目覚め2
私の覚悟とは裏腹に、レスリーは気安い感じでさらりと返した。
「あぁ、クロエ嬢はずっと王城に軟禁されていたんだけど、今は実家に戻っているよ」
「え? それって大丈夫なの!?」
クロエは実家と折り合いが悪く、ハーラン殿下との婚約を破棄されたことを責められ修道院に入れられたと聞いている。クロエに悪いところなど何一つないのに、そんな彼女を罰した実家のヨーク家が落ち着ける場所だとは思えなかい。
ところがレスリーはそんな私を見て朗らかに笑った。
「あぁ、それは大丈夫。実はクロエの兄君であるエルハルトとは約束を交わしていてね」
「約束?」
「あぁ。クロエ嬢はハーランの元婚約者だろう? 彼女自身に瑕疵がないことは瞭然だけど、同じ相手とはいえ二度も婚約がなかったことにされてしまえば、公女とはいえ今後の良縁はなかなか望めなくなる。私が復権した暁には、王太子の権限でもってその懸念を解消するのに尽力すると約束して、ヨーク家の協力を取り付けたんだ」
つまり、クロエのせいではないにしても、二度も婚約が流れた彼女は結婚できないかもしれないから、彼女の結婚のためにレスリーが協力することになった、ということか。
ということは———。
「……そっか。クロエと、婚約するんだ」
「え?」
「うん、お似合いだよね、実は前々から思ってたんだ。二人が並ぶとまるで太陽と月が輝いてるみたいだなって。年も近いし、レスリーは最近背も伸びてきたから、クロエのこと追い越しそうだし……あ、でも、身長ってそんなに大事だとは思わないよ? 男の人の方が低くても問題ないと思う。大事なのは当人同士の気持ちだし……」
「待って! ヒマリ、誰のことを言ってるの!?」
「誰って、クロエと……レスリーのことだよ」
笑って祝福しようと決めていた。なのに、レスリーの名前を口にした途端、目の奥から込み上げてくるものがあった。ダメだ、こんなところで泣くわけにはいかない。親友と思った人と大好きな人が結婚するんだ。これ以上素晴らしいことなんてないのだから。
お茶のカップを持ったまま固まるレスリーに、私は必死に笑いかけた。
「おめでとう! 二人の結婚式には呼んで欲しいな。あ、でも王太子と王太子妃の式なら国の行事みたいなものだよね。そんな場所に私なんかいていいわけ……」
「だから待って! なんでヒマリは私とクロエ嬢が結婚するって思ってるの!?」
「え、だって……クロエのことが好きなんでしょう?」
「は?」
「二人は私が修道院にいるときに出会って、思い合っていたって」
新聞に書いてあった記事の内容を伝えれば、レスリーは持っていたカップを落とした。
「ちょっ! レスリー大丈夫!? お茶が……どうしよう、絨毯がシミになっちゃう。誰か呼んで……」
「絨毯なんかどうでもいい! 私がクロエ嬢を好き? そんなことありえないだろう!? だって私はヒマリのことが好きなんだからっ!」
「はい……?」
落ちたカップを拾い上げた状態のまま、思わず固まってしまった。
「……えっと、私のことが、好き? え、レスリーが?」
しばしの沈黙の後におずおずとそう問えば、レスリーが「あああああああああ!!」と叫びながら頭を掻きむしった。
「違う違う違う! いや、違わないんだけど! こんな、お茶をこぼした状態で告白する予定じゃなかったんだ! もっとこう……ロマンティックな場面で、二人きりになって、いや、今も二人きりではあるけどっ。でもそこにルドヴィックたちいるし! とにかくもっと雰囲気を作ってからじゃないとうまくいきっこないから……いやそれでうまくいく保証もないんだけど! でもちょっとは好感度があがるかもって思って!」
この国のしきたりでは、未婚の男女は同じ空間に二人きりでいることが許されない。すぐ近くにはいないにしても、半開きの扉の向こうでは常に人の気配がある。
