六日目 竜也と竜奈の過去
今回は暴力表現を含みます。ご注意ください。
「っはー……、かはっ……」
俺は先輩から逃げてしまった後、一人で公園のブランコに座っていた。
今は六時という遅い時間でもあるせいか、周りには誰一人としていなかった。なので俺が少し動くとブランコの軋む音がやけに響く。
「あーあ、やっちゃった……。こんなんじゃ、絶対先輩に勘づかれたよなー……」
「なーにが勘づかれたんだ?」
「そりゃあ、俺と姉さんとの関係について――って、のわあっ!?」
頭上から聞こえてきた声に俺は思わずバランスを崩してしまって地面にぶつかりかけたが、その前に声の主――東真先輩が支えてくれた。
俺はやけに口元を緩めている先輩を見て逆に心が恐怖で満ちたが、それがばれないように俺はブランコに座り直した。
「せ、先輩、俺に何か用事でも?」
「あ? なんだよ、用事が無いと会いに来ちゃ……って、これも用事で合ってるか……。よし、竜也!」
「え……あの、ちょっ、はいっ!? な、何してるんですか!?」
先輩はそう叫びながら立ち上がると、そのまま勢いに任せて土下座をした。
それを見た俺は頭の中で混乱しつつも、とりあえず先輩に話しかけた。
「あの、先輩……」
「どうした竜也! 俺を踏みつけても蹴り飛ばしても羞恥プレイをしても何しても良いんだぞ!」
「いやいやいや、どうしてそうなったんですか!? お願いですから理由を教えてください! というか顔を上げてください、逆に困りますから!」
「あ、それもそうだな。それじゃあお言葉に甘えて顔を上げさせてもらうな」
俺がそう言うと先輩は顔を上げて、少し深呼吸をしてから口を開いた。
しかし口を開いたが何から言おうかで悩んでいるらしく、口を閉じて顎に手を当てながら首を傾げていた。
そんな先輩を見て、俺は若干呆れながら先輩に話しかけた。
「ええと……先輩、どうしてここに来て土下座をしたのか教えてくれませんか?」
「ん? あ、わかった。ここに来た理由は……俺、竜也に謝りに来たんだ。さっき学校で、竜也をあんな風にしちまったから……」
「あ、あれですか……。すみません、あれは俺の心が弱かっただけであって、先輩が悪いわけじゃ……」
「いいや、俺が悪い。俺がきちんとお前のことを考えてやれていれば、こんなことにならずに済んだんだからな」
先輩はそう言って目を伏せると、何かを思い出しているのか溜め息をついた。
そしてすぐに目を開けると、真剣な目で俺を見ながら言った。
「竜也……俺でよければ、聞かせてくれないか? 過去に一体、竜也と蛭田の間に何があったのか……」
「…………わ、かりました……。そこまで、言うなら……」
俺は渋々と言った感じで頷いて、小さく呟くような声で話し始めた。
「時は、一気に俺が小学二年生の頃まで遡ります――――」
☆
「あっ、おねーちゃん! お帰りなさい!」
「竜也ただいま〜♪ ふわあああああ……やっぱり竜也可愛すぎ……♪」
「……っ! ちょっ、くすぐったいよ……!」
学校から帰ってきたら俺を抱き締めて頬を寄せる――それが、姉さんの日課の一つだった。
姉さんの髪が顔に当たってくすぐったいことこの上なかったが、俺もこのやり取りは正直好きだったんだ。
そしてこの後、俺と姉さんはリビングに行って母さんが用意してくれていたお菓子を食べるんだが、今日はそのお菓子がどこにもなかったのだ。
俺達はこの事に違和感を感じていたのは確かだったが、この時はただ単に忘れたのだろうと適当に考えていた。
今思えば、それが日課の一つだった母さんが忘れるはずなかったのに――――。
「実はな、母さんは今日……交通事故で、死んだ……」
「こーつーじこ?」
「…………え……? う、そ……」
まだ幼かった俺には、まだ『死んだ』ということがどんなことかを理解出来ずにいた。
しかし父さんや姉さんの顔色が悪いのを見ればどんなことかはなんとなくでも理解出来たのに、俺はそんなことも考えずに聞いてしまった。
「おとーさん、おねーちゃん、その『こーつーじこ』って、なーに?」
「……っ!」
そして姉さんは俺を睨み付け、強く唇を噛みながら手を振り上げた。
パンッ
