涼雨
雨は夜のうちに止んでいた。
雲の切れ間から差し込む光が、床に淡く広がっている。
波の音が遠くでくぐもり、部屋の空気をゆっくりと押し流していた。
湊は、コーヒーの香りで目を覚ました。
台所に立った覚えはない。
振り向くと、凛がカップを両手で持ちながら、窓のそばに座っている。
彼女は床に落ちていたはずの湊の大きなTシャツを纏っていた。
「……勝手に、すみません」
少女が小さく言った。
湊は首を横に振る。
「コーヒー。好きなのか」
少女は数秒沈黙すると、顔を少し赤らめて答えた。
「昨日のコーヒー、美味しかったから。自分でも作ってみようと思って。でも、思ったより苦くなっちゃいました」
「インスタントだから、説明に書いてある通り入れればそれなりの物はできると思うが……」
湊は少女の前に座った。
窓越しに光が差して、二人の影が床で触れ合う。
そのわずかな接触に、理由もなく胸がざわつく。
「……そろそろ、帰るのか」
「うん。でも……少しだけ、ここにいてもいい?
制服濡れてるし、このままじゃ帰れないです」
湊は答えなかった。
ただ、机の上のマグカップを指先で回した。
カップの底が鳴る小さな音が、妙に長く部屋に響く。
凛はその音をじっと見つめていた。
「……名前。教えてください」
「湊。高坂湊」
「湊さん。いい名前ですね。
私は楓。坂町楓です」
楓は名乗った後、視線を窓越しに外へと向ける。
「ここ。いい街ですね。海の匂いがして、私好きです」
「……寂れた港町だ」
吐き捨てるように言うと、湊はタバコを取り出し火を付けた。
「俺は仕事に行くから、服が乾いたらもう帰るんだ。鍵はそのままでいいから、後」
湊は冷蔵庫を空けて、作り置きの白米と味噌汁を取り出した。
「これ。レンジで温めて食べてくれ」
「……ありがとうございます。湊さん、優しいですね」
楓は白米と味噌汁をレンジに入れて、スイッチを押す。
その背を見やりながら、湊は玄関の扉を開けて家を後にした。




