記憶
2025年4月27日に一章二章を統合させる改稿を行いました。この回は旧作品の複数話を統合して一話分にしています。
———カンカンカンカン。
遠くから聞こえるのは踏切の音。聞き慣れたアナウンスがわんわんと響く。
『間もなく電車がまいります、白線の内側でお待ちください。次の電車は———』
礼儀正しく電車を待つ人の先頭に立った私は、白線を踏み締め、ふと顔をあげる。
その先へと続く、灰色の空間。
ニゲラレナイ……ホントニ?
ホラ、マダ、ニゲルサキガアルジャナイ。
アソコマデイケバ、アイツハ オッテコナイ。
エイエンニ ニゲラレル———。
そうして轟音がすぐ上を通り過ぎていく———。
「……女様! 聖女様!」
「あ……」
カタカタと揺れる振動に、はっと我に返った。肩に手をかけてくれたエラ先生を振り向く。
「聖女様、ご気分がお悪いのですか?」
「ううん、大丈夫です。エラ先生」
「突然俯かれたので驚きました。もしや馬車に酔われたのでは」
「いいえ、今のところ大丈夫です。でも、馬車って結構揺れるんですね。初めて知りました」
「申し訳ありません。あと半刻ほどの辛抱ですので……。お辛ければ休憩をとらせます」
「いえ、そういうつもりではなかったんです。休憩はもういりません」
実際、休憩をとるのは大変な話だった。まだ制御できない聖力のせいで、馬車の外に出ることすら簡単ではないのだ。それに私が長時間かけて移動するために、大勢の強い魔力持ちの魔道士たちが付き従って、聖力が外に漏れないよう、魔力による結界を張ってくれていた。動く人間に結界を張るのは、結界も一緒に動いていかなければならないため、かなりの技術が必要だと聞いている。
そんな器用さと魔力量を持ち合わせている者は、魔塔にも数えるほどしかいない。その貴重な魔道士たちを総動員して、私は今移動していた。
向かっているのは魔塔から馬車で半日ほどのところにある女子修道院。私の身柄は今日からそこに移されることになっていた。
「今から向かうフィラデルフィア女子修道院は、聖王国で最も古い、由緒ある修道院です。フィラデルフィアは王家の直轄地。そのため出家の道を選ばれた王族女性が在籍されたという歴史も持ちます。そのことへの敬意を評して、王家といえども不可侵の領域。きっと安心してお過ごしいただけます」
私ひとりではなく、主治医としてエラ先生も同行していた。魔塔で私の世話をしてくれていたマルグリットは、魔道士という立場から職場を離れることができず、お別れとなった。
「申し訳ありません! 私は聖女様を何一つお守りすることもできず……」
泣き崩れるマルグリットに「大丈夫ですよ」と何度も声をかけたが、最後まで苦い別れとなってしまった。状況が落ち着けばまた会えるときがくるとエラ先生が励ましてくれたが、本当にそんな日が来るのだろうかと、途方にくれる。
聖力は、変わらず制御できないままだった。あの日以来、怪我のために病床にあるというハーラン王太子は、二度と制御を手伝ってはくれないだろう。
あの日、ハーラン王太子に襲われた瞬間。私は聖力を暴走させた。それは魔力による結界が張られているはずの魔塔で、部屋が半壊してしまうほどに巨大な力だった。
聖力で吹き飛ばされたハーラン王太子は壁に叩きつけられ、肋骨と腰骨を折ったそうだ。幸い命に別状はなく意識もはっきりしているが、未だベッドの住人らしい。あの性格だ、さぞかし恨み節で喚いていることだろう。
力を暴走させたことで私もまた意識を失ってしまい、直後のことは記憶にない。暴走した聖力は、マルグリットが機転を効かせて呼びに行ったフェリクスが駆けつけて、魔力をぶつけることで相殺させたそうだ。ただしその魔力までもが相俟って、部屋はますますひどい惨状となった。
目を覚ました私を介抱してくれたのはエラ先生だ。ゲント先生も一度顔を見せたが、すぐに退室した。
私が、ゲント先生のことを受け付けられなくなってしまったからだった。
人のいいおじいちゃんという感じで、フェリクスに向けるやや厳しい目とは違い、心細い思いをしている自分のことを気遣ってくれるいい先生だった。けれど私の心は医師である彼のことすらも拒絶するほど、男性という存在を恐れるようになってしまった。
ゲント先生なら大丈夫なはずと、何度か面会を試みようとしたが、気持ちとは裏腹に身体が拒絶して震えてしまう。医師である彼は私が抱える心の闇を深く理解してくれ、以後は手紙か、エラ先生への言付けという形での交流を提案してくれた。
自分がやらかしたことは、かなりの大事件になったはずだ。王家の、それも王太子を傷つけてしまったのだから。
だがエラ先生もマルグリットも、その後の情報を一切教えてくれなかった。「大丈夫です、聖女様は安心してお過ごしください」と、それを繰り返すのみだ。私も途中から敢えて聞くことをやめた。
もう心が、ここでも苦しいと、すべてを拒絶していた。
魔塔から出て女子修道院に引っ越す案は、マルグリットからもたらされた。
魔塔に魔力による結界が張られているように、修道院には神力による結界があり、その内部にいれば聖力も暴走することはないのだと言う。魔塔でも暴走させてしまったため絶対ではないが、男性魔道士もたくさんおり、かつ王城と隣り合わせの魔塔にいるよりは、物理的な距離もある女子修道院の方が心穏やかに暮らせるのではないかという配慮でもあった。
「フィラデルフィア女子修道院は王家ともゆかりがある関係で、女性騎士たちが派遣され警護に当たっているなど、安全面にも配慮がされた修道院です。王都からも半日程度と近いため、何かあったときも魔塔との連絡がしやすいという利便性もあります。広い敷地は手入れも行き届いていて、散策できる庭や街路樹もあるそうです。高台に立っていることから風景も素晴らしいそうですよ。特に夕方の時間帯には、王家の離宮である“白鳥の館”の陰影が息を呑むほどに美しいのだとか」
「離宮、ですか?」
「はい。トール国王陛下の愛妾でいらっしゃいますベローチェ男爵夫人がお住まいのお屋敷です。それほど大きくはない館ですが、その佇まいが美しいと、もっぱら評判です。冬になると館に隣接する湖に白鳥が飛来することからその名がついたと聞いています。吟遊詩人が唄に残すほど有名な光景ですよ」
マルグリットの説明を聞いても、特に心躍ることはなかったが、ずっと沈んだままでは彼女がますます恐縮してしまう。
「そうですか、それは、いいかもしれないですね」
ぼんやりとそう返せば、自分の返事は是と受け取られたようだった。
「そう言っていただけて嬉しいです。ではさっそく手配をいたしますね」
そして翌週には引越しが決定した。