悪役令嬢は、サバサバ令嬢をお茶会で迎え撃ちますわ!
「わたし、女の子同士でべたべたするのって、苦手なのよね」
その声が耳に届いた瞬間、リゼット・アルヴェイン公爵令嬢、五歳は、扇を握ったままぴたりと固まった。
王都の外れにある騎士団の訓練場は、土と汗と、金属の匂いがする場所だった。今日は父に連れられ、婚約者であるアレクシスに会いに来ていた。
淡い金色の髪に結んだお気に入りの青いリボンが、風にふわりと揺れる。水色のドレスの裾は歩くたびにさらさらと音を立て、真新しい白い靴は日差しを受けてつやつやと光っていた。
そして小さな両手には、悪役令嬢に欠かせない黒レースの扇。姉のエレオノーラに昨日おねだりして譲り受けたもので、広げると五歳児の顔などすっぽり隠れてしまうほど大きい。それでもリゼットは「とっても悪役令嬢ですわ」と、肌身離さず持ち歩いている。
その扇を握る手のひらに、じわりと汗がにじんだ。
視線の先には、二人の子どもがいた。
一人は婚約者のアレクシス、七歳。銀金色の髪と、木漏れ日のように穏やかな緑の瞳を持つ、侯爵家の嫡男だ。
もう一人は、栗色の髪を肩の高さで切りそろえた少女。年はアレクシスと同じ七歳。動きやすそうな乗馬服に似た服をまとい、腰には子ども用の木剣を下げている。日に焼けた頬に、まっすぐな眼差し。
「お茶会とか、お人形とか、あんまり興味ないし」少女は肩をすくめた。「男の子と遊んでるほうが楽なのよ」
「そうなんだ」アレクシスが答える。「クラリッサは昔から訓練場にいたものね」
「そうそう。だから女の子と何を話せばいいのか、よく分からないの。まあ、別に困ってないけど」
クラリッサと呼ばれた少女が、からりと笑った。
その瞬間だった。リゼットの指先が、扇の骨を握りしめたままぶるぶると震え出す。心臓が、どんっと大きく跳ねた。耳の奥で、自分の鼓動がはっきりと聞こえる。
「……きましたわ」
「はい?」後ろに控えていた侍女が、聞き返しながら小さく首を傾げた。
「きましたわ……!」
リゼットは両手で扇をぎゅっと握りしめた。頬が上気し、瞳の奥に星でも宿ったかのように輝いている。待ちに待った贈り物を、やっと見つけた子どものような顔だった。
「サバサバですわ!」
声は、思っていたよりずっと大きく響いた。アレクシスとクラリッサが、同時にこちらを振り向く。
「リゼット?」
「誰?」
けれど、リゼットはそれどころではなかった。両足はもう、地面から離れて跳ねている。
「知っていますの! わたくし、これ、お勉強の本で読みましたわ!」
興奮で声が上ずる。
「『わたし、女の子のお友達って苦手なの』って言って、男の子となかよくする女の子ですわ!」
「……リゼット様」
「そして、悪役令嬢のこんやくしゃと、とってもなかよくなりますの!」
「リゼット様、少々お声を」
「これは大事件ですわ!」
聞こえていない。胸の中で、鼓動と興奮がぐるぐると渦を巻いている。
前回は、病弱な幼馴染だった。お勉強の本――つまり恋愛小説の山――で何度も読んだ、悪役令嬢の前に立ちはだかる強敵の一人。リゼットはきちんと悪役令嬢として立ち向かい、その結果、なぜかエミリアとは大の仲良しになった。予定とは少し違った気もするが、あれは間違いなくリゼットの完全勝利だった。
そして今度は、サバサバ令嬢。
「サバサバ令嬢ですの……!」
リゼットは感動に打ち震えていた。悪役令嬢というものは、忙しい。こんなにも次から次へと敵が現れるとは。けれど、望むところである。
「わたくし、負けませんわ!」びしっと扇の先をクラリッサへ向ける。「おーっほっほっほ!」
高笑いを響かせる――つもりだったが、五歳児の肺活量には荷が重すぎた。
「おーっほっ……けほっ、けほっ」
途中でむせて、目にじわりと涙が浮かぶ。
「リゼット、大丈夫?」アレクシスがすぐに駆け寄り、背に手を伸ばしかけた。
「だ、大丈夫ですわ!」
その手から逃げるように、リゼットは慌てて一歩後ずさった。今は悪役令嬢の大事な登場場面だ。婚約者に背中をさすってもらっている場合ではない。咳の名残で潤んだ目のまま、リゼットは無理やり姿勢を正した。
「アレクシス様!」
「うん」
「そちらのかたは、どなたですの?」
「ああ。紹介するね」
アレクシスが少女のほうへ視線を向ける。
