再生(sideレスリー)
週に三日、聖力の制御の練習のためヒマリのもとに通う日々が続いた。
制御はうまくいった。どうやら自分の神力はまだ完全には義兄に吸い取られずにいたらしい。「女性でも直系の方であれば神力が十分おありなのですね」とクロエ嬢が感心していた。そうじゃないと告げるわけにもいかず、一緒に驚くフリをするよりほかなかった。
熱心な生徒でもあるヒマリは、いつも真剣な表情で練習に取り組んでいた。彼女の手は私のものより一回り小さくて柔らかい。剣術や乗馬の稽古をとっくに諦めたせいで私の手も柔らかくなっているからか、どれだけ手を握りしめても男だと疑われることもなかった。
小柄で、髪を伸ばして、ワンピースを着て、馬車で登場する私だ。そもそも疑われようがないのだが、そのことに釈然としないものを感じて、苛立たしくなる。
力の制御がうまくいってふわりと聖力がたち登るたびに、毎回大喜びする素直なヒマリを見ているうちに、自分の姿がなんだか情けなく思えてきた。
色々な不幸に反発しながらも、女の子の格好をすることや淑女のマナーを徹底することに従い続けてきた自分だ。帝王学の授業も、嫌々な態度を見せながらも受け続けたわけで、結局自分という人間は、己の意志とは関係ないことでも諾々と受け入れる中途半端な生き様を晒しているだけなのだと気づかされてしまった。口では反発しながら従うなんて、ずいぶん子どもじみた態度だったと、穴があったら入りたい気分だ。
そんな私の恥ずかしい黒歴史なんて知るよしもなく、ヒマリは着実に努力を重ねていった。私と言えば、初めてできた同年代の少女と時間を過ごす楽しさに酔いしれ、修道院に通う日が待ち遠しく、彼女と手を繋ぐのも、お茶をするのも(食事制限のせいで彼女が勧めてくれるもののほとんどが食べられないのは残念だったが)、おしゃべりするのも新鮮な日々。私のことを慕ってくれるヒマリの姿が健気で愛らしくて、このまま女の子のフリを続ければ彼女と過ごせる時間も続くのだという状況に、若干浮かれてもいた。
そんな己の浮かれた気分に、頭から冷水をかけられるような出来事が起きた。ヒマリがなぜ魔塔から修道院に移ることになったのか、その真相が彼女の口から語られた。
あまりの内容に初動が遅れ、私より先にクロエ嬢がヒマリを抱きしめてしまった。二人の少女が涙ながらに抱き合う姿を見ながら、膝に置いた拳を握りしめ、唇を噛み締めた。
彼女が修道院に来ることになった事情を、過剰反応を起こして力を暴走させたのだろうと、軽く考えていた。フェリクスが勅命を持ってきたときには、父王が何を考えているのかばかりに気を取られてしまい、ヒマリと打ち解けてからもそこを追求せずに置いていたことが、遅まきながら悔やまれた。
聖女とは皆で尊び、大切にしなければならない存在だ。異世界からすべてを奪われるように攫われてきた少女に、一国の王太子がそのような仕打ちをするなど、誰が想像できるだろう。義兄と王妃のことは好きでもなければ尊敬もしていないが、さすがにそこまで外道だとは思ってもみなかった。
クロエ嬢が「自分が何もしなかったことが悪い」と懺悔したその言葉が、そっくりそのまま私の罪でもあった。難しい立場だから、女の子の扱いを受けているから、離宮暮らしだから———そんな言い訳を重ねて、義兄や王妃を野放しにしてきたのは私も同じだ。
加えてヒマリが異世界にいたときに受けた実の父親からの被害と、自ら命を断とうとした事実は、さらに私を打ちのめした。子を虐待する親がいることは知識として知っていたが、よりにもよってヒマリがなぜそんな目に合わなければならないのか。逃げてきたことを悪いことだと俯く彼女に、それ以上我慢がならなかった。
ヒマリが悪いことなど何一つない。ヒマリに辛い思いをさせた父親も、愚かな行動を積み重ねた義兄も、正当な処罰を受けるべき者たちだ。だが異世界にいる父親を裁く方法はなく、この国一の権力者である王太子を糾弾する手段もない。
彼女を傷つけ、苦しめ、男性不信にさせた者たちは、今も堂々と日の当たる道を生きている。それに対して私は何もできないのだろうか。異世界の父親はともかくとして、王太子は私の義兄で、こんなにも近い場所にいるというのに。
「ミア、剣術と乗馬の訓練を再開したい」
帰りの馬車の中で、向かいに座った護衛の目をまっすぐ捉える。いつもは私のことを子どものように揶揄う彼女が、重々しく頷いた。
「かしこまりました。早々に手配いたしましょう。ですが、久々の訓練はかなりきついと思いますよ」
「かまわない。今度は……絶対に投げ出さない」
膝に置いた拳に再び力を込める。この怒りは王太子やヒマリの父親に向けたものではなく、自分に対してのものだ。何もしてこなかった自分が義兄たちを増長させ、ヒマリを傷つけた。そのまま握り続ければ、実に淑女らしい私の柔肌はすぐに傷つき、血が滲んだ。
