ナツメの帰還
[視点:ノン]
大きな袋を背負って、ナツメ先生が魔術教室に帰ってきた。
二階の床に、移動棒による転移の光が収束していく。
「ナツメだ!」
嬉しそうに駆け寄るセノくんを横目に、私は手元の課題に意識を戻した。……集中、集中。
けれど、その集中は、不吉な音と共に打ち砕かれることになった。
ナツメ先生が下ろした袋から、ゴロゴロと黒い石がこぼれ落ちたのだ。
その中の一つが、まるで明確な意志を持っているように、床を転がって足元までやってきた。
「……?」
何気なく、それを拾い上げた。
その瞬間――私の世界から色が消えた。
(……な、に、これ……っ!?)
指先に触れる冷たい感触。
私の目には、それがただの石には見えなかった。
ドロドロとした呪いが凝縮され、苦悶の表情を浮かべる「小さな骸骨」に見えたのだ。
「ひっ……!」
喉の奥が引き攣れ、全身の血の気が引いていく。
恐怖が限界を突破。私は絶叫に近い悲鳴を上げながら、全力でその石を放り投げ、足をバタバタさせ、その石にまとわりついていた禍々しいものを振り払おうとする。
「石ですよ、ノンちゃん。ただの魔石です」
ナツメ先生はひどく困惑した顔で、私が投げ捨てた魔石を拾いに行った。
(……信じられない。あんなに恐ろしいものを、どうして素手で触れるの!?)
恐怖は、それで終わりではなかった。
家に帰った後も、ふと気づくとあの石が足元に転がっているのだ。
そのたびに私は声を上げ、それを窓の外へ全力で投げた。
――それ以来。
毎朝、窓からあの不気味な石を投げ捨てるのが、日課になってしまった。
◇◇◇
その日の夜。
ナツメは持ち帰った魔石の選別作業に没頭していた。
一つひとつの魔力の質を確認し、仕分けていく。
静寂だけが魔術教室の二階を支配している――はずだった。
ふと、ナツメは手を止めた。
聞こえるはずのない声が、耳をかすめた気がした。
(……セノ?)
意識を研ぎ澄ませてみる。だが、何も聞こえない。
気のせいか、と再び手を動かす――
すると、しばらくしてから、また声が聞こえた気がした。
ナツメは手を止め、目を閉じて、周囲の気配を探る――
けれど、何も感じ取ることができない。
その時だった。
「ナツメ、言うの忘れてた。ひさしぶりにピーナッツかりんとう食べたい」
目の前の空間が揺らいだかと思うと、隠ぺい魔術を解いたセノが唐突に姿を現した。
眠そうな目をして、寝間着姿のセノが目の前に立っている。
「……っ、セノ!?」
心臓が跳ねるのを抑えながらセノを見やる。
どうやら、以前作ったお菓子がどうしても食べたくなって、夜な夜なやってきたのか……。
隠ぺい魔術をこうもあっさりと自分のものにするなんて……。
食欲という執念は、時として恐ろしいほどの練度を魔術に与えるらしい。
そんな勝手な納得をしながら、ナツメは小さく深呼吸をした。
「明日のお昼に作るよ。セノの魔法訓練が終わったくらいが食べごろだよ」
「ありがとうナツメ……明日楽しみにしてる……すごく楽しみにしてる……」
セノはかろうじて言葉になる程度のもごもごした返事をして、教室を出ようとする。
だが、扉付近でセノが突如振り返り、はっきりと言った。
「ナツメ、ここに住んでないよね?」
「……住、住んでないよ」
思わず声が上ずる。
夜のセノは、少しだけ大人に見えた。