「クラリッサ・ベルティエ伯爵令嬢。ベルティエ伯爵家は代々騎士を務めている家なんだ。クラリッサのお父様も騎士団にいるよ」
「クラリッサよ。よろしく」
少女は気軽に片手を上げた。
リゼットは目を細めた。間違いない。騎士の家の娘。剣が得意。男の子とも気軽に話す。女の子らしいものには興味がなさそうな態度。そして――婚約者と親しげ。お勉強の本に出てきたサバサバ令嬢と、あまりにもそっくりだった。
「わたくし、リゼット・アルヴェインですわ」
「知ってる。アレクシスの婚約者でしょう?」
「!」
息を呑んだ。向こうは、自分のことをすでに知っている。お勉強の本でも、恋敵はいつも悪役令嬢のことを知っていた。ますます、間違いない。
「そうですわ! わたくしが、アレクシス様のこんやくしゃですの!」
「うん。聞いてる」
「そして――」扇を、ぱっと開く。「立派な悪役令嬢ですわ!」
「……悪役令嬢?」クラリッサが首を傾げる。
「そうですの!」
「リゼットは悪役令嬢になるために、毎日頑張ってるんだよ」アレクシスが横から補足した。
「変わってるわね」
「まあ!」リゼットの頬がぱっと赤く染まった。嬉しそうに笑う。「ほめてもなにも出ませんわ!」
「褒めたのかな……」クラリッサが、小さく呟いた。
その夜、アルヴェイン公爵家のリゼットの部屋には、恋愛小説の山が築かれていた。絨毯の上に座り込み、表紙を一冊ずつめくっては、ぽいぽいと投げていく。
「これではありませんの!」ぽい。「これも違いますわ!」ぽい。「これですわ!」ばさっ。
ようやく目当ての一冊を見つけ出し、リゼットは満足げに息をついた。華やかなドレスの裾が、絨毯の上でふわりと丸く広がる。リゼットにとって、恋愛小説はただの物語ではない。立派な悪役令嬢になるための、大切なお勉強の本だ。その中の一冊に、今日出会ったクラリッサとそっくりな令嬢が登場していた。
真剣な顔でページをめくり、指先で文字をなぞる。サバサバ令嬢は剣術が得意で、ドレスを嫌い、お茶会を嫌い、人形遊びを鼻で笑う。そして言うのだ。『わたし、あなたたちみたいな女の子とは違うの』――。
リゼットは、ごくりと唾を飲んだ。
「つよいですわ……」
なんて恐ろしい相手だろう。しかも物語の中のサバサバ令嬢は、悪役令嬢の婚約者とどんどん仲良くなっていく。焦った悪役令嬢は、サバサバ令嬢に女の子らしい振る舞いを求めて恥をかかせようとする。
「なるほど……」
眉間に小さなしわを寄せて考え込む。
「女の子らしいもので……やっつける……」
しばらくの沈黙のあと、ぱあっと顔を上げた。
「わかりましたわ!」
「どのようになさるのですか?」
侍女が静かに問う。
「クラリッサ様を、お茶会に呼びますの! そして、お茶と、お菓子と、お花と、お人形で、いっぱいにしますわ! クラリッサ様は、女の子らしいものが苦手ですの。そこを、わたくしが、どーん! ですわ!」
両手をいっぱいに広げる。
「そうしたら、クラリッサ様は、きっと『まいりました』って言いますわ! 完璧ですの!」
「おーっほっほっほ!」
今度は、むせなかった。大成功である。
数日後、アルヴェイン公爵家の庭園には、いつもとは違う色があった。今日のクラリッサは乗馬服ではなく、伯爵令嬢らしいドレス姿だった。それでも飾り気は少なく、髪にもリボン一つない。対するリゼットは気合十分――淡い桃色のドレスに大きなリボンを結び、手にはもちろんお気に入りの扇を携えている。今日は決戦の日なのだから。
「覚悟なさいませ、クラリッサ様!」
「……何を?」
「ふふふ。すぐにわかりますわ!」
リゼットが得意げに扇を広げる。クラリッサは怪訝そうな顔をしたものの、大人しく席についた。テーブルには花柄のティーセットと、色とりどりの焼き菓子が並び、庭の花壇から風に乗って甘い香りが漂ってくる。
「こちらのケーキをどうぞですの」
「ありがとう」
クラリッサは少し緊張した面持ちでフォークを手に取り、慎重に一口を口へ運んだ。もぐ、と小さく咀嚼する。その眉根が、ほんのわずかに緩んだ。扇の陰から、リゼットはじっとその表情を観察していた。
「……おいしいですの?」
「まあまあね」そっけない返事。
「ふうん」
「な、何よ」
「なんでもありませんわ」