扉の様子を確認して、再びレスリーに視線を戻せば、頭を抱えた彼が何やらぶつぶつ唱えていた。先ほど彼が口走った台詞を思い出しながら、ひとつずつ消化する。
「あの、レスリー、つかぬことを伺うんだけど……」
私の呼びかけに頭を抱えたままの彼がびくりとした。
「レスリーは……クロエのことが好き、なのよね?」
「それはない! いや、人としては尊敬しているけど、恋愛の好きじゃない!」
がばりと顔を上げた彼の耳が真っ赤に染まっていた。昔乗馬に誘われたときに見た横顔を思い出す。あのとき、突然ミアが私に理想の男性像について質問してきて、誘導尋問にかかったかのようにつらつらと答えてしまったのだけれど、それを聞いていたレスリーの耳が赤くなっていたのだ。
「それじゃあ……」
レスリーは誰が好きなの?と問いかけようとして一旦口を噤んだ。確信はもうあって、だけどせっかくなら彼から答えを聞きたいなと思ったのだけど。
それよりももっといいアイデアが浮かんでしまった。
「私はレスリーのことが好きだよ」
「え!?」
「尊敬の好きもあるけど、その、恋愛の好きってことで」
初めて彼を好きだと気付いたのは、魔塔で離れ離れになってしまったときだ。気付いてももう手遅れで、そのまま彼と会えなくなってしまった。二度と会えないかもしれない、会えたとしてもその名前を呼ぶことはもう許されないかもしれないと思うと、悔やんでも悔やみきれなかった。
あのとき、気持ちを封印するために蓋をしてしまったことを後悔している。
その後悔を繰り返さないためにも、私から伝えようと思った。
「私はレスリーのことが好き」
気の利いた言葉が出てこず、同じ告白を繰り返すくらいには私も緊張していた。それでも、新聞や人の言葉に惑わされないよう、自分から伝えられたことに満足していた。
「ほん、とに……?」
「本当だよ。レスリーの気持ちが私になくても、私がレスリーを好きだから」
「そんなことない! 私の気持ちはずっと前からヒマリのものだ! 初めて会ったときからかわいいなって思ってた。名前を呼ばれただけで涙する、その健気な姿に惹かれた。私の走る横で、同じスピードで走り抜けてくれるあなたがかっこいいと思った。辛い過去を乗り越えて、自分の力で太陽に手を伸ばすあなたの横顔に憧れた。私のために……私たちのために力尽きるまで戦ってくれたことに感謝した……」
気づけばレスリーの目が真剣な色を取り戻していた。幼さの抜けた表情に詰め寄られ、私の心臓がとくりと音を立てる。
「ヒマリ、私はもう、あなたのいない人生ではダメなんだ。あなたがいてくれるから、生きていける」
「レスリー……」
「あなたのことが好きだ。どうか私とともにいてほしい、ヒマリ」
自分から告白できたことに十分満足していた。それでも、大好きな人から貰う告白はこの上なく嬉しかった。
「レスリー。私、この世界に召喚されてよかった。あなたに会えてすごく嬉しい」
「ヒマリ……私もだよ」
どちらからともなく伸ばした手をつなぐ。前よりも分厚く大きくなったレスリーの手。私たちの始まりは親友としての関わりだった。今は恋人としてつながっている。
そのまま身体を引き寄せられて、レスリーの体温を直に感じた。女の子だったレスリーには何度か抱きしめられた。痩せ細っているのに力は強いんだなとあさって方向の感想を抱いていた。私を庇ってくれたときの力をなくした重さに、背筋が凍るほど恐怖した。
すべてレスリーがくれたもの。女の子でも男の子でも、それがレスリーだから、私は安心していられた。
そのまま抱き合ってお互いの心臓の音を聞いていれば、不意に彼が身じろぎした。
「ヒマリ、その、あなたに謝らなければならないことがあるんだ」
決まり悪そうに告げる彼を見上げれば、そのまま私の耳元に唇を寄せた。
「実はあなたが意識を失っている間に、ヒマリを目覚めさせる方法だと言われて……」
耳打ちされた真事実に、今度は私が耳の先どころか指の先まで真っ赤になったのは内緒の話だ。




