異世界
2025年4月27日に一章と二章を統合する改稿を行いました。この話は旧作品の2話分を統合させています。
気がつくと、目の前に知らない天井があった。
「ここは……」
掠れた呟きと無意識の身じろぎに、誰かが反応する気配がした。「聖女様?」と女性の声がし、足音がぱたぱたと近づいてくる。
「聖女様、気がつかれたのですね?」
「あなたは……」
「私は魔道士のマルグリットです。聖女様のお世話を言い使っております。ご気分はいかがですか?」
「あの、頭が少し痛いです。あと、身体もちょっと……」
「召喚の儀の後、聖力を制御できず、勢いで倒れてしまったと聞いています。身体はそのときに床に打ちつけてしまったのでしょう。頭の方は、お薬をお持ちしたいのですが、まずは医師の診察を受けていただいてからの方がいいと思います。お医者様をお呼びしても?」
「はぁ……。あの、ここはどこなんでしょう? 病院?」
「ここは魔塔です。大丈夫です、聖女様の聖力がどれほど強くとも、魔塔の中にいる限り、そのお力が闇雲に暴走するようなことはありません。昨日のことは単なる事故だったと、ウェリントン副魔道士様もおっしゃっておられました」
会話が噛み合っているようで噛み合わない、そんなもどかしさを感じた。目の前の女性は質問に答えてくれているが、私が求めるような得心がいく答えではなかった。
途方に暮れている間に、マルグリットと名乗った女性は医者を呼びに行ったようだ。ということはここは病院なのだろうと結論づける。
なぜ自分が病院に……と思ったところで、背筋がぞくっとした。
(そうだ……私、あのとき———!!)
背筋の震えは瞬く間に全身へと伝播した。
(ダメ、こんなところにいたら……身元がバレたらきっと連れ戻されてしまう!)
慌ててベッドから降りると、足ががくん、と力をなくした。身体を支えようと手を伸ばした先にはサイドテーブル。
だが勢い余って、そこにあった水差しらしきものを倒してしまった。
「———聖女様!」
マルグリットが部屋に駆け込んでくる。背後にはマントのようなものを身につけた、長身の男性もいた。
「聖女様、大丈夫ですか!?」
「あ……私、帰らないと」
帰る? どこへ? パニックになりながらも冷静な自分が問いかけてくる。帰るところなんてひとつしかないのに、そしてそこから逃げ出してきたというのに。
混乱する私に、マント姿の男性が手を差し出そうとして———咄嗟にそれを拒絶した。
「嫌っ!」
「……っ! 聖女様」
反射的な行動だった。大柄の男性、それだけだ。アイツとは違うとわかっていながら、それでも私の心と身体は目の前の男性を受け付けなかった。
「いったい何事じゃ」
床に座り込む自分と、私に手を振り払われたマント姿の男性、そしておろおろするマルグリットと名乗った女性。
そこへ新たな人物がまた現れた。長い白髪をひとつに束ねた老齢の男性と、それに付き従う背の高い女性だった。
「なぜ患者が床に座っておるのじゃ。まだ動いていいかわからんだろうに。ほれ、いったんベッドに戻しなさい」
「ゲント先生……」
「そなたはウェリントンの倅殿か。なぜそなたがここに?」
「召喚の儀に私も立ち会いました。アウリクス大魔道士様の命で、気を失われた聖女様に付き添っておりました。今し方、倒れていらっしゃる聖女様を手助けしようとしたのですが……」
マント姿の男性に見られ思わず目を逸らせば、私のわずかな動きを老齢の医師は見逃さなかった。
「ふむ。ウェリントン副魔道士殿よ。そなたは退室されよ。後は私らで診る」
「ゲント先生、しかし……」
「令嬢の寝室に無断で踏み入るなど、たとえアウリクス大魔道士様の命でも頂けぬわ。付き添いはそこの女魔道士殿のみで今は十分じゃ」
「……わかりました」
そう諭され、マント姿の長身の男はようやく部屋を出て行ってくれた。
床に座り込んだ自分に近づいてきたのはマルグリットと、新たに部屋に付き従って入ってきた女性だった。彼女たちの手を借りながら、ベッドへと誘導される。
「さて、聖女様。私はゲントと申します。魔塔と王家付きの医者です。このような老いぼれに触れられるのはお気に召さぬかもしれぬが、あなた様の御身のために診察をさせていただけませぬでしょうか」
「あ、はい」