リゼットはにやりと口の端を上げた。悪役令嬢たるもの、敵の弱点を見逃してはいけない。どうやら甘いものは、嫌いではないらしい。
「では、つぎですの!」
リゼットはクラリッサの手を取り、庭園に面した小さなサロンへと引っ張っていく。そこにはリゼットお気に入りの人形たちや、小さな帽子、色とりどりのリボンがずらりと並べられていた。
「じゃーん!」
両手を広げる。
「どうですの!」
「……すごいわね」
クラリッサの声は変わらずそっけない。
けれど、その視線はすぐに一体の人形へ吸い寄せられた。薄茶色の髪に、緑色のドレス。頭には白いリボンを結んでいる。クラリッサはすぐに目を逸らした。けれど、しばらくすると、またちらりと見る。リゼットは、その繰り返しを、瞬きも忘れてじっと見つめていた。
「……クラリッサ様」
「な、何?」
「あの子が好きですの?」
「ちがうわ」
「では、どうしてずっと見ていますの?」
「……見てないわよ」
「見ていますわ」
クラリッサが黙った。リゼットは人形を手に取ると、両手でずいっと差し出した。
「はい」
「え?」
「どうぞですの」
「いらないわよ。わたし、そういうの興味ないもの」
「……」
リゼットは人形を見る。クラリッサを見る。もう一度、人形を見る。そして、ふるふると眉を寄せた。
「クラリッサ様。うそは、だめですわ」
「……!」
クラリッサの顔が、目に見えて強張った。
「わたくしにはわかりますの! クラリッサ様、この子が好きですわ!」
「好きじゃない!」
「では、しまいますわ」
リゼットが人形を棚へ戻そうとすると、小さな声が背中を引き止めた。
「……待って」
振り返ると、クラリッサは俯いていた。頬が、耳の先まで赤く染まっている。
「ちょっとだけなら……触ってもいい?」
リゼットの目が丸くなり、それからにんまりと笑みが広がった。
「もちろんですわ!」
「……笑わない?」
「どうしてですの?」
「だって……わたしが、お人形なんて」
クラリッサはおそるおそる人形を受け取った。木剣を握るときとはまるで違う、そっと壊れ物を扱うような手つきで、胸に抱え込む。その指先が、白いリボンにそっと触れた。
「……かわいい」
今度の声は、本当に小さかった。夕暮れ前の光の中で、その声だけがやけに柔らかく響いた。
リゼットはクラリッサの顔をじっと見つめた。さっきまでの強気な顔とはまるで違う。嬉しそうなのに、どこか困ったような、泣きそうな顔をしている。
「クラリッサ様。かわいいもの、好きなんですの?」
クラリッサはしばらく黙っていた。やがて、小さく頷く。
「……うん。お人形も、お花も、リボンも好き。ドレスだって……本当は、もっと可愛いのを着てみたい」
「では、着ればいいですわ!」即答だった。
「無理よ。わたし、ベルティエ家の娘だから」
クラリッサは人形のドレスを指先で撫でた。
「ベルティエ家は代々騎士の家なの。お父様も、お兄様たちも騎士で、わたしも小さいころから一緒に訓練してきたわ。みんな言うの。『クラリッサは勇ましい』って。『将来は立派な女騎士になる』って。だから……今さら、可愛いものが好きなんて言えないの」
「……どうしてですの?」
「似合わないって思われるかもしれないでしょう?」
リゼットは目をぱちぱちさせた。よく分からない。
「クラリッサ様は、剣が好きですの?」
「好きよ」
「お人形も?」
「……好き」
「かわいいドレスも?」
「好き」
リゼットはしばらく考えた。首がことりと傾く。
「では、ぜんぶ好きでいいんじゃありませんの?」
「……え?」
「だって、ぜんぶ好きなんでしょう?」
「そうだけど……」
「なら、ぜんぶですわ!」
胸を張って言い切る。ものすごく簡単なことを言っている顔だった。
「わたくしだって、かわいいドレスも好きですし、お菓子も好きですし、悪役令嬢も大好きですの!」
「最後だけちょっと変じゃない?」
「変じゃありませんわ! 好きなものは、好きでいいんですの!」
クラリッサが目を瞬いた。リゼットにとっては、それで話は終わりだった。けれどクラリッサは、人形を抱いたまま黙り込んでいる。長い睫毛が、伏せた瞼の上で小さく震えていた。
「……わたしね」
やがて口を開く。
「女の子のお友達も、本当は欲しかったの」
「では、作ればいいですわ!」
