発覚(sideレスリー)
使節団の代表であるカーサ第三師団長は、近衛隊の中での王妃派の筆頭だ。実家が侯爵家で、母の実家であるアセドア家とは因縁があった家と聞いている。
騎士としての実力も政治家としての実力もない、権力好きの男だ。だが腐っても王旗を持った使者であるため、その威を振りかざしてくるものと思っていた。アセドア家に連なる、一介の男爵令嬢など歯牙にも掛けない扱いで追い返されるだろうと。フェリクスは魔塔での副魔道士の肩書きがあるが、近衛と魔塔はそれほどつながりはないし、本人は伯爵家の出身。こちらもあまり抑止力になりそうにない。
攻略法も思いつかないまま会いにいったカーサ師団長だったが、こちらの予想と違った対応をされかなり面食らった。一言で言えば暖簾に腕押しという感じだ。明らかにこちらを小馬鹿にしているのに挨拶や会話が拒否されることはない。むしろ丁寧と感じるほど。
最も気掛かりだった王旗の存在。国王陛下の勅命でなければ出されることはない旗だ。父が聖王国の法を破ってまでクロエ嬢に還俗を求めることなどありえない。形だけはそこそこ整った挨拶を繰り広げていたカーサ師団長だったが、王旗に関する話題には眼光を深めた。
「この私が、国王陛下のご意志のない王旗を掲げてここまできたとおっしゃりたいのか。いくら国王陛下のご息女様といえど、その発言、私への侮辱と受け取りますぞ」
「……いえ、そのような意図はございません。ご存知の通り、わたくしは聖女様の聖力の制御のお手伝いのために修道院に通っております。クロエ様は聖女様の側仕えも兼任している修道女ですから、何度も顔を合わせておりました。そんな彼女の意に染まないことがなされているのではと、心配になったのです。それに、歴史ある女子修道院に近衛隊が押し入るところなど見たくはありません。こちらにいる修道女たちは、世俗から離れて、日々お勤めをされている方々です」
「いやはや、ベローチェ男爵令嬢はご友人思いでいらっしゃいますな。だが、あなた方の友情と王命は、天秤にかけるまでもありません。うら若きご令嬢にはよくわからぬやもしれませぬがね。とはいえ、我々も歴史ある修道院の修道女の皆様に無体を働きたくはありません。ヨーク公爵令嬢と院長が、この勅命を深く受け取り、自ら王城へお戻りいただけるよう、言葉を尽くしているところですよ。ときにベローチェ男爵令嬢、ヨーク公爵令嬢とはどのような交流がおありだったのですか?」
そうやって意図をはぐらかされ、本題に戻そうとしてもまた別の話にすり替えられる。私のことを事情も知らぬ小娘と侮っていることがありありとわかるのに、クロエ嬢やヒマリのこと、母のことなども質問してくる。間に挟む彼の感想めいた返事はとにかく冗長で、いたずらに時間ばかりが過ぎていく。
「近衛兵たちの殺気も特には感じません。師団長の言の通り、武力で押し入るという感じはなさそうです」
師団長が所用で席を外した隙に、フェリクスが耳打ちしてきた。修道院の方はカミーラ院長が規律を盾に応対していたようだが、確かにトラブルに発展している様子はない。
「それはいいんだが、何かこう、座りが悪いというか……。私のことを明らかに馬鹿にしているのに会話にはのってくるのがなんとも気持ち悪いな」
太陽が稜線の先に沈むのを見つめながら、師団長との会話を思い出す。これといって実のない、実にくだらない時間が流れすぎていた。このまま日が暮れれば、彼らは野営に入る可能性もある。屋敷に戻るには時間がかかりそうだ。
「伝令を飛ばしておこう。帰りが遅いのを心配されているかもしれない」
「一度お帰りになられては? 一応ご令嬢であるレスリー様が暗くなっても留まるとなれば、怪しまれる可能性もあります」
「それはもう少し見てから考えるよ」
そう会話している間に、太陽はすっかり見えなくなった。暗闇が少しずつ侵食し始め、野営の準備が始まった。
(王命を盾にクロエ嬢を攫っていくのではという我々の読みは外れたか……)
そう結論づけようとしたとき、白鳥の館に光源が打ち上がった。
光源の魔法陣は、念の為の方法として仕込んでおいたものだ。製作者はフェリクスだ。
魔法陣は魔力を持った者にしか動かせないが、実は魔力持ちというのは意外といる。ただ、魔力はあっても量が乏しかったり、使いこなせるだけの技量がなかったりする場合がほとんどで、概ね忘れられている。魔法といっても生活を便利にしてくれるものではなく対魔物の用途しかないため、魔道士の適正でもない限り積極的に極めようとする者もいない。
白鳥の館の騎士たちの中にもわずかながらに魔力を有する者たちがいた。その者に光源の魔法陣の動かし方を訓練したのは、慌ただしくなる屋敷の警備の増強のためだ。
夜の帷が完全に降り切った中、その光源が火花のように空を照らすのを見て、私たちは異変を悟った。
急ぎ騎乗し舞い戻った屋敷の外に、倒れる騎士たちの姿があった。足を怪我させられた騎士が痛みに堪えながら我々に向かって叫んだ。
