掴む
「看護学校の内定が貰えたときは本当に嬉しかった。これで父から逃げられるって。でも内定を父に勝手に取り消されて、”俺から逃げられると思うな”と脅されて……。挙句殴られて、襲われそうにもなって。どうにかそれを振り切って一度は逃げ出したけど、どうせすぐ連れ戻されるって思ったら絶望してしまって……。だから辿り着いた駅のホームで、すべてを捨てようって思ったの」
あのとき私は、迫り来る電車の前に飛び出したのだろう。そこから記憶が途切れ、気がつけば魔塔の魔道士や魔法騎士たちの前にいた。
漫画や小説で聞くような違う世界にきたとわかり、ようやくアイツから逃げられたと、ほっとしたのも束の間。
「アウリクス大魔道士様が、体格的にも年齢的にも父と重なって見えて……それでつい聖力で弾き返しちゃったんだと思う。ハーラン王太子殿下は、嫌な人ではあったけど、身体はそんなに大きくなかったから、そういう意味での怖さはなくて。だから我慢できるかなって最初は思ったの。でも押し倒されて、服を破かれそうになったとき、アイツにそうされたときの光景が蘇ってしまって———それで、無意識に抵抗しちゃったんだと思う」
もし日本での嫌な記憶がなければ、あそこまで大事にはならなかったかもしれない。そういう意味では殿下に申し訳なく思うと口にすると、レスリーが怒りの声を上げた。
「ヒマリが申し訳なく思うことなんかない! 前にも言ったけど、ヒマリはなんでもないって言い過ぎ。全部大したことよ? 本当に、あなたの父親も、あの馬鹿も、八つ裂きにしても足りないくらいだわ!」
丸いフレームの眼鏡がずれそうになるくらい激昂したレスリーは、ソファから立って私に近づいてきた。
「クロエさん、代わって」
「は、はい!」
私を抱きしめてくれた名残で手を握っていたクロエが離れると、その反対側から今度はレスリーが手をそろそろと握ってくれた。
それだけであぁレスリーだと、身体がふわりと反応する。私たちが触れ合うだけで、神力と聖力がこんなにも呼応する。
「ヒマリ、この世界に来てくれてありがとう。助けを求めてくれてありがとう」
「えっと……私、助けを求めてたのかな」
日本にいた頃、助けてくれる大人はほとんどいなかった。飲食店経営の夫婦や新聞配達の先のスタッフは親切だったが、皆、本当の意味で手を差し伸べてくれることはなかった。学校の先生も役所や児相の人も、皆でして私を父の元に帰そうとした。
だから私は、誰かに助けてもらうことを忘れてしまった。それよりも自分でなんとかしようと足掻いた。
「ヒマリはもっと誰かを頼ることを覚えていいんだよ。わたくしはヒマリに頼られたいって思う」
「レスリー……」
「わたくしはあなたより年下で、今はあなたよりも立場がずっと下で、なんにもできないけど。でも、それじゃいけないって思ったの。私も、ずっと逃げてばかりだったけど、それは甘えだったんだって、今ヒマリの話を聞いて気づかされたわ」
「レスリーも逃げてたの?」
「うん。私はヒマリと違って両親にとても愛されていたから、彼らのその気持ちの上にあぐらをかいて、やるべきことが本当はあるのに、ずっと逃げてきたの。なまじそれが許される環境でもあったから……。ある意味両親に甘えていたのね。でもヒマリは誰にも頼ることができなくて、そんな中でも自分がやるべきことを見失わずに、成し遂げようとしてきたのね」
レスリーの言葉に、日本での生活を思い出す。逃げることができないなら掴むしかないとわかっていたからこそ、看護学校の推薦枠を目指したと、そう取ることも確かにできる。
「でも、最後の最後で潰されちゃったし……」
「それもヒマリのせいじゃないわ。ヒマリはちゃんと掴んだんだよ。それでもどうにもできなかったから、この世界に助けを求めてくれたんじゃないかって思う。わたくしはこの世界の住人として、その声に応えたい。わたくしにとって大切な人であるヒマリを———助けたい」
「レスリー……ありがとう」
クロエに抱きしめられたことに続いて、レスリーにも手を握られ、その体温を直に感じた。レスリーの方が小柄なのに逞しく感じるのはなぜだろう。アルトの落ち着いた声色と言葉選びの巧みさからだろうか。
クロエの温度もレスリーの温度も、どちらも心地よくて、泣きそうになる。
助けてと、そう言えたから、ここにくることができたのだとしたら。私はまだ、人生の選択を間違えていない。