「だから、それができないのよ。何を話したらいいか分からないもの」
クラリッサは困ったように笑った。
「ずっとお兄様たちや騎士団の人たちと一緒だったから、お茶会に呼ばれても何を話せばいいのか分からなくて。緊張すると、『こういうの興味ない』って言っちゃうの」
「まあ」
「そうすると、みんなわたしと話さなくなるでしょう?」
「それはそうですわ!」
「……そこは否定してよ」
「だって、きらいって言われたら、いっしょに遊べませんもの」
リゼットは人形を指さした。
「お人形が好きなのに『きらい』って言って、お友達がほしいのに『女の子は苦手』って言うんですの?」
「……そうね」
「クラリッサ様、それ、とってもへたくそですわ!」
「……」
クラリッサが固まった。後ろに控えていた侍女も、一瞬息を止めた気配がした。
「……へたくそ?」
「はい! ぜんぶ反対ですもの!」
クラリッサの口元が、ぴくりと震えた。
「ふ……ふふっ」
こらえきれず、とうとう笑い出す。夕日を受けた頬が、涙ぐんだまま赤く光っていた。
「どうして笑いますの!」
「だって、へたくそって……」
「ほんとうですわ!」
「うん。そうかも。わたし、すごくへたくそだったのね」
「はい!」
「そこは少しくらい否定してくれてもいいでしょう?」
「だめですわ。わたくし、悪役令嬢ですもの! 悪役令嬢は、きびしいんですの!」
「そうなんだ」
クラリッサは笑いながら、人形を抱き直した。
「じゃあ、悪役令嬢様。わたしと、お友達になってくれる?」
「もちろんですわ!」
元気よく答えたあと、リゼットの動きがぴたりと止まった。
「…………あっ」
「どうしたの?」
「お友達になってしまいましたわ……」
「駄目だった?」
「だって今日は、クラリッサ様をやっつける日でしたの!」
「何それ」
「また失敗しましたわ……」
がっくりと肩を落とすが、すぐに人形を抱いて笑っているクラリッサに目を留めた。さっきまでとは違う、柔らかく弾けるような笑顔。庭を渡る風が、二人の間を吹き抜けていく。
「……まあ、いいですわ」
パチン、と扇を閉じる。
「クラリッサ様が、わたくしのことを大好きになったなら――これはこれで、悪役令嬢の勝ちですの!」
「それでいいの?」
「完璧ですわ!」
勝敗は、どうやらリゼットの中で決したらしい。そのあと二人は、日が傾くまで人形で遊んだ。クラリッサが選んだ緑色のドレスの人形は、剣がとても強い女騎士になり、リゼットのお姫様と一緒に悪いドラゴンをやっつけ、最後はみんなでお茶会をすることになった。
「ドラゴンもお茶会するの?」
「しますわ!」
「カップ持てる?」
「がんばりますの!」
二人の笑い声が、茜色に染まる庭園にいつまでも響いていた。
やがて帰る時間になり、クラリッサは名残惜しそうに、緑色のドレスの人形をテーブルへ戻そうとした。
「……楽しかった」
「では、また遊べばいいですわ!」
「また来てもいいの?」
「もちろんですの!」
リゼットは少し考えてから、その人形を持ち上げた。
「この子、クラリッサ様にあげますわ!」
「えっ」
「どうぞですの!」
「でも、リゼット様の大切なお人形でしょう?」
「いっぱいありますもの! それに」にっこりと笑う。「この子、クラリッサ様といっしょに行きたそうですわ!」
クラリッサは人形を見て、それからリゼットを見た。細めた目の奥が、じんわりと潤んでいる。
「……ありがとう」ぎゅっと胸に抱きしめた。「大切にする」
「はいですの!」
「リゼット」
聞き慣れた声に振り向くと、庭の入り口にアレクシスが立っていた。
「あっ、アレクシス様!」
「クラリッサもいたんだね」
「うん」
クラリッサは人形を背中に隠そうとして、途中でやめた。少し迷ってから、胸の前へと出す。
「……リゼット様にもらったの」
「可愛いね」
「……うん。可愛いでしょう?」
クラリッサが、はにかむように笑った。アレクシスも、つられて笑う。
「二人とも仲良くなったんだね」
「ちがいますわ!」リゼットがすかさず否定する。「わたくしが勝ちましたの!」
「何に?」
「ぜんぶですわ! クラリッサ様をお茶会に呼んで、お人形で遊んで、好きなものは好きって言いなさいって叱りましたの! そして、お人形もあげましたわ! 完璧な悪役令嬢でしたでしょう?」
