベラは赤いガーベラに負けないほど大きく開きました。
「お母さんの花、綺麗だね」
赤いガーベラは今日も陽がオレンジの花へと充分にあたるように
そっと自分の首をかしげます。
「あなたの花も随分と立派で綺麗になったわよ」
「じゃぁ僕以外で、お母さんが今まで見た中で一番綺麗だなって思ったのは何?」
お母さんは少し考えます。
夏の入道雲は綺麗でした。秋の紅葉は見事でした。
少し考えてお母さんは言います。
「昼間じゃなくてね。夜に見た蛍は綺麗だったわ」
「蛍?」
「そう蛍。夜になると自分で光って。車や家の明りのように強くない
弱い光。でも自分で光って飛び回るのよ。」
「自転車みたい?」
「もっと、もっと弱い光。もっと、もっと小さい光。」
「僕、見る事できる?」
お母さんはそっと土から水を吸うと
「夏にしか見ることが出来ないからね。それに、夜はカーテンを閉めてしまうから。
でも願っていれば、頑張っていれば見ることが出来るかもしれないわね」
「頑張ったら見ることできる?」
「頑張っても見ることが出来ないかもしれない。でも、頑張らなかったら
見ることは出来ないでしょうね」
「そうかぁ」
3)
いくつかの昼といくつかの夜が過ぎていきました。
なかなか夜は空けずに、すぐに陽は落ちてしまいます。
マフラーで鼻まで覆った男の人が背中を丸めて通り往きます。
手には白いケーキの箱をさげています。
女の子が自転車を押して歩いています。自転車の前の籠には
綺麗に包装されてリボンがついたプレゼントが乗っています。
最近は見なかった女の人達が、今日は忙しそうに買い物に出て行きました。
「お母さん、大丈夫?」
オレンジ色のガーベラが、赤いガーベラへと太陽がたくさんあたるようにと首を
かしげます。
「大丈夫よ」赤いガーベラは短く答えます。
最近では長く話をすることが出来なくなってきました。
オレンジ色のガーベラは今ではすっかり大きく、赤いガーベラよりも立派に
花を咲かせています。
「もう萎んでしまうの?」
赤いガーベラは力を抜くと下を向いてしまいそうな顔をなんとか
オレンジ色の花へと向けて出来るだけ優しく
「そろそろ萎んでしまうわね。でもあなたのような立派で綺麗な花を残せて
お母さんは幸せだったのよ」
夜になりました。いつもカーテンを閉めるご主人は、今日は遅いようです。
硝子越しに夜の冷気が伝わってきます。
赤いガーベラの花びら、小さく震えます。
オレンジ色のガーベラはいつもは目を閉じてしまう時間なのに
今日は目を開けて、赤いガーベラを見つめています。
ゆっくり下を向いていく赤いガーベラに言います。
「頑張れ」
言葉が聞こえたのでしょうか、赤いガーベラが顔をあげます。
そして外を見てこう言いました。
「蛍」
オレンジ色のガーベラが外を見ると、あちこちで点滅する小さな光。
ツリーの形やクリスマスとの文字の形になって一面に広がっているのが見えました。
緑色や青い光り、黄色や赤もあります。まるで舞い踊っているようです。
「あぁ綺麗だね。お母さん」
オレンジ色のガーベラが話しかけるのを
赤いガーベラは下を向いて聞きました。
そしてゆっくりと萎みました。とてもとても満足そうに。
<終>