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第3話 坊主と神様

 次の日も、そのまた次の日もガキは犬の墓参りにやってきた。そのたびに、俺も電話をかけ続ける。だが、上手くいかない。どうしても踏ん切りがつかないのだ。

「もしもし、山根ですが……」

「御宅の息子さんを預かっている。返して欲しくば1億円用意しろ」

 たったそれだけ。これさえ言えれば、この借金地獄から開放されるのに。

 俺は受話器を握り締めながら、何度も練習を繰り返してきた台詞を声に出そうとする。が、やっぱり出ない。どうしても本番になると体がすくんで、思っている言葉を口にする事が出来ないのだ。

 くそったれ、なんでこんな簡単な事が出来ねぇんだ。支払いの期限は明日だぞ? このままで良いのか俺! このまま借金地獄に呑まれていいのか? 踏ん張れ俺! 未来を切り開け!

「ハァハァ……お、御宅の……」

「またアナタなの? 毎日毎日イタズラ電話をしてきて! いい加減にしないと、警察を呼ぶわよ! この変態!」

――ガチャン! ツーツーツー……。

「あ……」

 また失敗。毎回毎回変態に間違われて切られるパターン。これで12回目。

「く、くっそー!」

「お兄ちゃん、何をそんなに悩んでいるの?」

 電話ボックスの中で頭を掻きむしる俺を見て、隣にいたガキが首をかしげている。

 お前だよ、お前の事で俺は悩んでいるんだよ。

 俺はガキの頭を掴んでくしゃくしゃにする。ガキは嬉しそうにしている。

 ったく、自分が誘拐されそうになっているのに気楽なもんだぜ。ガキはいいよな。金の事で悩みも苦労も無いんだから。あーあ、俺もお前の頃まで戻れるもんなら戻りたいよ。

 ぼんやりと、俺は受話器を片手にあの頃を思い出す。

 寺の跡取り息子として期待されていた俺。あの頃は、親父もお袋も生きていて、家はいつも笑顔に包まれていた。だが、お袋が死んでからは、家族の歯車が狂ってしまったのか親父とは喧嘩してばかり。その親父も俺の借金が原因であの世にいっちまった。なんでだ。なんでこんな事になっちまったんだ。あの頃の俺は、こんな未来を望んではいなかったはずだ。

 俺は受話器を握り締める。

 借金の返済日は明日だ。もう四の五のやっている場合じゃねぇ。やるかやらないかじゃないんだ、やるしかねぇんだ!

 俺は意を決すると、再びガキの家に電話をかけた。

――プルルル、プルルル……。

 電話の鳴る音が妙にリアルに俺の耳に響く。じっとりと受話器を握る俺の手に汗が滲む。

 俺は現実から逃げていたんだ。今の状況を夢か何かと思っていたのかもしれない。だが、これは全て本当の事。俺はもうどうしようも無い所まで追い詰められている。もう俺は逃げられねぇ。俺は、今日から犯罪者になるんだ。それしか方法が無いんだ!

「うっ……」

 と、その時だった。突然、隣に居たガキが胸を抑えて苦しみ始めた。

「ど、どうした?!」

「む、胸が苦しい……」

 ガキの荒い息遣いが電話ボックス内に響きわたる。顔も真っ青で、とても普通の状態とは思えない。一体どうしたんだ?!

「はい、山根ですが……」

「おい! 御宅の息子さん、一体どうなってやがる!?」

 違うだろ、そこは「御宅の息子さんを預かっている」だろうが。何を言っているんだ、俺は!

「え?」

 電話の向こうで、母親の驚く声が聞こえてくる。

「突然胸を抑えて苦しみ始めたんだ! 一体これはどう言う事だ!」

「ま、まさか持病の心疾患が……」

「し、しんしっかん?」

「心臓病の事です。あの子は心臓が昔から弱くて……。ところで、アキラはどこに?! あなたはどちら様?」

「俺は、あいつの友達だよ!」

 俺は受話器を放り投げると、ガキを抱き上げて電話ボックスから飛び出した。

 ちっくしょう! なんて事だ! 心臓が弱いなんて聞いてねえぞ、ちくしょう! そんな素振り、一度も見せなかったじゃねぇか! しっかりしろよ、こんちくしょう!

 俺はガキを抱きかかえながら、タクシーを探す。くそっ、必要ない時は何処でも走っているくせに、肝心な時に見つからねぇ!

「お、お兄ちゃん……」

「お、おう! しっかりしろよ! 今、病院に連れていってやるからな!」

 ガキは俺の服を握り締めながら、か細い笑みを見せる。

「も、もし僕が死んだら……、千秋の……千秋の隣に埋めて欲しいんだ……」

「な、何を言ってやがる! 死ぬとかそんな事を簡単に言うんじゃねぇ!」

「お兄ちゃんも……、たまにはお参りに来てね……。僕も千明も一人は寂しいから……」

「ば、バッカヤロウ! いいか! 祈りってのはな、生きている人間が、生きている人間に対してするもんなんだよ! そいつの幸せを願ってするもんなんだよ! 幸せは生きているうちに掴むものなんだよ! お前はまだ若いだろうが! お前には、これからたくさんの幸せを掴む権利があるんだ! だから、だから死ぬなんて馬鹿な事言うんじゃねえ!」

「……」

「おい、聞いているのか? おい! 返事しろよ! おい!」


 そして、あれから1ヶ月経った。

 俺の視線の先には、綺麗な更地になった土地が見える。

 結局、この世で頼れるのは己自身。俺は身を持ってそれを実感した。何もしないで、ただ祈ったって何も変わりはしない。その証拠に、寺も墓も全部、借金のカタに持っていかれちまった。だが、残ったものもある。

「お兄ちゃん、何を見ているの?」

 ふいに声をかけられ、俺は振り向く。そこには、ベットに横たわるアキラの姿があった。

「いや、ずいぶんと綺麗になっちまったなぁって思ってさ。ちょっと前まで、そこにビルが建っていたのになぁ」

「駐車場になるんだって。お母さんが言っていたよ」

「そっか」

 あれから手術は無事に成功し、アキラは今どんどん回復している。なんでもあの時、すぐに病院で見てもらえた事が幸いしたらしい。アキラの母さんが、泣きながらそんな事を言っていたのを思い出す。でも、まさか目の前の男が誘拐犯だとは思いも寄らなかっただろう。まぁ、なんにせよ大事に至らなくて本当に良かった。

「お兄ちゃん」

「ん?」

「ありがとう」

「な、なんだよ、いきなり」

 アキラは、優しい微笑みを湛えながら俺を見つめる。

「お兄ちゃん、僕のためにたくさんお祈りしてくれたんでしょ。お母さんが言ってた。手術室の前で、お兄ちゃんがずっと祈っていてくれていたって。ありがとう、僕が助かったのはお兄ちゃんのおかげだよ」

 礼を言うのは俺の方だよ。

 俺は、アキラの頭を掴んで髪をくしゃくしゃにした。

 俺は、金も寺も何もかも失った。でも、お前のおかげで最後の最後に人として大事なモノを失わずに済んだんだ。ありがとう、アキラ。本当にお礼を言いたいのは俺の方なんだ。

「今日はいい天気だな」

 俺は立ち上がると窓から外を見渡す。

 俺は一つだけ考えを改めなくてはならない事がある。

 それは、神様はこの世にいるって事だ。

 こんな俺の、願いを聞き届けてくれた、優しい神様が。

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