「何も心配はいりませぬ。ここには女魔道士殿と、私が連れてきた助手のエラ医師がおります。彼女たちが見張っておりますからの。私が貴女様に危害は加えることはありませぬ」
「あの、大丈夫です。ありがとうございます」
ベッドに運ばれた自分とは数歩の距離をとった状態で、白髪の男性———ゲント先生はそう問いかけてきた。
「ではまず脈をとらせてくださるかの」
そこから一般的な診察が始まった。胸の聴診の際には助手のエラという女性に代わり、ゲント先生は離れたところで背中を向けるほどの徹底ぶりで、彼のことが信用できそうだと安堵する。
「ふむ。大きな問題はなさそうですな」
包み込むような物言いに、緊張もほんの少しだけ解けた。
それにしてもと、辺りを見回す。ここはいったいどこだろう。ゲント先生といい女性二人といい、どう見ても日本人には見えないのに日本語がずいぶん達者だ。
「あの、ここはどこなんでしょう?」
「ここはカーマイン聖王国の魔塔ですな」
「カーマイン聖王国? ごめんなさい、私、その国名を初めて聞きまして……その国の大使館とかですか?」
「……ここは、おそらく聖女様がいらした元の国ではありませぬ。あなた方が言うところの“異世界”というところです」
「い、せかい?」
「左様。ここカーマイン聖王国には、貴女様のように異世界から聖女が召喚された歴史が過去にもあります。まさか今のこの時代に聖女様にお会いする機会があるとは思ってもおりませんでしたが……それにしてもアウリクス大魔道士様がこのような手段に走るとは……国王陛下ご夫妻も召喚には反対されておられたというに」
「あのっ、どういうことですか!? 異世界って、そんなの、物語の話じゃ……。私、どうなるんですか? それに、聖女って?」
「その話をするには私ではいささか力不足でしての。女魔道士殿、そなたは……?」
「私は、聖女様のお目覚めまでお仕えするようにと命じられたのみでございますので……。お目覚めになった暁にはアウリクス大魔道士様に知らせるよう、申しつかっております。おそらくは大魔道士様からご説明になられるご予定かと」
ローブ姿のマルグリットがおずおずとそう答える。
「だがその大魔道士様の前で聖力を暴走させたというではないか。また同じことが起きぬとも限らぬ。とはいえ先に王族に目通しさせるのもよくないであろうし……」
「恐れながら、部屋の外にまだウェリントン副魔道士様がいらっしゃるかと。かの方でしたら、アウリクス大魔道士様の名代も務めていただけるのではないでしょうか」
「ふむ。あのでかい図体が気にはなるが、前科がない分、大魔道士様よりはマシか。このままでいても聖女様が落ち着いてお休みになられまい。釘を刺してから通すとするかの」
そしてゲント先生は、先ほど退室を命じられた男性について説明してくれた。
「聖女様。この世界には身分制度がありまして、貴女様に必要な説明をするにもその序列を無視して行うことはできぬのです。今この近くにいる者の中では、その役目を担えるのは先ほどの男のみ。今から再度部屋に招き入れますが、良いですかな? なに、貴女様には指一本触れぬよう厳命します。私はあやつが赤子のときから知っております。決して聖女様に仇なすようなことはしない者と保証もしますので、ご安心くだされ」
そして、先ほどの男性が部屋に招き入れられた。
「聖女様、私はフェリクス・ウェリントンと申します。ウェリントン伯爵家の次男で、カーマイン聖王国魔塔の副魔道士を拝命しております」
自分とは違う黒髪———艶があり、光の加減で青色にも見える髪を掻き上げた姿の男は、魔道士と名乗った。見上げるような長身と堂々とした体躯、腰元にある刀のようなものが仰々しい。
私の訝しげな視線に気づいたのか、男は銀色の瞳を腰元に向けた。
「私は魔法騎士でもありますので、このように帯剣を許されています」
「まほう、きし……」
「はい。生まれながらに魔力がありまして、魔法を使えます。魔力を持ち、魔法が使える者は概ねこの魔塔に仕える魔道士となりますが、その中でも武に長けた者は魔法騎士となり、剣を持って魔物と戦うことができます」
「魔物、がいるんですか」
「えぇ。ですがご安心ください。魔物の活性化には周期があり、今はそれほど活発に活動する時期ではありません。先代の聖女様が作ってくださった大陸結界もまだ綻ぶ頃合いではありませんから、少なくともあと百年程度は魔物がここ王都にまで蔓延ることもないでしょう」