静寂の中に響いた何かを叩いたような音、姉さんが手を振り下ろしている姿、頬に感じる鋭い痛み、父さんの呆然とした顔――そして、俺は理解した。
俺は、姉さんに叩かれたのだと。
「うっ、ふぇ……うわぁあああああんっ!! うわぁああああああっ!!」
「あっ……りゅっ、竜也! 大丈夫か!?」
俺が泣き叫ぶと、我に返った父さんが慌てて俺に近付いて頬を擦ってくれた。
痛い、とにかく痛い。この時は、これしか感じられずにいた。何故叩かれたのか、そこまで考えることが出来ずにいた。
そんな俺を見て、父さんは俺を庇うようにして姉さんを見た。
「竜奈、お前、何して……!」
「うるさいっ! どうしてお父さんは竜也を庇うの!? 無邪気な笑顔で『死んだ』って意味を聞いてきた竜也を!」
「それは仕方ないだろ! だって竜也はまだ幼いんだぞ!?」
「たとえどんなに幼くても、言って良いことと悪いことがあるじゃない! 竜也はその悪いことを聞いてきたのよ!?」
そこまで言うと姉さんはいつの間にか持っていたスタンガンを父さんの首に当てて気絶させ、泣き叫ぶ俺を何度も何度も殴り付けた。
「このっ、このっ……!」
「うあっ、ひっ……! おねーちゃん、いたいっ、いたいよぉ……っ! やだっ、いたっ、やだあぁ……!」
「そうやってずっと痛がればいい! 痛がって痛がって痛がり続けて、ボロボロになってしまえばいいんだっ!」
そして姉さんは、この後俺の泣き叫ぶ声を聞いて慌てて駆けつけてくれた近所の人が来てくれるまで、ずっと俺を殴り続けた。
そして俺は三ヶ月の入院、姉さんは全財産を俺達の家に置いて、蛭田家の養子となった。
事件はこれで解決したが、俺には女性に対するトラウマが出来てしまったんだ――――。
☆
「――――以上が、俺と姉さんの間にあった出来事です」
「…………」
俺の話を聞いた先輩は何を言うでもなく、ただ呆然としながら魚のように口をパクパクと動かしていた。
それもそうだろう。姉さんはあの日以来、外ではずっと猫かぶっていたのだとわかったのだから。
もし先輩に本性を見せていなかったら、あの温厚な性格しか知らないだろうから。
俺はそう考えながら横目で先輩を見て、硬直している間に帰ろうと立ち上がった。
そして俺が公園から出る所まで至った時に、後ろから先輩が駆け寄ってきて俺の前に立ちはだかった。
「待て。帰る前に一つ、聞いても良いか?」
「……答えられる内容なら、どうぞ」
「さっき『女性に対するトラウマが出来た』って言ったよな? それなのに、どうして薫達と普通に話せたんだ?」
それを聞いて、そういえば話していなかったなと思い立ち、説明するために口を開いた。
「その事ですが、あの後なんとかトラウマを克服することは出来たんです。ですがそれは『暴力を振るってこない女性』限定だったので、柔道とか空手をやっていると知った人には未だに近づくことは出来ません」
「そうか……。話してくれてありがとな、竜也。辛かったろ?」
「いえ、今となっては『トラウマの原因』としか思っていないので、気にしなくて平気ですよ」
「ふーん……? なら良いんだけどよ……」
そう呟きながら先輩は道を開けてくれたので、俺は一礼してから歩き出した。
すると今度は追ってはこなかったが、先輩が俺の名前を叫んだので再び足を止めてから振り返った。
「今度は何ですか……?」
俺がいい加減にしてくれというような視線を送ると、先輩は苦笑しながら叫んだ。
俺が全く予想していなかった、真剣な声と言葉で。
「俺が今日言いかけた話は忘れてくれて構わない! だけど俺は絶対にお前のトラウマを完全に克服出来るように手伝ってやる! だから、絶対に一人で抱え込むんじゃねーぞっ! 約束だ!」
先輩はそう言うと、大きく手を振りながら反対方向に走り去っていった。荷物を持っていなかったから、恐らく学校に戻るのだろう。
頭では冷静にそんなことを考えていた。だけど心の中では、さっきの先輩の言葉が嬉しくて嬉しくて、他のことを考える余裕なんて本当は全然無くて。
「ありがとう、ございます……、先輩……っ!」
俺は流れそうになる涙を必死に堪えながら、この場に居ない先輩に届くはずもないのに、無意識にそう呟いていた。