第2話 坊主と変態
数日後。
俺は、近所のパチンコ屋の裏にある人気の無い駐車場で、怖いお兄さん達に囲まれていた。
「オマエ、今週末までに金が用意できなかったらどうなるか、分かってんだろうな?」
「は、はい。そりゃあもう……」
「だったら、なんでこんな所でパチンコなんか打ってるんだ? そんな暇があったら、少しでも金策に走ったらどうなんだ」
「いや、だから、これが俺なりの金策でして……」
俺の言葉に、借金取り達は呆れた顔を見せた。
「駄目だコイツ。完全にギャンブルに取り憑かれちまってる」
借金取りの男は、俺を突き放すと哀れんだ目で見下ろした。
「息子がこんなんじゃ、死んだオマエの父親も浮かばれんぜ。せいぜい、自分の父親に取り憑かれないように気をつけるんだな」
「くそっ! あの時、あのリーチさえ揃っていれば、一発逆転の道も切り開けたんだ! そしたら、あんな奴らにでかい口なんて叩かせなかったものを! くそっ!」
寺に戻った俺は、誰も居ないガランとしたお堂で一人床に向かって拳を打ちつけていた。
だが、このままでは本当にまずい。実は、俺が育てあげた借金の総額は、この寺一式を売り飛ばしてもまだ足りないのだ。このままでは家を失った上に、あの怖いお兄さん達に一生付き纏われる人生になってしまう。そうなったら、ゆっくりパチンコを打つことも出来ないじゃないか。それは大いに困る。
俺はその場で座禅を組むと、瞑想に入った。
ポク、ポク、ポク、チーン。
やはり、あの方法しか無いか……。
俺の頭の中に、以前から考えていた計画が浮かびあがった。この追い詰められた状況を打破する一発逆転の策。そう、犯罪である。金を手っ取り早く手に入れるためには、もはや他人から奪うしかない。
まず最初に浮かんだのは銀行強盗だった。だが、これは得る金は大きいがリスクも大きい。それに、真昼間にやっている銀行を襲うなんてあまりにも目立ち過ぎるし、脱出経路や武器の調達など事前に綿密な計画を練る必要がある。こんな切羽詰った状況では、計画立てる時間なんてある訳が無い。
ならば、オレオレ詐欺ならばどうか? この犯罪のウリは、元手が電話一つで済む上に、手当たり次第に電話をしまくってオレオレ言っていれば金が手に入ると言う、お手軽かつ簡単なシステムである。そうだ、これだ! これしかない! オレオレ詐欺、君に決めた!
俺は電話帳を用意すると、携帯電話を取り出しさっそく電話をかけようとした。そしてすぐに大事な事に気がつく。
そういや、先週から電話を止められているんだった……。
ガックリと肩を落とし俺は携帯電話を放り投げる。
犯罪をするのにも金がいるなんて、なんて世知辛い世の中なんだ……。
「あ、お兄ちゃん!」
その声に、俺はゆっくりと顔をあげた。見ると、あのガキが嬉しそうな顔をしながら走り寄って来るのが見えた。どうやら俺は、いつの間にか裏庭まで来ていたらしい。
「なんだオマエ、また来ていたのか」
「うん、千秋にお祈りをしてあげようと思って」
あれからガキは、死んだ犬に祈りを捧げるため毎日やってきていた。よくもまぁ毎日飽きもせず来れるもんだ。本当、ご苦労なこった。
ガキは犬の墓の前にしゃがみ込むと、パンパンと手を叩き祈りを捧げた。
「オマエも飽きもせず良く続くよなぁ。そんなにその犬の事が好きだったのか」
「うん! 僕の一番の友達だったからね!」
屈託の無い笑顔でガキは俺を見つめる。やめろ。そんなキラキラした目で俺を見つめるな。邪悪な俺が浄化されちまうだろ。
いたたまれなくなった俺は、ガキの肩を掴みジッと見つめた。
「いいかガキ。オマエの為に、これだけは言っておいてやる。祈ったって犬は生き返ったりしないし、お前の想いなんて届いたりしない。人間も犬も死んだら終わり。何も残りはしないんだ。祈りなんて無意味なんだよ。祈って世の中変わるなら、俺なんかとっくに大金持ちさ。この世に神も仏もいやしないんだよ」
ガキは、一瞬俺の言葉にきょとんとしていたが、ふるふると首を横に振った。
「そんな事無いよ、お兄ちゃん」
ガキは俺を見つめながら、にっこりと微笑む。
「神様が本当にいるかどうかは僕には分からないけど、千秋は今でも僕の心の中で生きているんだ。その証拠に、こうやって千秋の墓の前でお祈りすると、千秋の事をはっきりと思い出せるんだ。千秋は心の中でいつも笑っているよ。きっと僕がここに来てくれるのが嬉しいんだ。だから僕は千秋の為に、祈ってあげたいんだ」
心の中で犬が生きている……だと?
ガキの言葉に、俺は親父が言っていた言葉を思い出していた。
――魂は心に宿るんだ。
親父は、いつも仏教において魂と想いは切っても切れない存在であると言っていた。肉体は死ねば滅ぶ。これは間違いない。だが魂はどうなるのか? 輪廻転生や死後の世界など色んな説があるが、俺はどれも信じちゃいない。何せ見た事が無いからな。だが、親父が言っていた「魂は心に宿る」と言う言葉は今でも覚えている。
魂の完全な死。それは、死んでしまったその人の事をみんなが忘れてしまうこと。だが、逆を言えばその人の事を時々でもいいから思い出してあげれば、その人は心の中で生き続ける。これが、魂が心に宿ると言うことなのだ。ま、今の今まですっかり忘れていた事だけどな。まさか、こんなガキの言葉で思い出すとは思いもよらなかったが。
「そっか。だったらオマエの気が済むまで祈ってやるがいいさ」
俺はガキの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。ガキは嬉しそうに微笑んだ。
とは言っても、この墓地があるのも今月末までだがな。さてさて、金をどうやって調達するか……。
と、その時だった。俺の頭に、突如ある妙案が浮かんだ。
俺は、ガキを見つめニンマリと微笑む。
そうだ、神様は居たのだ。ちゃーんとこの俺を見ていて、最後の最後にチャンスを与えてくれた。そうさ、この墓地が無くなったらガキも悲しむじゃないか。だったら、ちょっと協力してもらうしかないだろう。
俺はガキから自宅の電話番号を聞きだすと、近くにある公衆電話から電話をした。
「もしもし、山根ですが?」
電話に出たのは、三十代くらいの女性だった。恐らくこのガキの母親だろう。
神様が俺に与えてくれた最後のチャンス。それは、身代金目的の誘拐であった。
俺はこのガキを誘拐し、なんとしても巨額の金を得なくてはならない。でないと、俺の家だけじゃなく、ガキの犬の墓まで借金のカタに持っていかれちまう。もしそんな事になれば、きっとガキは悲しむだろう。だからちょっとだけ協力してもらうんだ。何も悪い事じゃないんだ。
そう自分に言い聞かせながら、俺は受話器をギュッと握り締める。
――お宅の息子さんを預かっている。無事に帰して欲しくば、1億円用意しろ。
頭の中で何度もシミュレーションした言葉が反芻される。だが、中々言葉に出ない。
「もしもし?」
何も喋らない俺に、電話口の向こうから訝しげな声が聞こえてくる。
ハァハァと俺の吐息が電話ボックス内に響き渡る。
さぁ、言え! 言うんだ! 言ってお前の人生を変えるんだ。言うんだ俺!
「お宅の……」
「この変態!」
――ツーツーツー。
どうやら、勘違いされてしまったようだ。