落ち着いた彼の説明に口を挟んだのはゲント先生だった。
「だからこそ次代の聖女様の召喚を行うとすれば百年後であろうと言われていたはずだが。今ここに聖女様が召喚された理由をぜひとも聞きたいところじゃの」
ゲント先生の言葉には明らかな棘があり、白い眉の下から覗く瞳にも険があった。自分に向けられていたものとは明らかに違う。
「……そのお話はまた」
話を濁した彼は、説明を重ねた。
曰く、ここは異世界であり、カーマイン聖王国という国であること。
王族を頂点とした貴族政治が敷かれていること。
この世界には魔物がおり、時折人里に現れては人間を襲うことがあるが、魔力を持ち魔塔に所属する魔道士と、神力という力を持つ王族がそれらに対応すること。
その両者でも対応しきれないときに、異世界から聖女が召喚されること。
聖女は聖力という力を使って、この国のみならず大陸全体に結界を張り、魔物の侵入を防ぐことができるほか、魔物の瘴気を祓い、魔物と対峙する魔道士たちを助ける役割を果たすこと。
聖女の力を利用する代わりに、聖王国はその安全と幸福を約束し、聖女の意に沿わぬことは極力なされないこと。またその身は王族と並び称されること。
———そんな話を聞かされた。
「ウェリントンの倅殿よ、そのくらいにしておきなさい。一度にすべての知識を与えては聖女様も混乱されるであろう」
「わかりました。ただ、あとひとつだけ」
そしてフェリクスと名乗った男は、まっすぐこちらを見た。
「もしあなたが元の世界に帰りたいとおっしゃるなら、帰してさしあげることもできます」
「え?」
思いがけない提案に、目を丸くする。
「帰れるんですか?」
「えぇ。先ほども説明した通り、なるべく聖女様の意に沿うよう、我々は努力します。ですので、聖女様がどうしてもここに残りたくないとおっしゃるのなら、聖女様を送り返す儀を執り行えます。とはいえ、本来は我々の国を助けていただきたいという本音がありますので、ご尽力をいただいた後に、という提案にはなるのですが……」
フェリクスが再び言葉を濁した先で、私の思考はめまぐるしく動いた。
ここは異世界で、自分は聖女として召喚された。そんな突拍子も無い、現実とも夢ともつかない事象に翻弄される中で、たったひとつ、紛うことない真実。
(ここには、アイツがいない、この世界には……私しかいない)
はっと顔をあげれば、冷たい印象の銀の瞳とぶつかった。彼が告げた「帰してさしあげることもできます」という言葉。
「帰……る? あそこへ、帰ることになるの?」
逃げ出したくて、努力して、ようやく掴みかけた出口を、あっけなく潰されたあの日。
被せられた、絶望の言葉。
『———おまえは俺のモノなんだよ、一生逃げられると思うな!』
「いや! いやよ、帰りたくない!」
身体をきつく抱きしめて叫んだ。
「聖女様、どうなさい……」
「嫌なの、帰りたくないの! お願い、やっと終わったと……終わらせたと思ったのにっ。また捕まって、もうこれ以上———っ!」
ドコニモニゲラレナイ、ノ?
ぶわりと泡立つ感覚が背中を這い登ってきた。カタカタと震える身体を押さえ込む私に「聖女様!」と強めの声がかかる。
その声に掴まりたい一心で、縋りつきたい気持ちで、声を荒げた。
「帰りたくないんです! お願い、ここにいさせてください、やっと、やっとここまで来たのに……!」
「聖女様、大丈夫です。私どもは聖女様の意に沿わないことは極力いたしません。貴女様が帰りたくないとおっしゃるなら、いくらでもここにいていただいていいのです」
「本当ですか? 無理矢理帰らされたりはしない?」
「はい。さすがになんでも言う通りにしろと言われるとできないこともありますが、聖女様が元の世界にお帰りになることを望まないのであれば、その希望は必ず叶えられます」
フェリクスの説明に、頭の芯がすっと冷えていく感覚があった。
「ほん、とに……?」
「えぇ、もちろんです」
肯定の言葉に、安堵すべきなのだろうが、まだ疑いを捨てられない。
「ウェリントン副魔道士殿よ、その辺りにされよ。これ以上は医師の権限で許可できぬ」
ゲント先生のその一言で、その場が一旦閉じられた。