乗馬2
2025年4月27日に一章二章統合させる改稿を行いました。旧作品を途中まで読まれていた方へ、恐れ入りますが一章「出会い」の回から読み直していただけたらと思います。それで展開についていけます。
初めての乗馬は、いつもと違う目線で周囲を見渡すことができてとても新鮮だった。季節が変わって初夏の今、足元にはアネモネの花はなく、青々とした草原が広がっている。辺りに人の気配はなく、事前に人払いがされているであろうことが想像できた。そのことをとてもありがたいと感じる。
「ヒマリ、行こう! わたくしだって乗馬は得意なのよ」
「レスリー様の腕はなかなかのものです。今回ヒマリ様をお乗せできなかったのは、身長が不足していたからというだけですので」
「ミアは余計なこと言い過ぎ!」
言いながらレスリーが足で馬の横腹を蹴った。駆け出していく白馬を、私を乗せた馬が追いかけていく。
「ヒマリ様、行きますよ!」
「はい!」
ミアの声に返事しながら、緩やかに下る丘陵地の中をのんびり駆け抜けた。
そのまま草原を走り降りた私たちは、離宮の近くまでやってきた。遠くから見れば小さく見えたお屋敷も、近くで見ればやはり広い邸宅だ。ヨーロッパの写真集に出てきそうな瀟洒なシルエットのカントリーハウスがおうちだなんて、レスリーの身分の高さを改めて感じる。
「今日はまだ案内できないけれど、次はお屋敷の中に招待するわね」
休憩がてら一度馬から下りた私にレスリーが手巾を渡してくれる。ミアに身体を預けていただけなのに、かなり汗をかいていることに気づいた。
振り返れば、丘陵地の上に雑木林に囲まれた修道院が見える。道の中ほどでクロエと騎士が歩みを止めてこちらを見ているようだった。王家の離宮近くまで降りるのを遠慮しているのであろうクロエに大きく手を振ると、彼女も小さく返してくれた。
「ヒマリ、もう大丈夫そうだね」
「……うん」
レスリーが言っているのは私の聖力のことだとわかった。身体を密着させていたミアや2頭の馬たちに危害を加えることなく、レスリーの手を借りないままここまで来られた。私の聖力はかなり制御できていると言えるだろう。
それを心から望んでいたはずなのに、その先を考えられるようになった今、別の思いに駆られる自分がいる。
「私、魔塔に帰ることになるのかな」
私が修道院に来たのは、制御できない聖力を抱えたまま静養できる場所がここしかなかったからだ。聖力は安定し、体力や気力も回復した今、私がここにいるべき理由はもうない。
「ヒマリはどうしたい?」
不意にレスリーが口を開いた。
「魔塔に帰りたい? それとも……王宮に迎え入れられたいとか?」
「まさか! 魔塔はともかく、王宮なんて絶対嫌よ」
王宮にはハーラン王太子や、話にしか聞いていない王妃がいる。あの人たちの側にいたいかと言われれば答えはノーだ。
「魔塔にもすごく帰りたいわけじゃないけど、でも、私はそうしなきゃいけないんだよね。聖力を使って、結界を安定させるのが私の仕事なんでしょう?」
そのために召喚されたと、フェリクスやアウリクス大魔道士は言っていた。時期外れの召喚だったとしても、それで義務がなくなるわけではないだろう。召喚されたから仕事をするというより、何もせずここにいることは許されないんだろうなという義務感や、何もしないことへの罪悪感のようなものも当然ある。
さわり、と風が流れたかと思うと、レスリーが眼鏡の奥の紫紺の瞳を瞬かせた。
「ヒマリはもう自由なんだよ」
「え?」
「だってそうでしょう? 聖力を制御できるようになったんだから。この先どこにだって行けるし、なんだってできる」
「でも、それじゃ私の仕事が……」
ただでさえ穀潰しの聖女だったのだ。聖力の制御が至上命題で、それを成し遂げた今、仕事を放棄してしまえば、ここにいる意味がなくなってしまう。そんな聖女の面倒を見てくれる人だっていないだろう。ひとりで生きていけるほどこの世界に馴染んでいるわけでもないのに。
焦りに似た私の疑問を、レスリーは柔らかな微笑みで包んだ。
「そもそも聖女様が心穏やかに暮らせるよう、最善を尽くすのがこの国の人々の義務なのよ。こちらの都合で召喚してしまったあなたのことを、私たちはとても大切に思っている。あなたを縛るものも、あなたを害するものも、この世界にあってはいけないの。だから、どうか人生を楽しんでほしい。それがわたくしの望みよ」
「レスリー……」
自由。かつての私が喉から手が出るほど求めて得られなかったもの。それを得てもいいのだろうか。
レスリーが差し出す手をじっと見つめる。彼女が与えてくれたのは神力だけではなかった。今、私に途方もなく大きな価値あるものを差し出そうとしてくれている。
「私、どうせなら……」
そう口を開きかけたとき、離宮の入り口からこちらに駆けてくる馬の姿があった。ミアが咄嗟に私をかばい、別の女性騎士たちも騎乗してレスリーの前に回る。
「ご安心を。あれはラリッサです」
馬上の人に見当がついた途端、騎士たちの緊張が解けた。
「ヒマリ様、我々の同僚です」
「屋敷で何かあったのかしら」
レスリーも馬に乗り、私もミアに馬上へ押し上げられた。やがてやってきたのはラリッサと呼ばれた小柄な女性騎士だった。騎士は大柄な人ばかりかと思っていたが、そうでない人もいるようだ。
「恐れながらレスリー様と聖女様へ、セリーナ様よりご伝言を預かっております! 聖女様さえよろしければ、屋敷でご休憩を頂きたいとのこと!」
「お母様が?」
「はい、叶うことなら聖女様にご挨拶申し上げたいと、セリーナ様が仰せです」
「……でしょ」
こちらに背を向けたレスリーが何かを呟いたが、風の流れのせいか聞き取れなかった。
「レスリー?」
「あ、ごめん。ヒマリ。その、今聞いた通りなんだけど」
「レスリーのお母様が、私を呼んでくださってるってこと?」
「端的に言えばそうなんだけど、もし嫌なら断ってもらっても……」
「私、お会いしてみたいな。レスリーには本当にお世話になったから、お礼が言いたい」
「……ヒマリがそう言うなら」
かくして私は、予定外にも白鳥の館へ招待されることになった。レスリーの母親に会えるという突然の出来事にちょっとわくわくしながら離宮を見つめる。
あの綺麗なお屋敷の中に入れるという期待感も重なって、隣を行くレスリーが何かを噛み締めながら顔を赤くしていることには気づけなかった。