「何者かが侵入しました! 確認しただけで二名。あれは騎士の類ではありません、訓練された専門の影です!」
その報告に、私は急ぎヒマリの部屋を目指した。すぐ後ろからフェリクスが追いかけてくる。
「レスリー様! なりません!」
私を制する声も聞かず屋敷に飛び込めば、いつもは燭台で明るいはずの家の中が薄暗かった。その暗闇を縫って飛んでくる白刃に気付き、咄嗟に飛び退いた。壁に突き刺さった暗器の類を確認するより早く、フェリクスが私の前に回った。
「フェリクス! 二階だ! 何か飛ばしてくるぞ!」
彼は瞬く間に階段を駆け上がり二階へ辿り着いた。その後ろを私もついていく。踊り場の隅に騎士ではない者の気配があった。フェリクスが抜いた剣を向ければ、影が動き出す。
「フェリクス、そっちは任せた!」
ヒマリの元へ。ただそれだけを考え廊下を走り抜ける。彼女の部屋の前で見張りの騎士が崩れ落ちているのを見て、何かを考える間もなく薄く開いた扉を蹴破った。
「ヒマリ!」
変声期の掠れのせいで大声が出せない。けれど走り続ける中で順応した視覚は、ヒマリを襲おうとする影を捉えた。とっくに抜刀していた剣を手に影へと飛び込むが、なんなく跳ねられる。敵の得物は短剣だ。こちらの方が長い分有利なはずなのに、慣れない暗闇とヒマリに何かあったらという焦りで本来の力が出せない。いや、それは言い訳だった。長剣だから、短剣だからという次元の話ではない実力差をすでに察していた。相手は訓練された手だれで、実力主義のこの屋敷の騎士たちが戦闘不能にされるほどだ。ここ数ヶ月で剣を握り直した私が叶うレベルでないことは、数度の交じり合いでわかってしまった。
叶わない———だが、私には守らねばならないものがある。剣が無理なら己の身をもってしても。
跳ね除けたと思った敵の刃が、利き手を掠める。
「う……っ!」
「レスリー!?」
溢れた呻き声を聞きつけたヒマリが悲壮な声をあげる。彼女はまだ無事だ。あと少し持ち堪えればきっと増援が来る。本能で構え直した剣だったが、次の瞬間呆気なく弾かれた。怪我のせいか痺れてきた腕から、父から託された剣が飛んでいく。
(あ……っ)
影の動きがスローモーションのように見えたのも束の間、私は姿勢を翻して脇を敵に晒していた。私の下でヒマリの小さな身体が硬くなる。
「ヒマ……リ」
紡いだ大切な人の名は、けれど掠れた喉の奥に消えていく。
何度も呼びたいと思った名前。まっすぐに力強く、置かれた場所で咲こうとした彼女の名前。
けれど自分は今、その名を口にすることができない。
「レスリー様、ヒマリ様!」
鋭い痛みの向こうで、慣れ親しんだ声と剣戟が聞こえ、安堵した。私にはヒマリを守れるだけの技量がないが、彼ならそれができる。
「フェリクスさん、レスリーが、レスリーが!」
泣き叫ぶヒマリの声を聞きながら、あぁ彼女の命は無事だったかとまたひとつ安堵する。どこも怪我をしていないといい。さんざん傷つけられる人生を歩んできた彼女だ。これから先はいつだって守られる場所にいてほしい―――。
慌ただしくなっていく部屋の気配に、賊は逃げたのだろうと察した。ひとつずつ重ねていた安堵感がここにきて一気に押し寄せて、緊張が抜けるのと同時に強烈な痛みと痺れに襲われた。
そんな中でも、大切な人の呼びかけだけはちゃんと拾えた。
「レスリー! ねぇ、レスリー!」
「……ヒマ、リ、だい……じょ、ぶ?」
「私は大丈夫だよ、レスリーが守ってくれたから!」
「良かっ……」
最後の言葉は、苦しくなった肺のせいで言い切ることができなかった。彼女の涙に濡れた瞳を見続けていたかったのに、目を開けることさえ億劫だ。
「止血をしなければなりません。おそらく脇をやられています、腕も。何か血を止めるものがあれば……」
身体から衣服が剥ぎ取られるのに前後してフェリクスの声がした。あぁ、賊に斬られたからこんなに痛く熱いのかと、妙に納得する。抵抗する元気はなくされるがままになる中で、首が落ちかけた瞬間にうっすらと目を開ければ、掛布を抱えたまま固まったようにこちらを凝視するヒマリの姿があった。黒髪に黒い瞳が暗闇の中でも鮮やかに浮かんで見える。
あぁやっぱりかわいいなと、呑気な感想を抱きながら、彼女と目が合わないことに違和感を感じた。
(視線が……違う、どこを見ているんだ?)
痺れのせいで自由が効かない身体をフェリクスが抱えて、何かの処置をしてくれているのはわかった。傾いだ首が自分の胸元に向いた瞬間、はだけた己の上半身を目の当たりにして、ヒマリの視線の理由に思い至った。
(私が男だと、知られてしまったか……)
いずれ伝えなければならないことだとわかっていた。隠し通せるものでもないとわかっていながら先延ばしにしてきたバチが当たったのかもしれない。
己の行動を嘆く間もなく、私の意識は遠のいていった。
 