アレクシスはしばらくリゼットを見つめ、それからいつものように、目を細めて優しく笑った。
「うん。リゼットはすごいね」
「そうでしょう!」満足げに胸を張る。
クラリッサがアレクシスに視線を向けた。「これ、いつもなの?」
「うん」
「……そう」
「今日も頑張ってるでしょう?」
「……うん。すごく頑張ってる」
二人が何やら頷き合っている。リゼットはその空気に眉を寄せた。
「なんですの?」
「なんでもないよ」
「怪しいですわ!」
その日の夜、リゼットは姉エレオノーラの部屋へ駆け込んだ。灯りに照らされた部屋の中、姉は本から顔を上げて微笑む。
「お姉様ー!」
「まあ、リゼット」
リゼットは姉の前まで走ると、息を弾ませながら得意満面に胸を張った。
「聞いてくださいませ! サバサバ令嬢をやっつけましたの!」
「まあ。どのように?」
「まず、お茶会に呼びましたわ! お人形でいっしょに遊びましたの! クラリッサ様はほんとうは可愛いものが好きなのに、好きって言えなかったんですの! だから、好きなものは好きって言わないとだめですわって、ちゃんと叱りましたの! それから、お人形をひとつあげましたわ! そして、また遊ぶお約束をしましたの!」両手を腰に当てる。「どうですの!」
「そうねえ……」
エレオノーラは少し考えるふりをしてから、口元に笑みを刻んだ。
「それは、クラリッサ様とお友達になったのではないかしら?」
「ちがいますわ! わたくしが勝ったんですの!」
「何に勝ったの?」
「……」リゼットは固まった。「…………いっぱいですわ!」
「いっぱい?」
「いっぱい勝ちましたの!」
「そう」
エレオノーラは笑いをこらえながら頷いた。
「では、今日も立派な悪役令嬢だったのね」
「はい!」
リゼットは満面の笑みを浮かべた。
「今日も完璧でしたわ!」
その同じ夜、ベルティエ伯爵家では、ちょっとした事件が起きていた。
「お父様」
「なんだ、クラリッサ」
クラリッサは背中に何かを隠していた。何度も口を開こうとしては、やめる。最後には、ぎゅっと目を閉じて言葉を押し出した。
「わたし……お願いがあるの。今度のお茶会に……ドレスを着ていきたい。ふわふわしたやつ」
父親が目を瞬いた。「ドレス?」
「……もちろん構わないが」
「それから」クラリッサは背中に隠していた人形を、そっと差し出した。「こういうのも……好きなの」
父親はしばらく娘を見つめた。クラリッサは俯く。笑われるかもしれない。似合わないと言われるかもしれない。心臓が、痛いくらいに早鐘を打つ。
ところが、返ってきたのは静かな一言だけだった。
「そうだったのか」
「……変じゃない?」
「何がだ? ベルティエ家の娘が人形を好きではいけないのか? 私は聞いたことがないな」
父親は困ったように頭を掻いた。
「それに、ドレスが欲しかったのなら、もっと早く言えばよかったのに」
「……いいの?」
「もちろんだ」
クラリッサは人形を見つめた。緑色のドレス、白いリボン。昨日、リゼットからもらったもの。指先でそっと撫でると、思っていたよりずっと簡単だったことに気づいて、小さく笑った。
「……そっか」
数日後、リゼットのもとへ一通の招待状が届いた。差出人はクラリッサ。『こんど、わたしのおうちでお茶会をします。リゼット様も来てください』。手紙の最後には、小さな文字でこう添えられていた。『新しいドレスを買ってもらいました。リボンもあります』。
「まあ!」リゼットの目が輝いた。手紙を握りしめたまま、廊下を走ってエレオノーラのもとへ駆け込む。
「お姉様! 見てくださいませ! クラリッサ様から、お茶会のおさそいですの! しかも、新しいドレスを買ってもらったそうですわ!」
「まあ、よかったわね」
「これは……」
リゼットは扇を取り出し、ばっと開いた。
「わたくしの悪役令嬢作戦が、大成功したということですわ!」
「そうなの?」
「そうですの!」
胸を張ったまま、姉の前でくるりと一回転する。ドレスの裾が花のように広がった。
「おーっほっほっほ!」
今度こそ、咳き込むことのない、完璧な高笑いだった――たぶん。
その日、リゼット・アルヴェイン公爵令嬢、五歳。サバサバ令嬢を一人、見事にやっつけた。本人は、そう思っている。