こんな痛み大したことない。ヒマリが受けてきた苦しみを思えば、ずっと軽い。
「それから、フェリクスを呼んでほしい」
今の王都の様子を一番よく知っているのは彼だ。父が信頼し秘密を共有した相手を、私は話だけ聞いたあと放置していた。聖女が絡んでいる限り、彼が裏切る要素はないとわかっていても、積極的に交流しようと思えなかったのだ。今までは。
短い馬車の移動の中で、焦るように壁を叩く。投げっぱなしの賽の目は未だに有効だろうか。
ここから巻き返す道のりの先は一切見えないものの、二度とこの頭を下げるものかと、丘陵地に聳える修道院の敷地を見ながら、強く誓った。
久々の剣術と乗馬の稽古はまったくうまくいかなかった。剣がどう、馬がどうという前に、私の体力があまりに衰えすぎていて訓練どころではなかった。
その事実に直面して、私の決断は早かった。
「食事制限はやめます」
そう宣言したとき、母は反対しなかった。「やめたい」と許しを乞うのでなく、私が自ら決めたことをきちんと受け止めてくれたようだった。
食事だけでなく、その他にもいろいろ変えていった。まずは見知った者たちの前での女性らしい言葉遣いを改めた。ワンピースでなく騎士服を着るようになり、髪だけはまだ切らずにいたが、おろすのでなくひとつにまとめるようにした。淑女向けの習い事はやめ、体力をつけ、筋力を鍛え、よく食べて、しっかり睡眠をとる。もともと動き回るのが好きな性質だ。数週間も経てば騎士たちの訓練にかろうじてついていけるだけの素養が戻ってきた。特に剣術に関しては、聖女に関する連絡係と建前をつけて離宮に呼びつけたフェリクスが指導に入ってくれたことも大きかった。
「レスリー様の小柄な身体と俊敏さを生かした剣術を学ばれた方がよろしいかと思います」
屋敷の警護に当たってくれている騎士たちは大柄な者が多い。そうした者たちと小回りがきく者たちとでは、剣の在り方も変わってくるのだと彼は説いた。魔法騎士は近衛騎士に比べて、その職務から表に聞こえてくることは少ないが、魔物相手に剣を振るう者たちだ。魔物が活発化する時期ではないとはいえ、その被害がゼロなわけではなく、対魔物戦に出動する機会も少なくない。受け継がれてきた戦い方も独特で、その戦術や鍛え方は屋敷に仕える騎士たちも一目置くほどに卓越していた。
その教えを受けて、私も小柄な女性騎士たちとの訓練も取り入れることにした。なるほど彼女たちは大柄な男性に比べると地味だが、その素早い身のこなしと剣捌きは、接戦になると特に際立ってくる。
「レスリー様が本来の立場を取り戻されたときのために身につけておくべきことは、前線に出て剣を振るうことでなく、いざというときに己や近しい者を守る剣です。騎士にはそれぞれ役割があります。己の分をわきまえ、できる最善をとる、そのような戦い方もあるのです」
初対面で面白く無い、気に食わないと思った相手ではあったものの、精鋭揃いの離宮の騎士たちを力でねじ伏せたフェリクスの言い分は一理あった。私の職分は己を守ることであり、私のすぐ隣にいる人を守ることであって、無闇矢鱈に切りかかっていくものではない。
身体を鍛え、生活全般の改善に努めた成果はすぐに現れた。体も重くなり、関節が軋む感覚が強まったところから察するに、背も伸び始めたのだろう。皮が剥けて分厚くなっていく手のひらを見つめる。決して後戻りできない道を選びとったことに身震いするものの、その震えは恐怖に支配されたものでなく武者震いだ。
訓練を再開したことの後悔はない。けれど心の片隅で、変わってしまうことへの不安が拭いきれないのもまた事実だった。それは修道院に赴いて、ヒマリの手を取るときにより大きくなるものだ。
(ヒマリは私のことを同性だと思っているからこそ、こうして安心して手を預けてくれている……)
けれどもし私が男だと知ったら———。己を傷つけた父親やハーラン王太子と同じ存在だと知ったとき、彼女は私を受け入れてくれるだろうか。それとも、自分に危害を加えてきた男たちと同じ存在として忌避するのか。彼女に握った手を振り払われることを想像すれば、背筋が凍りつくほどの恐怖を感じた。
自分が男であることはもう隠しようがない。その上で、ヒマリに嫌われたくない。彼女に受け入れてほしいと願ってしまう。男であっても身体があまり大きくなりすぎなければ大丈夫かとも考えた。ハーラン王太子のことも、最初はあまり大きくない人だったから大丈夫かと思ったと言っていたくらいだ。自分の身長がどこまで伸びるかはわからないが、容姿が父親似であることを考えると、父のように大きく育ちそうな気もする。血のつながりがあるクロエ嬢も女性にしては大きい部類だ。
あれやこれやと疑心暗鬼に陥りながらも、訓練の手だけは抜かない。私はこの道を選びとった。今更後戻りはできないし、するつもりはない。




