空き教室の声が漏れた理由
静まり返った教室に、ナツメとセノの二人だけ。
セノはナツメの表情を確認すると、その膝の上にするりと潜り込む。
作業に没頭するナツメの顔を時折見上げるが、ナツメの手が止まる気配はない。
そんな平穏を破ったのは、決死の覚悟で三階から一階に移動棒で転移してきたノンだった。
「あ、あの……」
「ああ、ノンさん。学長からご家族には連絡済みです。心配はいりませんよ」
ナツメが事務的に告げる。
だが、ノンにとっては「家族との縁を切られた」という宣告に等しかった。絶望が彼女の顔を覆う。
「ここは魔術教室です。ノンさん、あなたは魔術が何か知っていますか?」
「せ、誓約の魔術、なら……聞いたことが……」
「ええ、先ほど私があなたに施したものです」
ナツメの涼しい返答に、ノンの顔から血の気が引いた。
(何を誓約させられたの? 逆らったら命がないってこと……!?)
「セノ。いいかい、ノンちゃんには魔術を教えなくていいからね」
「……」
不思議そうな顔をするセノを横目に、ノンの脳内では更なる恐怖が加速していた。
(魔術教室なのに、私には教えない……。すぐ殺すから、教える必要がないってこと?)
◇◇◇
ナツメは困惑していた。
(それにしても、なぜ彼女はこの教室の存在を把握できたんだ……?)
それが解明されない限り、彼女を家に帰すわけにはいかない。
座っているノンの周りをナツメが考え事をしながら歩く。
「それでは実験に協力してもらいます」
歩くのを止めたナツメ。ノンに対して色々な実験を始める。
突然、ノンの視界が真っ暗になった。
「えっ……」
ナツメがノンの周囲に隠ぺい魔術を施しただけ、
しかし、ノンは腰を砕いて震え上がった。
「……落ち着いてください。次の音は聞こえますか?」
「き、聞こえます! はっきりと聞こえます!」
(役立たずと見なされた瞬間、始末されちゃう!)
ノンは必死にうなずき、聞こえてもいない音に反応してみせた。
必死に嘘をついて話を合わせるノンに対し、ナツメは不思議そうに眉を寄せた。
(何も聞こえないはずなのに……)
◇◇◇
学長はフェルディノン家でノンの両親らと話をしていた。
「いやぁ、お宅のノンちゃんが、ちょっとやらかしてしまいましてな。ほとぼりが冷めるまで、しばらくこちらで預かります」
学長の適当すぎる説明に、フェルディノン家の人たちは震撼した。
「あんな出来のいい子が、一体何を……!」
「それは事情があって詳しくは……」
家の中では、ノンの身に起きたあらぬ憶測が飛び交っていた。
そして、ノンの最悪の事態を想定してしまったノンの母が過呼吸になり、倒れてしまった。
◇◇◇
ナツメが念のためと、隠ぺい魔術の魔法陣を見ていた。
改めて術式を見たが、特に問題はない。
ただ、魔法陣を閉じた時に違和感を感じた。
(ん?)
もう一度、魔法陣を確認すると、右下の隅に小さい魔法陣がある……。
小さすぎて何の術式が描かれているか、肉眼では読み取れない。
拡大して見たところ、音の隠ぺいする術式だけが描かれていなかった。
おそらく、セノが一階の音が二階でも聞こえるように書き換えたのだろう。
だから、一階の音が周囲に聞こえたのだ。
これでノンに特別な能力があったわけではないことが判明した。
(つまり、ただの偶然……)
「帰っていいですよ」
ナツメから解放を告げられた瞬間、ノンは膝から崩れ落ちた。
無事にフェルディノン家へ帰り着いたノンは丸一日、眠り続けたという。
こうして不運な目撃者は無事に帰され、教室に再び平穏が訪れた。
だが、ナツメは一人、書き換えられた隠ぺい魔術の魔法陣を見つめていた。
「セノが書き換えた」という事実。
そして、それが自分の予想を上回る精度で部分的に成立していたこと。
(やはり、一度しっかり調べるべきか……)
ナツメは、膝の上に座るセノの後頭部を見つめ、思案するのだった。
なお、原因を作ったセノに対して、ナツメは叱らなかった。
ナツメにしてみれば、セノが魔法陣の改変をやってのけるとは、夢にも思わなかった。
セノは一階の音が聞こえるように工作したことなど、すっかり忘れ、ナツメの膝で丸まっている
しかし、ナツメは二度とセノが魔法陣を書き換えられないよう、その後頭部を見ながら考えていた。




