だまされた新任教官
セノへの個別指導が始まってしばらくした頃、ヴァレンタリアが困惑した表情でナツメのもとへやってきた。
「ナツメ先生。セノくん、普通に魔法が使えますよ。私の指導は、必要ないと思います……」
ナツメは手元を止め、深く考え込むように視線を落とした。
二階では、セノがリンモルトの描いた魔法陣に熱心なダメ出しをしていた。
「枠もちゃんと描かないと魔法が使えないよぉ」
「ぬぐ……」
ナツメがやってきた。セノはいち早くナツメに気づく。
「どうしたの? ナツメ?」
「セノ、もう一度、ヴァレンタリア先生に見せた魔法を見せてくれるかい?」
「いいよぉー」
セノは事もなげに、一通りの魔法を完璧に披露する。
前に出した両手の手のひらの上で火、水、光、風それぞれの魔法を順番に発動してみせた。
それを見届けたヴァレンタリアが太鼓判を押す。
「これだけできれば、初等科は十分に卒業できます!」
しかし、ナツメの違和感は消えなかった。
ナツメがセノに教えた魔術は、空中に魔法陣を展開してから発動させる方法だけ。
魔法のように無から放つ方法は教えていない。
ナツメは、魔法陣を描くのに夢中なリンモルトに問いかけた。
「リンモルトさん。もしかして、セノに『魔術を魔法のように見せる方法』を教えましたか?」
リンモルトは左手を上げ、待ての合図をした。どうやら今は、魔法陣の仕上げに集中したいらしい。
ナツメは確信し、セノに向き直った。
「セノ。魔術を使わずに魔法を見せてくれるかい? 今度は検証陣の中でやってもらうよ」
ナツメはそう言って、ローブの中から取り出した小さな細い棒で床を軽く叩いた。
すると隠蔽された魔法陣を可視化する検証陣が浮かび上がった。
セノは観念したように検証陣の中に入り、いつもの安定性に欠ける、不格好な魔法を見せつけた。
そのあまりの落差に、ヴァレンタリアは驚きを隠せない。
「ヴァレンタリア先生。やはり、セノの魔法はまだまだのようですね」
もし本当に魔法が上達したのなら、この少年は真っ先に、弾けるような笑顔で報告に来るはずだ。
それがないことが、何よりの証拠だった。
ようやく魔法陣を描き終えたリンモルトが、セノのそばに歩み寄った。
「……たしかに、そんな話を少しだけしたかもしれん。まさかそれをヒントに魔法のように見せるとはな」
リンモルトは感心したように、セノの頭をゴシゴシとなで回した。
セノはローブの裏側に、あらかじめ魔力を充填した魔法紙を隠し持っていた。
それを使って、魔法の発動と同時に魔術を使ったのである。
ヴァレンタリアは溜息をつき、膝をついてセノと視線を合わせた。
「セノくん。……魔法を安定させるための基礎訓練、毎日やってる?」
「…………」
「正・直・に・!」
「……タウィン先生と、言ってること一緒だよぉぉ」
セノは消え入りそうな声でぼやいた。
セノが口にしたのは、ヴァレンタリアが赴任する直前まで指導にあたっていた、前任の教官のことだろう。
「ここ二ヶ月、やってない」
毎日同じことを繰り返す、地味で退屈な訓練。
それをサボっていたことがバレたくなかったセノは、魔術で小細工して、魔法ができたことにしてしまおうとしたのだった。
ただ、ナツメはセノを怒るようなことはしなかった。魔術を手段の一つとして捉えるなら、バレずに目的を達成するのは一つの正解だからだ。
それよりもナツメは、教えてないのにセノの魔術レベルが確実に上達していることに懸念を抱くのだった。
◇◇◇
放課後の廊下。
周囲は静まり返り、あの教室からも何の音も聞こえなかった。
通り過ぎようとしたノンは、ふと思い立って足を止める。
もう近づかないと昨日決めたばかりなのに……。
殺し屋と遭遇するかもしれない恐怖はあったが、それ以上に好奇心が勝った。
彼女は少し震える手で、扉をそっと少しだけ開ける。
――そこには、誰もいなかった。
椅子は整然と並び、机の上には何も置かれていない。
殺人依頼が行われているような禍々しい気配はなく、ただ静かな空き教室があるだけだった。
ノンは「よかった……」と小さく呟き、安堵して再びゆっくりと扉を閉めた。




