戦い
「聖女様、本日の面会希望者のリストをお持ちしました。それから聖女様への贈り物もたくさん届いておりますが……」
「ありがとうございます、マルグリットさん。いつもの通り、面会希望の方々には丁重にお断りをお願いします。贈り物も礼状を添えて送り返してください。あぁ、礼状のストックがなくなってたんですよね。これ、追加で書いた分です。どうぞ」
「……ありがとうございます」
マルグリットに手書きの便箋の束を差し出しつつ、彼女が抱えるリストは受け取らない。ニコリと微笑んでその意思を示せば、マルグリットは諦めたように便箋を受け取った。
「承知いたしました。頂きました礼状は皆様方の贈り物に添えて返送しておきます。本日のご予定ですが、午前中に魔法騎士との訓練、昼食休憩の後に魔塔の魔力結界の強化訓練、その後アウリクス大魔道士様との面会となっています」
「わかりました。訓練の時間になったらまた呼んでいただけますか?」
「もちろんでございます」
そうしてお茶の準備を整え、マルグリットは部屋を出ていった。すでに列を為している面会希望者に断りを入れにいくのだろう。あるいは山のように届く贈り物という名の賄賂を送り返す作業を指示するか。一魔道士である彼女に余計な手間を増やしてしまって申し訳ないと思う。
私が魔塔に戻った翌日には、大勢の面会希望者が魔塔を訪れた。時期外れの召喚とはいえ聖女は聖女だ。一目会いたい、つながりたいと希望する貴族は思っていた以上に多かった。その希望を私はすべて断った。
「聖王国のトップであられる国王陛下と、魔塔トップのアウリクス大魔道士様以外の方との個人的な面会はしません」
そう言い放って面会希望のリストを差し戻したら、そこで一悶着あった。役職付きのちょっと偉い魔道士たちが代わる代わるやってきては、私を諌めようとしたのだ。
「聖女の立場は王族と同等と聞いています。フェリクス、私はこの方の命令に従わなければならないのかしら」
「いいえ、この魔塔で聖女様に意見できる者がいるとすれば、それはアウリクス大魔道士様のみということになります。すべて聖女様のお心のままに」
フェリクスが傍でそう返答すれば、さすがのお偉い魔道士たちも強くは言えない。魔塔のナンバー2が私を擁護したのだ、それを押し切れる者などいない。
私にすげなく断られた魔道士たちは、次にアウリクス大魔道士を頼った。大魔道士を敵に回すのは得策でないとわかっていたので、こちらの返答には頭を使った。
「アウリクス大魔道士様の命とあれば従いましょう。ですが、私はまだ国王陛下に謁見叶っておりません。そのような身で他の貴族たちと先に面会すれば、陛下への失礼に当たります。すでに聖力は安定し、陛下にご挨拶申し上げる状態にまで整いました。まずは大魔道士様のご紹介で陛下にご挨拶申し上げたいと思います」
正直、大魔道士様はそれほど好きな存在でも頼れる存在でもないが、防波堤としては最強だ。加えて「私は魔塔により召喚され、魔塔に保護された者です。恩をお返しするなら王家よりもまずは魔塔へと心得ております。アウリクス大魔道士様のおかげで聖女として立つことができている手前、下手に貴族とつながりを持って魔塔を蔑ろにはしたくないのです」と愁傷に恭順の礼をとれば、かの大魔道士様は私の極端な面会拒否にも肯定的になってくれた。皆が敬う聖女が自分に従う姿は、顕示欲の強い彼には心地よいものであったのだろう。
すべてフェリクスと相談して決めたことだったが、アダム先生の助言があったことが大きい。
(聖女として何もしないこと。それが私がレスリーに対してできる最大の助力)
どの貴族とも力のある魔道士とも結託せず、中立を保つ。レスリーが身分を回復し、王太子候補として名乗りをあげるまで、私は誰ともつながってはいけない。だから魔塔での役割を果たす以外は部屋に篭ったままだ。自ら鳥籠に逃げ込んでいると言ってもいい。
だがこの籠は檻ではない。私とレスリーを守る盾だ。
面会を断り、贈り物を退け、聖女の役割を全うする。そうして時期を待つのだ。最初に動くのは誰か。マテラ王妃か、ハーラン王太子か、別の誰かか———。
窓辺に近づいてアセドア家がある方向を見つめる。セリーナ様はあそこにいらっしゃるだろう。レスリーは今日も王城に来ているのだろうか。
私の静かなる戦いの先で、レスリーもまた戦っている。
セリーナ様の婚姻無効の訴状と側妃の申し入れ、それにレスリーの性別が明らかになったことで、社交界と王城は蜂の巣をつついたような大騒ぎだと聞いている。大勢の耳目が時期外れの聖女よりもそちらに向いているからこそ、私の我儘のような行動が見逃されているとも言える。
レスリーは貴族院に日参し、セリーナ様の訴状の受け入れ手続きの進み具合を確認しているそうだ。「確認という名目でプレッシャーをかけつつ、自分という存在をアピールされているのでしょう」というのはフェリクスの言だ。騎士を模した格好で堂々と姿を人目に晒せば、面白がる社交界の魑魅魍魎が次々と彼に接触してくる。その魑魅魍魎の中から真に自分に与してくれる者を引き当て、そうでない者もせめて敵には回らぬよう、うまく立ち回る必要がある。ブレインであるアダム先生はレスリーに同行できる立場になく、セリーナ様も御身の安全からご実家から出られない。護衛を連れているとはいえ、矢面に立つのはレスリーひとりだ。
そんな彼に比べたら、私が置かれている立場はまだ楽な方だ。フェリクスという味方がいるし、今のところは命が脅かされる状況でもない。腹を立てている魔道士はいるだろうが、直接私にぶつけてくるような人もいない。
それがレスリーのためになるなら、偉そうな態度で皆を突き放すのも、権力者に媚びへつらうのも、いくらだってやってやるという心持ちだった。大切な人が守れるなら、私の名声が地に落ちるくらいどうってことない。
そう心を強く持とうと努力する。それでもふと、時折心に影が差すことがある。
(私にもっと力があったら。たとえば———クロエみたいに)
彼女のような身分ある淑女だったら、レスリーの隣に並び立って一緒に戦えたのだろうか。すぐ隣の王城のどこかにいるであろう、大切な友人のことを強く思う。何もしないと決意した手前、クロエにすら連絡をとっていない。手紙くらいならと思わないでもなかったが、中身が検閲されるとフェリクスに諭され諦めた。中途半端につながりを求めるくらいなら、何もしない方が間違いがない。
きっとクロエもまた、私に手紙を出そうなどと思わないだろう。彼女はとても賢く、貴族の義務に忠実な人だ。
彼女のすらりとした立ち姿と銀の髪を思い出せば、対照的な色彩のレスリーが女の子だった頃の姿も蘇ってきた。ほんの数ヶ月前まで、私たちは誰憚ることなく仲良く過ごしていられた。私もクロエもレスリーも、その本質は変わっていないはずなのに、今はいろんな意味でバラバラになってしまった。あの穏やかな陽だまりのような日常は、もう戻ってはこないのだろうか。
つんと込み上げてくる思いに目をきつく閉じれば、部屋の扉がノックされた。
「失礼いたします。聖女様、魔法騎士との訓練のお時間です」
マルグリットに予定を告げられ、私はひとり小さく頷いた。




