秋雨
あれから一年が経つが、楓は一向に帰る気配を見せなかった。
湊は何も言わず、むしろ自分が仕事に出ている間家事洗濯をしてくれる彼女の存在に頼るようになっていた。
その日、湊は外出していた。
楓はリビングの隅に座り、彼が出ていった扉をじっと見つめていた。
部屋の中には時計の音だけが響いている。
その音が、ひどく大きく聞こえた。
いつ帰るのか、どこへ行ったのか、聞いていない。
けれど、気づけば彼の靴音が聞こえない空間が、怖かった。
カーテンの隙間から見える灯りが、遠ざかっていく気がして、
楓は何度も立ち上がり、何度も座り直した。
「……もう、遅いのに」
独り言のように呟いても、当然返事はない。
壁にかけた時計の針が、ゆっくりと夜を刻んでいく。
時間が進むたびに、胸の奥の不安が形を変えて膨らんでいく。
雨の夜にここへ来た時よりも、
今の方がずっと、心細かった。
外には世界があって、ここには湊がいる。
その単純な構図が、壊れてしまいそうでたまらなかった。
――鍵の音がした。
楓は立ち上がり、靴音の数を数えた。
ひとつ、ふたつ。間違いない。
扉が開くと、冷たい潮風が流れ込んできた。
「……おかえり」
声が震えた。
湊は少し驚いたように彼女を見て、
「まだ起きてたのか」と呟いた。
楓は首を振った。
自然と涙が溢れ出て、慌ててそれを拭った。
「……もう帰ってこないかと思った」
湊の表情がわずかに歪んだ。
彼はゆっくりと近付いて、楓を抱きしめた。
その腕は静かに震えていて、
楓はその温もりの中で、自分の鼓動がどこにあるのか分からなくなった。
「勝手にいなくならないで……。一人にしないで」
窓の外では、波が絶え間なく打ち寄せていた。
その音が、二人の沈黙を覆い隠すように響いていた。




